noteは、願いを叶えるための魔法の切符でした
望むのに、資格なんていらない。それを理解するのに、10年かかりました。
幼少期から、夢を見ない子供だった
思えば子供のころから堅実でした。
夏休みの宿題は7月中に終わらせる派、テスト勉強も計画的(そして女子にありがちな「勉強してないヤバい~」って嘘もつかない。「勉強?してるよ?」)。
学校の先生がなってほしい「成績優秀なクラス委員長」になったし、
親の求める「手のかからない素直でいい子」を演じました。
本当は、誰よりも寂しがりで、甘えん坊だったのに。
いつしか「日常は寂しいもの」「いつも空虚感があるのがふつう」になって。
盛大にこわれて、「普通に生きる」ことすら望めなくなって。
ちょっとずつ、ちょっとずつ息ができる範囲を広げて、望むハードルを下げて、下げて、下げて。
「望み」と「現実」がつながったのは、希望を失ったときだった
他の人の望みを、なるべく排除して。
自分の望む自分で、かつ自分に叶えられる範囲の夢だけを、みるようになりました。
たぶん両手で抱えきれる程度の望みしかなくて。
ただただ穏やかに、毎日を過ごすこと。
毎日3食きちんと食べられて、できたら仕事もしたい。可能な限り、人の役に立つ仕事を。
最後に残った私の望みなんて、そんな程度でした。
叶えたい願い
望みは、すべて自己完結していました。
食べる、仕事をする。ただそれだけ。ほかに趣味もない、生きがいもない。
この先何十年も、それで生き続けるの?と、疑問がふっと湧いて、そして消えていくのを繰り返していました。
そんな私が、またほんのちょっとだけ、「自分の叶えられる範囲」を広げようとしたのが、つい最近のこと。
私は、私をわかってくれる、理解者が欲しい。
私の言葉を聞いてくれる人を探したい。
願わくば、私と同じくらい苦しんでいる人を探して、理解して、役に立ちたい。
そんな思いで、「みはしさくら」は生まれました。
今、苦しんでいるあなたへ
私も10年、とってもつらかったから、安易なことは言いません。
でも、あなたに届く言葉を綴ります。
だから見ていてほしいです。
つらいときは無理に見なくていいから、
少し楽になったら、まずは食べられるものを食べられるだけ食べて、
そして、私の言葉を読んでみてほしいです。
なにか感じることがあったら、コメントでもメッセージでもいいです。送ってください。
Instagramもやっています。コメント、DMください。待ってます
『書く習慣』内で紹介されている、1ヶ月書くチャレンジに挑戦しています。
今日はDay28 ♯もしも1つだけ願いが叶うとしたら について書きました。
Day16まではInstagramのハイライトから見れるので、お時間あるときに読んでもらえると、とても嬉しいです。
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