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貼る場所の決まっていないシールたちが、毎日に彩りを添えている

PC1台あれば、仕事も遊びも、だいたい事足りる。

そんな時代に私は、あえて「心の躍る文房具」を収集している。


雑貨屋の文房具コーナーが心のオアシスだった

昔から文房具が好きだった。

私は、自分が「モノ」を所有できないと思っていたから、
自分の部屋すらも自分の好きなようにカスタマイズできなかった
から、
自分の好きなモノを持つことや心が満たされる体験をすることを、許されていない気がしていた。

文房具選びは、そんな私が唯一、自分の好みのモノを所有できる体験だったように思う。
「学校で使うから」「これがあると勉強がしやすくなるから」…その言葉は母親にモノを買ってもらうと同時に、自分にその素敵なモノを持つ資格があるというための言い訳だったのかもしれない。

PC1台で事足りるようになってから、私は文房具を避け始めた

社会人になって、学校に通わなくなると、仕事はもちろん勉強も紙よりPCの方が便利になってきた。
文房具は小さなペンケースにボールペンのみ。メモ用紙はミスコピーの裏紙で代用。それで充分事足りるようになってしまった。

所有欲を封じられた私は、自分の身の回りには必要最低限のお金しかかけずに生活をしてきた。
そんな私にとって、かつてあんなにときめいていた文房具も、仕事をはじめた途端に「お金のかかるうえに生産性のない道具」に成り果て、色褪せてしまった。

自分を大切にするために、無駄を楽しむ

変わったのは、この本がきっかけだと思う。

タイトルとは違った印象を受けた。
社会に揉まれて、擦り切れていなくなってしまった「ほんとうの自分」を取り戻すための本、というのが今の感想。

それで、私は自分にかけられた呪いに気がついた。
私にとっては母の言葉が、「自分にはモノを所有する資格がない、いつか誰かにとりあげられてしまう」という思い込みが、ほんとうの自分を擦り減らしていたもののひとつだったんだと思った。

それで「ほんとうの自分の望むものを、自分にできる範囲ではすべて与えて、自分が健やかに過ごせるように心配ろう」と決意した。

今。
予算はある程度決めているけど、月に1500円までは文房具に使ってよいことにしている。

使う予定は特にないけど、お気に入りのボールペンの新色。
小さいふせんは読書のとき、気になった言葉をちょっとメモする用に。
吟味すれば1500円は、意外といろいろ買える。

かわいい柄つきのふせんは、
お土産を配るときにメッセージを添えてお菓子に貼りつけておくと、気持ちを表現できる気がする。

どこに貼るでもない理由で買ったシールたち。
日記帳の端にぺたっと貼り付けてみると、今日という一日に彩りをそえてくれる。

自分を取り戻したわたしは、
文房具を通して「明日の前向きな自分」を買っている。



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