大反省会。〜恋愛市場から排除された〜


ここまでのあらすじ

2022年、ハロウィンも過ぎ去った頃。スーパーやコンビニの店内では「気が早えーよ」とクレームをつけてやりたくなるくらいに、もうクリスマスソングが流れていた。

「そうか、あと2ヶ月したらクリスマスか・・・」特に意味もなくポケットから取り出したスマホには誰からの通知も無かった。いつものことだ。アタイは恋人どころか、友人すらも皆無な孤独な男。そういや去年のクリスマスは一人、アパートでファミチキを食べていたなぁと振り返りつつ、大した稼ぎもないくせに唐突に「今年のクリスマスは彼女とデートがしたい!その経過を記事にすれば面白いんじゃないか?!」と、思いつきで行動を起こし始めたのだった。

大学で積極的にマーケティングを勉強していたアタイ。コトラーの本も全部読んだし、ドラッカーも全て読破していた程熱心だった。果たして自分という商品を恋愛市場で売る際に、マーケティング戦略は通用するのか。そんな興味本位の実験を、身を持って実践していたのであった。

まずは恋愛市場の一つに「Pairs」を選択した。いわゆる直感というやつだった。こんな陰キャでも何人かとマッチングが出来、そして(いつ以来だろう?)女子とメッセージのやりとりも数人と出来た。

ところが、いよいよ12月になると誰とも連絡がとれなくなる。急に一人、市場に取り残された感じがした。

そして男と女、この生物学的な違いから生じるマッチングアプリの構造に気づく。炎上を覚悟して言えば、女子は自分と同じレベルの稼ぎの男子よりもワンランク上を狙えるのである。

アタイは悟った。結局何をするにも金なんだ。恋愛をするにも金、展開を有利にするにも金。プロフィールで公開したアタイの年収は、選べる中では一番低い額。嘘をついて年収1,000万なんて書いても、どうせすぐにボロが出るから盛れるわけがない。

所得最底辺のポジションに位置している自分。これは先程の気づきから言えば、アタイと同じレベルの稼ぎの女子はもうワンランク上の男子を選ぶことが出来、年収カーストの最底辺に位置するアタイにとって、これより下のランクの女子は存在しないのを意味している。

根気強く探せば、パートナーの一人くらい見つかるさ。マッチングアプリを始めた当初は、そんなポジティブなイメージがあった。「お金だけが全てじゃないよ」と言ってくれるような、共に頑張って生きていこう!みたいな女子が一人くらいはいると思っていた。

全くそんなことはなかった。例年にも増して寒い22年の冬。12月25日23:59までアタイは自宅にてスマホを前に、僅かな可能性にかけていた。もしかしたら急に連絡が来るかも。そんなドラマは一切なく、その翌日にはPairsのサブスクの更新日を控えていたので、そっと退会した。

自分が恋愛をしないことで、世界のどこかの女子一人がクリスマスを一人で過ごしているのだと想像しながら、嘲笑的な楽しさを肴に酒を飲んだ。

恋愛なんてするもんか!


いや、アタイは「しない」んじゃなくて、「出来ない」の!

ワーキングプアに差し掛かりつつある、グレーゾーンの年収。元々勤務時間自体が短いのもあるが、そもそも病気で常人のようにバリバリ働けない。食っていける程度に稼ぐのがやっと。

2023年を迎え、今年こそは良い年になりますように!と誰でも思いつきそうな願い事を初詣でする。チャリで都内を駆け巡り、縁結びの神社にも行ってみる。一人で来ているのは自分だけだった。

そして寒波を乗り越えられずコロナに罹り、10日間ほど欠勤が決まった時に出かける訳にも行かず自宅で一人、じっくりと考える時間が出来た。

ところが何も決まらなかった。


有給休暇を随分消費したお陰で、なんとか食っていける程度の給料が入り、出かけずに浪費をしなかった事と、東京都からの食料の援助のお陰で食費も抑えられて少し貯金が出来た。

