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どうでもいい服を着て過ごす日なんて、人生にはない

私自身はミニマリストでもなんでもないけど、好きな本のひとつにこれがある。

等身大の自分に満足し、ありのままの自分を愛する方法を教えてくれる本。


職場にブランド物の服を着てくるのは変なこと?

上記の本の教えに、「人生は短い。お気に入りの服は毎日着るべし。気に入っていない服を着るような時間的余裕は人生にはない」というものがある。

久々にページをめくって、どうしてもウマが合わなかった上司のことを思い出した。

一緒に働いていた綺麗なおばさまのお洋服に、「職場にブランド物の服着てくるんだよ?信じられない!」と言っていたのを聞いて、
あぁ、この人はあの本とは全然違う価値観で生きている人なんだ、
わたしはこの人とは合わない、と悟った。
おばさまは意に介していない様子だったけど。

人生は短い。私でもあと、たぶんたったの60年くらい。
おばさまは私よりうんと年上の方だったから、もう本当に、来年の同じシーズンを健康体で迎えられる保証なんてなかったんだと思う。

だから、無駄にできる日なんて一日たりともない。
お気に入りの服を少しでも楽しむために、職場に着て来たんじゃないかと考える。

考えてみてほしい。
お気に入りの、たとえば半袖の洋服があったとする。
それを「休日のみ着てよい」とすると、ちょうどよい気候の休日は年間で何回?
そもそも来年も同じ体型の保証がどこにある?

そして、そんなとっておきの服が、クローゼットには何着ある?

それを「平日にも着て良い」とするだけで、単純計算で2.5倍に増えるのだ。

(あと、私は貧乏性なので「着ない服をしまうためのスペースにも家賃は発生する」というのもある。使わないものをしまっておくくらいなら、同じ家賃で広い空間を使って生活したい)

心が貧しいから嫌なのでは?

そもそも、そのおばさまの服は、そんなに華美なものではなかった。それこそシックで、ご本人にも似合っていて本当に素敵だった。
たとえばすごく肌が露出しているとかでもなかったし、そもそも私たちの仕事は内勤だったので誰か取引先の人に会ったりもしないため、みんなTシャツやパーカーで仕事していた。

じゃあ、「職場にブランドものを着ていかない」というのは、なんのためのマナーなんだろう。
同じ給料で生活しているのだから、それをブランド物の服や靴に使おうが自由だと思うけどなあ。

私に必要なものは、私が決める

ちなみに、この上司は、↓の投稿で書いた「職場でずっと誰かしらに怒っている上司」と同一人物。

だから余計に、出勤するたびに嫌なことが目について、気になって気になって。
私までイライラしてしまうし、
私はイライラが身体に溜まって悪さをして動けなくなってしまう病気(解離性障害)だったので、1年足らずで離職しました。
今は環境の良い、誰もイライラしていないところで働けているので、結果転職は大正解でした。

現状に満足できない人ほど、周りへの文句が多いよね。
そんなに嫌なんだったら、自分もおしゃれを楽しめばいいのに。

なんて、老婆心かしら。(上司のほうが年上だけど)

私の身の回りには、心が満たされるものしか置かない

私自身は高価な服を着ると、怖くて不安で逆に心が擦り減っていくから、ブランドの服は着ないけど
安くてもシルエットがきれいで、私がとびきり気に入っている服でクローゼットを固めている。
さすがに10着なんてことはないけれど、数もかなり少ないとは思う。

服もそうだし、靴も、バッグも、文房具も。いらないものは定期的に断捨離して、わくわくするものを買いそろえて。

だから、あの職場では毎日似たような黒い服に黒い靴、化粧っ気のない顔の女上司の顔を時々思い出す。
あの人、休日も、そんなにおもいっきり心が満たされる服なんて選べないんじゃないかなあ。
どこか自分でブレーキを踏んでしまうんじゃないかなあ、と。

これは、まだイライラが残っている私の、ささやかな復讐のnote。
私は今日も、自分のだいすきな自分を生きていると、書き残して復讐を終える。


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