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ベトナムのスタートアップに転職して一年後その2: エンジニアやスタートアップ編

今回はエンジニア、スタートアップ 、キャリア、じんせい、みたいな話。
前回はこちらです。

初めてスタートアップで働いてみた感想

「あ、これリーンスタートアップでみたやつだ!」みたいなタイミングがあり、今までケーススタディなどで勉強した状況が目の前にあるのが非常に面白いです。CEOやCTOとの距離が近いので、スタートアップ エコノミクスについても学べることが多くて勉強になります。海外と日本での違いも含め。前職の頃は社内新規事業コンテストにちらほら参加していたのですが、見える景色が全然違いますね。

何よりも前職からの差分が大きいのは、ユーザーとの距離。自分の担当した改善や機能実装がダイレクトにユーザーに届いてる感覚が強いです(バグも然り。ご迷惑おかけしております)。

裏返せば、手をどれだけ動かせるかが何よりも大事なので、とにかくアウトプットを最大化する働き方を意識してます。べき論は不要、やるかどうか。批評してる暇があったら、改善手段を考えて提案して実行。一人あたりの歩留まりがそのままプロダクトの成長スピードに反映されるという現実があり、そこに与える自分の影響が洒落にならないくらい大きいです。採用するを厳選するのが本当に重要ですね。

会社という漠然とした何かの存在感は大きく下がり、相対的に事業の存在感が大きく増していて、労働の価値観が変わっているのも面白い。文字に起こすと当たり前の話しかしてない気がしますが、実体験はやはり別物です。副業で何社かお手伝いしてきたけど、フルコミットで見える景色は違う。

エンジニアとしての変化の話

使える技術範囲がかなり広がりました。

以前はSRE系やデータエンジニア系のスキル (AWS / GCP, Terraform, CI/CD, k8sがメイン, それなりにPythonやGolang, まれに機械学習やVue.jsでのSPA) が中心でアプリケーション開発スキルが脆かったです。今はgRPC, GraphQL, Kotlin, Java, TypeScriptあたりがだいぶ扱えるようになり、型つき言語よわいマンじゃなくなりました。DB設計含め新コンポーネント全体の設計、非同期処理など前職で機会が少なかった部分など特にやりたかった部分です。フロントもたまに書く機会があり、React + Redux / React-Nativeも必要に応じて実装できるようになりました。

最近だとReact の navigation実装したり、GraphQLのData Loaderが理解できなかったり、KotlinのCoroutineに苦しんだり。慣れ親しんだ技術と異なる構成を学べるのは転職のいいところ。

前職でも複数チームやプロダクトを兼任させてもらっていて社内では比較的多方面を触れていたとは思うのですが、インフラの人という役割分担・ポジショントークが主だってた部分がありました。たかだか2, 3年しかやってないデータエンジニア・SREというソフトウェアエンジニアのごくごく一部領域でポジション取ってる自己の状況に危機感が強かったのですが、新卒から5年弱かけてようやく駆け出しエンジニアが終わったと思ってます。多少は強くなったかな?

そういえば転職してベトナムはもちろんのことシンガポールやマレーシアなどいろんな国からご案内が来るようになったのは嬉しいです。日本は外資系から来ますが、それ以外はかなり減りました。たまにWantedlyなどで、帰国予定あるか含めお声がけいただけるのは嬉しい限りです。(今のところはないですが…)

LinkedInやらでお声がかかるのはだいたい以前担当してたSREポジションなんですよね。SREの需要の高さに驚きます。こないだインドからきたし…就活した去年の手応えとしてはインドで外国人エンジニアが働くポジションはまるでなかったんですが、SREは例外なんでしょうか。 あ、当時の転職活動についてはこちらをどうぞ。

スタートアップのエンジニアとしての気付きの話

技術採用において広域な合意形成がいらないのは楽ですね。使うべきものを選んでMTGして実装するだけというシンプルな世界です。個人的にはデザイン検討段階から、ユーザーマインドと開発者マインド両方を持って設計に参加できるのが楽しいですね、最近はUI / UXを勉強中。
これにどっぷり慣れると、スタートアップを渡り歩く人がいるのもわかります。

とはいえ、あらゆるレビューが多角的でなく比較検討が浅慮になるのは、やはりデメリット。浅慮にならないよう気をつけてはいるものの…。会社が抱える技術的知見の総量が少ないので、対策としてできるだけ公式ドキュメントを読む時間を増やしています。前職だと必ず別のチームに特定技術領域に強いマンがいてその人から話を聞くという動きが多かったのが懐かしい。

一方で、ベストプラクティスを前ほど信じなくなりました。そのチームのそのプロダクトのそのタイミングでの最適解がフィットしたというだけで、global minimaではないんだなという。当たり前ですが盲信しがちなので気をつけます。

前述の通りアウトプットに注力する環境なので、体型立てた知識を整理するタイミングを意識的に作らないといけないなーという課題があります。前職だと似た技術領域をぐるぐるしてたので勝手に整理がついたのですが、今はアプリやwebフロントエンド〜DB・k8sまでをぐるぐるしてるので、インプットが揮発しがち。

担当範囲を変えたのでスタートアップに最適な技術スタック(いわゆるなんでもやるマン)になりつつあり、知識レベルが浅くなってるのは確実です。長期的には、大企業とスタートアップを行き来するのが技術の掘り方としては面白いのかも?