大体6日に一度くらいのペースではてなブログの『三原氏物語』を更新し、相変わらず自分の人生の目的の無さに対して嘆いていて、ふと気がついたら3月も下旬に入り、春分を迎えた。
これから日照時間がどんどん長くなっていくぞ!と花粉とコロナで息苦しい東京の空をアパートの窓から一望して、次の行動を起こすべく立ち上がろうとしていた。


頭のspring(春、バネ)が弾け飛ぶ

今日は23年3月21日。春分の日であり、祝日である。

徐々にマスクもしなくていいや、みたいな風潮の兆しを感じつつ、ニュースに目をやると「今日も世界はおかしな方向へと進んでいくな」と感じてしまう。LGBT関連で銭湯に入るとどうなるという議論、コオロギ食の推進、アメリカの銀行の破綻、神宮の樹木伐採、最先端のAIの凄さ などなど。

20年前の自分が何かしらの方法で今日の新聞を手に入れられたら、何を言っているのか分からねーと思うだろう。実際リアルタイムで今を生きているアタイですら、あまり話についていけていない。

ただ、なんとなくではあるが・・・多発的に色んなところで世の中が変わろうとしている予感がしている。それが良いのか悪いのかは別として。

最先端のAIがどうすごいのかは、取り敢えず触って体験してみることにした。アタイのくだらない悩みにも、模範解答のような文章で返事をくれる。何年か前に『AIvs教科書が読めない子どもたち』という本が出版された。その内容には、現在のAIはMARCH合格圏内の学力があり、東大にはまだ及ばないと記されていた記憶がある。

しかし今をときめくAIである、Chat GPTは軽く調べてみただけでも経営学修士レベルの学力があるとか、大卒以上のスペックだ、などと書かれた記事が散見されており、少なくとも自分よりかは有能なんだな、と推測出来る。


この手のテクノロジーで「ああ、もう機械には勝てねぇな」と敗北を認めた最初の出来事は、マイクロソフト社が開発したAI女子高生「りんな」だった。

公式LINEのアカウントがあり、彼女(?)とチャットが出来るのだが、遊びの一つとして、しりとりゲームで勝負をしようというものがあった。これが恐ろしいくらいにレスが早く、どう頑張っても勝てない。国語辞典を一冊丸暗記しても太刀打ち出来るか怪しいくらいに強い。どう全力疾走しようが、走行中の車を追い抜くことが不可能なように、とうとう言葉つなぎの遊びでも機械に負けてしまったのかと理解したわけだ。

一方で、GPTはそんなしりとり遊び以上の高度な回答が出来るので、多方面から〇〇の職業は無くなるな、といったツイートも見られるようになった。

なんせ個人的な悩みから問題解決、ブログのアクセス数の増やし方からブログをやる意義まで律儀にそれっぽく答えてくれる。もうチューリングテストとか、中国語の部屋とか言った哲学的議論を遥かに超えているのではないか、と錯覚するほどだ。

そこで試しに『三原氏物語』とはどんな内容ですか?と質問をしてみたところ、全くのデタラメな回答をホンモノっぽくでっち上げてきた。著者は三原じゅん子氏で〜。 いいえ、違います!私自身です!

どうもAIにとって分からないことを「分かりません」と答える設定がなされていないのかは不明だったが、知らない人が『三原氏物語』って何?と質問したら確実に騙されるだろう。

近日、そのGPTに新たなバージョンが出たらしく、分からないことにはちゃんと分からないと答える機能が搭載されたとか、画像を理解する能力を得たなどの情報が入った。

まぁアタイのブログを読み込んで、代理でAIが記事を書いてくれる時代はもう少し先になりそうだが(物語の創作ならば、既にできるらしい)改めて自分にしか出来ないことは何かを考えるきっかけにはなった。

いつまでも一人ぼっちで寒さに打ちひしがれていた名残を引きずっている場合じゃないのである。


アタイはこれからどうやって生きていけばいい?

