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新しく知った単語「掌編」

 ここに来て今まで縁のなかったジャンルのものにも目を通すようになった。その中の1つに「小説」というのがある。

縁がなかったといってもこの間「マイ本棚」を公開したように(このハッシュタグ企画は7月末まで開催中です)、いくらか偏りはあるけども小説の本を読んでいる・・・いや今振り返ると一種のブーム的感覚だったので「読んでいた」のほうが正しい。しかし文庫化あるいは単行本化したもの、つまりはメジャー化したものしか今まで読んでいなかった。そんな中noteでは違うジャンルも見てみようと思い「小説」という分野も見てみようということで最近いくらか読み始めた。

メジャーではない小説なので同人小説(?)と言えばいいのか、この辺の言い回しはよく分かっていない。呼び名はともかく小説をいろいろ見てみるとこれまで知らなかった単語に出会った。それが「掌編」というやつである。

  掌編小説・掌篇小説(しょうへんしょうせつ)は、短編小説よりも、さらに短い小説を指す。「短い短編小説」であるショートショートよりも短い小説とされるが、明確な基準はない。掌篇小説という名称は、中河与一が名付け親だとされ[1][2]、それまでは、岡田三郎が「二十行小説」、武野藤介が「一枚小説」などと呼称していた[1][注釈 1]。短編小説や中編小説にも、ごく短い小説が連続する体裁を持った作品はあるが、掌編小説は、より長い作品の要約や抜粋、一部分や小品文ではなく、それ自体が単独の物語として完結するものである[1]。描く作品内容・ジャンルは多岐にわたる。(wikipediaより)

ちなみにショートショートというのはリンクから辿ってみると「一般的には原稿用紙20枚程度以下の作品」のことのようだ。ショートショートという単語は前に目にしたことがあったのでうっすら覚えていた。星新一が代表例として上がっていたのでちょっと納得した。

 日々多くのnoteを見る中で「小説」は他のnoteジャンルに比べてじっくりと読まなければならないということに気づいた。相手の心情や世界を理解するのにはエッセイ・コラムのようなサッと読みは適さないからだ。後はじっくり読む分集中力が問われるようだ。そんな中で自分が新しく知った単語が「掌編」である。かなり短い小説のジャンル故に集中力をそれほど使わなくて済む。もちろん短編や長編を嫌っているわけではない。このあたりもじっくり読みたいが自分の中では他のnoteもいろいろ目を通したいという欲がある。それを考えると掌編というのは手軽で読みやすい。

 ただ作り手の目線から「掌編」を考えると短いから故に難易度が上がってくるようだ。wikipediaにはさっきの続きとしてこのような記述があった。

  掌編小説は、日本文学の和歌・俳句・川柳の伝統から鑑みて、日本人に合っている文学形式だと言われる[1][4][2]。しかし、形式が短いからといって、内容まで小さく短い小品文となってはだめで、小説になっていなければならない[2]。これは十七文字の俳句が、千万言を費やした風景描写よりも力強く広大な世界観を持つ場合があることと同様である[2]。

短ければ短いほど難しい、そんな世界を垣間見ました。

最後に長編小説を公開されている方々すみません。読むことに気合をいれなきゃいけないと無駄に力んでしまい本当に読めてません。短編と称されるものでも結構自分の中でギリギリです。どんだけ集中力ないんだ自分・・・。





#日記 #エッセイ #コラム #小説 #掌編 #集中力なさすぎ問題

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