スタートアップならではの方針転換はたびたび発生するので、それに付随したエンジニアリング手戻りも起きます。最小化するためには作り込まない?スッパリ諦めて気合と根性?このあたりはCTOがよしなに取り計らってくれていて、議論しつつ日々学ばせてもらってます。CTOの強さがスタートアップの成長の大きな因子だなーと都度思います。ちゃんとドキュメンテーションしても、実装してから手戻りを出したりしていて、大変心苦しい。未来を見通す想像力とそれを支える経験値が低いのを実感します。スタートアップ の初期フェーズにジョインしたエンジニアの方々に、どうやって解決してるかなどいろいろ聞いてみたい。

前職比でコード書いてる時間が1.5~2倍になりました。目がしょぼしょぼします。エンジニアリングのレベルは確実に上がっている実感があります。一方で、書いても書いても全然タスクが消化できません。捌く速度よりTODOが増える速度の方が段違いに早い。つよつよになりたい…

と思って12月中旬にジョインしてからを振り返りしてみました。GitHubのAPI叩いてBQにデータ入れて可視化してます。下記は月間PR数の推移。4月や10月は新規コンポーネントの開発が続いたので多め。

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そしてこちらが月間変更行数(add + delete)。自動生成コードもコミット してたりする水増しを除くと平均4000 ~ 5000行、1日200行くらい。多少書けてるか…?まぁJavaが多いのであんまり参考にはならない。調査系やインフラタスクが多いと行数が減るのがわかります。

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前職だと複数プロダクトにアサインされてたのですが、今は1プロダクトに注力してて、やっぱりコンテクストスイッチングがないのと中断が少ないのは仕事しやすいなーと思うようになりました。

スタートアップほどちゃんとミーティングしないといけないという点は、転職前のイメージと大きく変わった認識のひとつです。人数が少ない = 大きな不整合が出たときの手戻りにさける余裕が少ないので、より精緻に方針や進捗をすり合わせてスピードあげていきたいと思っています。ROI意識!心を燃やせ!

海外のスタートアップで働くエンジニアとしての話

インドや中国など、他国成功・失敗事例についてのニュースをCEOらがシェアしてくれるので、視野が大きく広がりました。また、コロナ影響で各国オンラインでのウェビナーがめちゃめちゃ増えている & 参加費無料のものがかなり多いので、ありがたく勉強させてもらってます。

日本と状況が違うことも多々あって面白いです。

例えばストックオプションがポータブルな点。日本だとSOは付与されても職時に消失しますが、海外の会社だと持っていけるのです。SOもらって退職するムーブを繰り返して『ポートフォリオ』を構築する人もいるとか。
調達先を考えるときに国境が超えられるのも面白いなーって思います。日本にいたときは考えもしなかった。

社内公用語は英語で、非ネイティブの会社なら普通にやっていける自信がつきました。もちろんネイティブにはだいぶ手加減してもらう必要がありますが。英語でのオンライン・オフラインミーティングにはだいぶ慣れて、このあたりでも欲しかったスキルが磨けていて良い環境。

IT系エンジニアは言語が多少アレでも他の国で働く難易度が低くて、なんてラッキーな職種なんだと思います。営業とかマーケティングとか起業家とか信じられない。

なんで海外のスタートアップにジョインしたかったのか

ここからはポエムです。

新宿がこの10年で何か変わっただろうか

伸びてる国では、リープフロッグという言葉に代表されるような非連続な変化が起きてます。既存システムが存在しないからこそ、今使えるものを全て使ってゼロから作る新しさ。そして変化のスケールが違う。

例えば中国に旅行した時に痛感したこと。大都市が本当に巨大で、言わばどこまでも新宿のど真ん中が続いてました。さらに、電車移動で通過するような荒野で突然、大量のクレーン車が超規模な工事してたり。深センでは今度無人運転の地下鉄、全自動レストランとか本当にクール。中国にもっと旅行するつもりだったのに行けてないので、国際線の再開を心待ちにしてます。

こういう話すごい好きです。



全然実情には疎いのですが、アフリカも非常に面白い。例えばルワンダって実はめちゃめちゃ発展してるらしくて、血液輸送がドローンで行われるとか信じられなくないですか?JETRO資料などが読みやすいのでよかったら探してみてください。ルワンダに商工会議所があるのを今知りました。 すごい。他にはM-PESAの話とかも送金ニーズの背景含めて非常に面白いです 。

なんで唐突にアフリカ話が入ったかというと、主にTwitterでフォローしてる方々のチャレンジされてる姿に感化されたからです。単純ですいません。海外スタートアップ勢の皆様は本当に優秀かつ気合と根性が並外れていて、尊敬の念。

