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筆記試験を受ける時、「開始してください」と言われる直前には妙に手持ち無沙汰な時間がある。 机の上には筆記用具、問題用紙、解答用紙だけが置いてあり、そこには静まりかえった空間だけが存在する。 この何をしていいのか分からない時間は他では味わえない不思議な時間だ。例え直前にどんなにざわついていたとしてもこの時間だけは本当静かになる。 先日「語彙・読解力検定」の試験会場はまさにこのような感じだった。直前までは思い思いの方法で過ごしている中、監督官の説明が始まると今まであった音が
定期的に訪れるアンニュイな期間。この時期は普段の2,3倍は気合を入れないと乗り切れないような気がする。 アンニュイというのを調べてみると「退屈、倦怠」という意味になるそうで、今日のように露骨に投稿時間が朝ではないときは休みかつ、深夜11時も過ぎないとnoteを書く気がないような状態になることが最たる例である。 そんなときはフラフラとインターネットの海を漂うことが多い。アンニュイでインターネットを漂うというのは一種の幸せのような、海の上に浮かんでいるボートの上に佇んでいるか
ストック0の毎日更新!なんてキャッチフレーズになりますか。 ふと思ったことなのですが、自分のnoteにストック記事というのは存在しません。例えば先日の「明朝orゴシック」のように少し力を入れようと思ったnoteは書きかけで、寝る前と起きてからという感じで書くことはたまにあります。ですがこれをストックと呼べるのかというのは正直微妙なところ。 ストック記事というのは完成されいつ上げても大丈夫な記事のことだというイメージがあります。皆様の中にも、こういった感じで書き留めている
突然ですが、皆様はSNSの中で良かったことや悪かったことどんなことがあるでしょうか。 今回は書評とは少し違う形で一冊の本を紹介しようと思います。 モテクリエイターと名乗るゆうこすさんの「SNSで夢を叶える」という本だ。SNSの本といえば以前「SNSの真理」というnoteで紹介した「SNS絶対6ルール」があるが、SNSということで関連した本と言える。 実はこの本に関しては「表紙のはずかしさの裏側で」で紹介した「僕の仕事はyoutuber」の時と同様、妙な恥ずかしさ
顔を出すか否か。 いろいろなSNS関係の本を読んでいて毎回言われているのが、プロフィールの写真についてだ。以前にも書いたこの話題。またしても悩んでいる。定期的なイベントのようだ。 結論から言うとどの本でも比較的顔を出すことを推奨している。実際noteでもいわゆる普通のアイコンから自身の顔写真へといつの間にか変わっていったという人は多い。 顔写真がダメなら顔のようなイラストにすべきとのこと。こちらも最近増えてきているように思う。最近いろいろな方々のプロフィールを勉強も兼ね
四六時中noteというか自分、すなわちmigminのことについて考えている。その中で一つ気づいたのが「書けるという安心感」を良いのか悪いのか持ってしまったということだ。 この「書けるという安心感」とは何か。それは何も用意をしなくても家を出て仕事場に着くまでにはnoteを一本書き上げることはできるだろうという気持ちのことだ。 家から仕事場までは大体1時間半〜2時間、今まさに着くまでの電車の中でこれを書いている。今から30分ほど前、家を出たばかりの自分は「まぁ、着くま
毎日更新をすることは今となってはそこまで難しいものではない。 そんな中で一つのnoteを見つけた。 世界24カ国50都市を旅したあゆちきさんのnoteだ(※あゆきちさんではない)。あゆちきさんも自分と同じく毎日noteを更新する方であるが危うく更新を忘れそうになったらしい。余談ですが「習慣化するまでは3のつく数字がポイント」のことが書かれており、この前の3のつく法則のnoteもあながち間違っていないのだなということを実感した。 さて今回は自分のnoteを書く時間として
インターネットの海に溺れながら朝を迎える。 しばらく続くインプット期。前に買った本の中の一冊を8割ほど読み終わったので簡単に紹介していこうと思う。 昨日のnoteで読んでいたのはこちら。タイトルは「SNS絶対6ルール」。書いたのはソーシャルメディアプロデューサーという肩書きを持つ生駒幸恵さんという方だ。 まず今の時代それぞれが自由な肩書きを持つ時代の中ソーシャルメディアプロデューサーという肩書きの誕生に驚きがある。SNSにおいての写真の撮りかたを指導すると同時に、自身も
noteを初めてそろそろ半年が経つ。自分のテンションは正直上がったり下がったり、毎日更新していても文章にテンションが現れているような気がする。本当いつも読んでいる方々には感謝している。またこのnoteではじめて自分を見る方には「ようこそ!」と言いたい。 毎日noteを書くというより毎日何かしらのこと、いわゆる習慣化というのは3のつく日数がターニングポイントになっているように思う。自分はこれを「3のつく法則」と読んでいる。この時期を意識することでより習慣を確実に長続きさせ
見てはいけないものを見てしまったとき、人はどんな顔をすればいいのか。あくまでも偶然であり反応に困ってしまった。 話は数日前にさかのぼる。その日は仕事帰りで電車に揺られていた。やや混雑していた車内で目の前の男性のスマートフォンの画面に目が留まった。その方はどうやらtwitterでつぶやいているようだった。 つぶやいている内容が見えるぐらいの距離感だったのでその人のつぶやきをふと見た。どうやら映画をついさっきまで見ていたようでその感想をつぶやいているようだった。内容も
たびたび書いているような気がする「自分のnote書き方裏話」、毎日の更新を重ねることで書き方も洗練されている・・・気がする。そんな裏側を少し書こうと思う。ちなみに前回書いたのはおそらく「noteで書く裏側を少し」というnoteで実に3ヶ月ぶりになる。そんな2017年9月バージョンの話。 さて前回の書き方についてのnoteを見ると「タイトル」に悩みながら書いていたり、いろいろやっているようだが、結局のところ毎日を書く時に心がけているのはノッてきたものをそのまま書き上げると
休みになるといつもそうだ。 休みになると更新時間が恐ろしいほどにずれる・・・という何度目かのnoteだ。 一日一回更新するだけ(?)なので、そうではないが最近更新時間をずらすとある弊害が生まれることが分かった。それはアクセス数だ。 noteのアクセス数を見るときはダッシュボードで見ることになる。noteの集計は一日に2回更新され、表示されるようだ。ちなみにこの一日二回の更新は午前4時前と午後4時前「ぐらい」に更新される。例えば今日みたいにその日の投稿を午後4時以降に
「二日前の夕飯なんでした?」 記憶力の診断か何かでよく聞かれる質問だ。正直は自分は覚えていない。必要のないことだからというのが理由なのかもしれない。 さて自分の記憶力は曖昧ですが、作ってくれる夕飯への感謝も込めて平日の夕食を撮ってみました。自分は実家ぐらしで夕飯は母親が作ってくれます。昔一人暮らしのときは自炊のようなものをしていましたが、すぐに崩壊したような記憶。 なお、家族の中で自分だけが午前0時近くと帰宅が遅めなので一人で食べています。これは夕食というよりも夜食か
先日の第二回覆面編集者大賞の内容はまだ見ていないのですが、アドバイスの一つとして「投げ銭にしたほうがいいよ」というのがあったそうです。詳しくはこちら。 これはあくまでもほしちかさんの場合ですが、それに問わず「投げ銭方式というのはいつでもお金を入れられそう」という思いを掻き立てるメリットがあります。一方で毎回投げ銭方式にしていることで評価を他人に求めすぎているのではないかというデメリットがあるように感じます。何回もお金の話が出てくると人はゲンナリするというか慣れれば感じな