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振り返ること

✳︎これは昨年7月11日に私自身が書き、
下書きに保存していたものです。
今朝下書き整理をしていて見つけました。

先日の「穴の空いた忘却」に引き続き
祖母のお話。
良ければあわせて読んでいただけたら。


「あれ、名前なんやっけ?」
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私の祖母は認知症です。
それでも、家族のことは覚えていて
私が家に様子を見に行けば
すごく喜んでくれます。

2年前、ハワイ留学から帰国して
1年ぶりに父とお昼ご飯を食べた日、
「おばあちゃん認知症やから」と。

それでハワイから出した手紙に
返事がなかったのか。

その後、まだ大学在学中で
1番時間に余裕のあった私が
通院に付き合ったり様子を見に行ったり。

今日の日付も昨日の出来事も
さっき話したこともご飯の作り方も。
祖母にとって当たり前だったことが
ほとんど分からなくなりました。

今まで当たり前だったことが
分からなくなることの恐怖。
私には想像がつかないくらい
不安で怖いに違いない。

そんな中でも祖母は
私に変わらない笑顔を向け
ヘルパーさんに感謝し
自分の息子の誕生日をちゃんと覚えています。

その祖母が私の名前を一度だけ
忘れたことがありました。

その日もいつも通りドアを開けてくれた時は
確かに「りんちゃん、来てくれたん〜」と
名前を呼んで笑顔を向けてくれて。

家に上がって、温かいお茶を飲みつつ
話している中で唐突に
「○○ちゃん、今日はどうやってきたの?」と。
それは父の従姉妹の名前でした。
つい不思議そうな顔をしてしまった私を見て
祖母はすぐ間違いに気付き
「あれ、違うよね、なんで間違ったんやろ」

私はすぐに思い出すだろうと
特に気に留めていませんでした。
なぜなら、今までたくさんのことが
分からなくなってきたけど
それでも私の名前を忘れたことはなかったから。

でも、少し考えた祖母が言ったのは
「あれ、名前なんやっけ?」

その時の私の感情は
いろんなものが入り混じっていて
複雑な色をしていただろうな。

名前を忘れられたことへのショック。
孫に名前を聞くという体験をさせてしまう前に
私がさっさと名乗れば良かったという後悔。
そして、遅かれ早かれこれが日常になる日が
来るのかもしれないという悟り。

その場は笑顔で名前を答えて話を続け
少ししてから祖母の家を出ました。
家を出た瞬間堪えきれなくなった涙。

いろんなことを考えて感じて
もちろん悲しかったし怖かった。
祖母の中から私がいなくなる可能性が。
でも、最後に思ったことは
「大切な人に忘れられることができる
そんな人生で良かった」

"忘れた"は同時に"覚えていた"だから。
忘れられて悲しいって
それまでその人にそれだけ大切に
愛してきてもらったからだと思うから。

いつか祖母は私の名前を忘れるかもしれない。
いつか私の存在は祖母の心の奥にしまわれて
出て来なくなっちゃうかも。
でも私は祖母が忘れていくその代わりに
隣でちゃんと覚えているから。
そうできることが幸せだから。

それに、祖母は今でも全て覚えている
心のどこかで。
.
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昨日祖母の家に行くとドアを開けた時に
一瞬だけ「誰だっけ?」なんて顔をした祖母を見て
思い出した大切な記憶でした。
R3.7.11 Marin Shirakamiの記録

振り返ることは時に優しさを、安らぎを、
そして未来を与える。
過去の自分に励まされることがあってもいいね。

Thank you for reading !

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