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子どもの主張〜保育園の乳児クラスより

乳児が集団生活を強いられる時、自我で泣いて抵抗する子どもが居る。私はそれを見るといいぞいいぞ!と思う。
どうして泣いているのかな?それは言わば謎解きだ。その根本には必ず理由があり、主張がある。

でも大半の保育士は、泣いてもダメ、今はこれをする時だから、わがまま言わないの、みんなは何をしてる?と問いかける。言うことを聞かせようとするから言うことを聞かない子どもにイライラする。他の子どもも見ないといけないので、一人に時間をかけて居られない。そんな時こそフリー保育士の出番だ。

子どもの訴えに耳を傾けない姿勢は、子どものイヤだ!と言う気持ちに余計に拍車をかける。分かってくれない!大人は私の僕の気持ちを聞いてくれない!と悲しさでいっぱいになり、さらに抵抗する。

この気持ちを聞くと言うのは、言う通りにしてあげる、こととは少し違う。もっとも、叶えられる主張なら叶えてあげたらいい。けれど、子どもが本当に求めているのはそこではなく、自分の存在を認めて欲しい、という欲求。

私は僕はロボットじゃない。意志を持った人間なんです。生まれて数年しか経っていないその小さな子どもたちが主張するのは、とても立派なことだ。


一旦その子どもの気持ちを受け止める姿勢になると、驚くほど落ち着いて自ら参加する。私は日々の保育の中で、ひたすらそれを繰り返して来た。その子どもの本意を掴むため、デンと構えて寄り添ってみる。泣いている子どもならまず、落ち着くまで待っている。そして、うまく言葉に出来ない子どもなら代弁して聞いてみる。子どものイエスかノーかははっきりしている。


小学生の勉強でも同じ。
宿題しなさい、これはやらないといけない(ノルマ)だから、といくら言っても、本人がやる気にならないと身には付かない。
主人公はあくまでも子ども。
大人の決め事に従わせるところに成長はない。妥協とストレスと分かってもらえない思いだけ。自分で主体的に動いた時に学びは生まれる


コロナ禍で混乱した今の世の中には、大人の主張ばかりが目に付くけれど、大人にも子どもにも言い分がある。もちろん子どもはまだ表現も主張も未熟であり、大人が導く場面はあるけど、ひとりの人としての人権を持つ存在で、その尊厳は変わらない。


あなたの周辺は今、子どもとじっくり対話出来る環境にありますか?

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