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出稼ぎ村の子どもたち

「ジャパニ」とは"made in Japan"という意味らしい。

ネパールの山深い農村地帯。両親が日本に出稼ぎに行っていて、祖父母や親戚に育てられている子供を「ジャパニ」と呼ぶのだそうだ。

たまたまダイニングでぼーっとしていた時に、NHK BS1が付けっぱなしになっていて、気付けばぶっ通しで見入ってしまったドキュメンタリー番組。

あまりテレビを見ないのだけれど、あまりに印象に残る番組だったので記録に残そうと思う。

焦点が当たるのは、ビピシャという9歳の女の子とその家族だ。

ビピシャの母親は、ビピシャが3ヵ月の時に、日本で暮らす夫の元へ旅立った。それ以来、ビピシャは祖父母に育てられてきた。彼女は祖父母のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでいる。

ビピシャが暮らす村に暮らすのは子供と老人ばかり。若者はみんな日本に出稼ぎに行ってしまった。この村では日給600円、日本なら時給1000円だと老女が笑った。

日本で働く両親のおかげで、ビピシャの家は裕福であるようだ。祖父母の手にはスマホ、タブレット。そして、ビピシャは7歳から毎年日本を訪れている。両親は、ビピシャを日本に呼び寄せ、日本で家族として新しい生活を始めたいと考えている。しかし、ビピシャは決して首を縦に振らない。

同じ年頃の子どもが、「お金は大事だ」「お金があれば何でも手に入る」と言う傍らで、ビピシャは「お金はフェイクだ」「あなたのこと大切にしてくれる人が必要だ」「仕事を選ばずにネパールで出来ることをして暮らせばいい」と言う。もし両親が日本で稼ぐお金が無くなったら、彼女の生活は一変するだろう。誰のおかげで生活出来ていると思ってるんだと責める人もいるかもしれない。彼女がどこまでそのことを理解しているのかわからないが、彼女がとても思慮深い子であることは確かだと思う。

ビピシャの両親は、他のネパール人の大半がそうであるように、父親はシェフとして働き、母親は配偶者ビザでホテルの清掃などの仕事を請け負っている。ビピシャが日本に滞在する間も、母親は休むことなく働き続けた。母親は、仕事を休むことで、首を切られることを恐れていた。

自分の料理店を持つようになり、主に時間に余裕がある父親がビピシャの面倒を見ていた。観光に連れて行ったり、ネパール人のためのインターナショナルスクールに見学に連れて行ったり...笑顔も束の間、ビピシャの表情は晴れなかった。

ある夜、タブレットをいじってばかりで勉強しないビピシャを母親が叱ったことをきっかけに、母親の口から本音がこぼれ出した。父親はビピシャを呼び寄せたい。でも母親は本当はビピシャと暮らしたくないのだと泣いた。朝も夜も仕事で休まらない中で、ビピシャのことまで考えられない。母(ビピシャの祖母)は私が悪いと責める。そして、ビピシャは私たちを愛していない、と。

両親と一緒に暮らすことは一見幸せなことのように見える。しかしビピシャが日本の生活に慣れるためという名目の日本滞在は、両親にとっても子供がいる生活に慣れるための期間だったのかもしれない。

ビピシャのビザは既に用意されていて、ビピシャが望めば日本に定住することは可能だったが、ビピシャはそれを選ばなかった。ネパールに戻り、それ以降日本を訪れていないそうだ。

話の流れを掻い摘んで書いてみても、このドキュメンタリーを見た後の自分の気持ちを言葉にするのは難しい。そもそもネパールからの移民がこんなに多いと思っていなかったし、その家族がこんな生活を送っていると考えたこともなかった。

ビピシャがネパールを離れたくないと思うのと同じように、日本の生活に馴染んだ両親はネパールの農村に戻ることを望まないのではないかと思う。一方で、10年近く休みなく、神経が擦り切れるほど働く母親の上に成り立つ生活とは一体何なのかと疑問も感じる。ビピシャが両親のことを嫌いだとか、働いてくれることに感謝をしていないとは思わない。それでも、ネパールに戻りたいと思うのは、ネパールにいる時ほど人に愛されていることを実感できないからなのかもしれない。

ビピシャの発言でとても印象的だったのは、「私はジャパニじゃない、ネパリだ」という言葉だ。「ジャパニ」というレッテルが、幼い子供のアイデンティティに与える影響は計り知れない。

さいごに、頭に浮かぶのは、コロナ禍において、ホテルの清掃をしていた母親の仕事はどうなったのかという疑問だ。彼女に限らず、多くのネパール人の生活にも影響が出ているのだろう。それは、結果的にネパールにいるビピシャたちの生活に、どのような変化をもたらすのだろうか。


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