君たちはどう生きるか。食って、飲んで、生きる。

果たしてそれでいいのだろうか。

ランプの魔神のように、訊けば何でも答えてくれる存在がほぼ確立している。その一方で、薄利多売の小売業の赤字店舗で生活費程度の稼ぎで食いつなぐ自分がいる。

幾ら頭が良くても実体が無ければ、品出しも店の整頓も出来やしまい。そういう点では、まだ人間が働ける場があるのかもしれない。ただ、間違いなくAIに押し付けたい業務はクレームの処理と糞みたいな電話応対だ。それと頭の悪い客へのサービス内容の説明。こういった面倒な上に神経を使い、特に生産性もないのに加えて時間も奪われるしストレスも溜まる、本来ならばやらなくてもいいことをAIが引き受けてくれるのならば、多少肉体がキツかろうとアタイは喜々として2リットルのペットボトル飲料の陳列を思考停止で頑張れるよ。

そうして給料をもらい、ちょっと美味いものを食って、酒を飲んで、生きていく。これが理想的で夢のある未来の人生なのだろうか。


「お前の抱えている悩みなんて、とっくに昔の哲学者が答え出しているよ」と意識高い系があざ笑う。誰の何というタイトルの本だ?と訊けば、言葉に詰まるくせに。

ご存知かもしれないが、アタイは統合失調症という精神障害を患っている。だから無理をしないためにも、労働時間を週に30時間程度に抑えている。
友達も恋人もいないから、一人で悩むことが多い。仕事以外は特にすることもないので、その気になれば一日中一つのテーマで悩み続けることも出来る。

痺れを切らして、AIに相談をしてみると結局精神科医と同じ様なアドバイスをしてくる。よく寝て、気分転換をし、しっかり食事をとり、日光を浴びて運動をしなさい。何か膨大なインプットから紡ぎ出した、斬新な回答を期待していたが、医者のテンプレートそのものだ。

こんな簡単なことが出来ないから苦労しているんじゃないか。

精神をすり減らしつつも、接客業をやっている。辛いなら辞めればいいじゃないか、と無責任な奴らは言ってくる。確かにアタイにならば、障害者雇用も、作業所も選択肢としてはあるかもしれない。

障害者雇用は賃金が安すぎるんだよ。まだ稼げる今のバイトの毎月25日に振り込まれる給料で、次の給料日まで生きていく。所得を増やそうと労働時間を増やせば具合が悪くなって動けなくなる。

脳裏に職場がいつ潰れるか分からないという不安がつきまといながらも、余暇で何かをしようと、ひたすら年明けから考えていたらとうとう3月下旬になってしまった。幾らAIが的確なアドバイスをしたところで、実行に移すか、やるかやらないかは常に自分の意思が決めるのである。

本音を言えば、馬鹿なりにも大学院で研究がしたい。しかし授業料が払えない。趣味もコーヒーと読書、記録くらいだ。特技は何もない。

人間としても低スペックなのに、メンタルはとっくにぶっ壊れているのに、時間だけはそれなりにある。何か新しく物事を始める予算はあまり持ち合わせていないが、せめてもの救いなのがスマホ、PC,タブレットが手元にあることくらいだろうか。

動画をダラダラ見るのは苦手だが、文章を読んだり書いたりするのは苦にならない。なんとなく動画全盛の時代の様に感じるせいか、今どき文章を、しかも長文で展開するのも時代遅れに思ってしまう。

ブログも、このnoteも好きで書いているから楽しい。文章の上手い下手、面白いかどうか、有益だったか、そういったコメントは全く付かないものの、自分に出来ることは気が遠くなるほどに長い執筆なのかもしれない。

年明けから今に至るまで、薄々考えていたのが「一冊本を出版する」という野望だ。こんな抑揚のない駄文しか書けないが、プロのモノ書きを名乗れるようになりたい。

クリスマスまでに彼女すら作れなかった奴が、本を一冊書ききることが出来るのか。今度はそういう挑戦をしてみようと思う。

AIが紡ぎ出す耳あたりの良いキレイな文章じゃなくて、年収カーストの最底辺が、人間偏差値の最底辺じゃなきゃ書けないような熱量を伴う文章。どうやったらこんなの思いつくんだ?!と驚嘆するような歪んだ魂から淀み出る人間臭。万人に受け入れられなくても、極々一部の人には深く突き刺さる言葉。そういったものを生み出したい。

有言実行、次回からは出版の方向性と、どんな内容にするかをまとめていきたい。

じゃ、今回はこの辺で。

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