逆にヨーロッパに1年滞在した経験としては(西欧メインで北欧はよく知らない)、全体的にお金苦しい印象を受けました。インフラがボロボロ。住んでたパリでは、開通して数ヶ月のできたてメトロで架線がスパークして運行停止して1時間歩いて出社したこともたびたび。wifiは全然繋がらない、年単位での遅延プロジェクト多数、etcetc。フランスの愚痴になってしまった。他の国でも列車でトイレに入ると便器の穴から線路が見えてたり、何だかなーって思うことが多かったです。ヨーロッパかっこいい!って思ってた当時としてはかなり認識が改まりました。

当時の違和感はかなりこれに近いです。こちらの記事面白いのでぜひ。


東欧諸国などの旅行ではゲストハウスのオーナーや、現地の知人と会話しましたが、観光地のホテルが中国資本にもりもり買収されてるとか、自国に仕事がないからITと英語を覚えて出稼ぎにいくとか、景気いい話はあまり聞けませんでした。最近はどうなんだろう。

主に旅行ですが30ヵ国くらい見てきて、この先はアジアにもっとチャンスがありそうだなーという肌感があります。アジアで転職した理由の一つ。ベトナムの話ここで全然してないけど、ベトナムすごいですよ!日本にいた時はフォーと生春巻きしか知らなかったけど、もっとベトナムは知られるべき面白い国です。

社会人になってから数年、自分の見える世界が収歛して人生の予測精度が上がる感覚が不満だったのですが、こういった実感が持てるようになって改めてよい意思決定でした。収歛と発散を繰り返す人生にしていきたいところ。

とかなんとかいいながら、近いうちに日本に帰るかもしれません。温泉がないのが…マジでつらい……

母国語で勉強できなくなる日

ちょっと散文なメモ。大学院の頃、南アフリカ人のPh.Dの留学生 + 彼の出身大学のSupervisorと三人で共同研究をしていた頃の話。彼はもともとVendaという言語を話す地域出身で、話者数は二百万人くらいらしいです。日本の環境に苦労してたけど、非常に優秀で頼りになる共同研究者でした。

彼と話した中で印象に残ってるのは「母国語で本が読めるのが羨ましい」という話。日本では例えばPRMLの邦訳など専門書が当たり前に日本語で読めるあるけど、彼の母国語では読むことはできない。そもそも翻訳しても採算取れないくらい市場が小さいし、読むような教養のある人は英語を学んで原著を読む。

転じて日本は明らかに縮小するマーケットで、今後どれだけのコンテンツが日本語で展開してもらえるんだろう?Gmailなどの支配的なサービスに日本語が入らない日もそう遠くない。邦訳がでない専門書もどんどん増えていく。今後は世界での一般的な言説にアクセスすらできなくなっていきそう。

自分はまだどうにかなるとしても、子供を育てるにあたって日本語で育っていいのか、という疑問もあります。今後どういう未来になっていくか分かりませんが、いろんな状況に対応できるように準備しておきたい。まだ独身なので選りすぐりの杞憂ですが…

というのも、バックパッカーやってた頃に出会ったシンガポール人達が、大学卒業時点でトリリンガルで STEM教育でetc、知性と教養が並外れてたのが強く印象に残っています。5Gなり衛星通信なりで同時通訳が捗っていく世界で言語という障壁が取り払われて純粋な知性での殴り合いになるのなら、インド・中国・シンガポールの上位層とは、少なくとも自分は勝負したくない。

完全にこの気持ち。(食わず嫌いしてたんですが鬼滅超面白かったです)

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いっぽうで母国語で教育しないなら、それはそれで母国語で子供と会話できない寂しさあるよなーとも思いつつ。(現地語しか話せない移民二世が親とのコミュニケーションに苦労する例をいろいろ見ました。一方で親に強制されて母国の大学に突っ込まれた同僚の話とかも大変そうでした。彼が言う人生の回り道という感想もわかるが、親心もとってもわかる。)

そんなこんなで、ちゃんと海外で生きてみるのを、親が元気で子供もおらず体力もあるゴールデンタイムのうちに一回試行した方がいいな!と思ったのが過去の経緯でした。

それはそれとしてまとめ

この一年でここまで世界が別物に変わるとは思ってなかったですが、危険を感じることなく仕事・生活・旅行できるベトナムにいる自分は本当に幸運です。うっかり去年ヨーロッパとか選んでたら今頃レイオフされてどうなってたことやら。あと3ヶ月遅かったら渡航できなかったのでタイミングも完璧。参加できなくなると思ってたいくつもの勉強会やカンファレンスがウェビナーになったのでとてもありがたい。初の海外チャレンジでKAMEREOという自分のニーズにバッチリ合致した会社に出会えたのは特に幸運の極み。


途中偉そうなことをだいぶ書きましたが、まだ何一つちゃんとできてないので、これからもっと精進します。以上、この一年の振り返りでした!

サポートはコーヒー代としてありがたく頂戴します!