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私を変えた出会い - 2. ジャズの巨人スライド・ハンプトン


私を変えた出会い

2. ジャズの巨人スライド・ハンプトン

2018年6月、西59丁目のジャズ・アット・リンカーンセンターで「スライド・ハンプトンの歴史をたどる」という講演会が開かれていた。主役であるジャズ界の巨匠、スライド・ハンプトンは当時86歳。私は興奮気味で聴講席にいた。ニューヨークにいると幸運な出会いに恵まれることがある。私は、巨匠スライドに出会うチャンスをいただき、当時彼が手書きした楽譜をコンピューターに入力してデジタル化する仕事を手伝っていた。彼のマネージャーのお招きで、私はこの会に参加できたのだった。

グラミー賞のみならず、ジャズの人間国宝的な賞「NEAジャズ・マスター」を受賞するまでに至ったトロンボーン奏者・作曲家の人生 … 写真や動画を豊富に用いながら、彼の一生が、解説されていく。心が踊った。私がスライドに出会ったのは彼が80歳を過ぎてからだったから、紹介されたほとんどが知らない逸話だった。

夢中で聴いていたら、ステージ上の本人が突然流れをさえぎって言った。

「僕の音楽の話は、もうココまででいいよ。」

驚きすぎて固まる司会者をよそに、スライドは続けた。

「僕の音楽なんて、もう昔の話だ。どうでもいい。あそこに座っている彼女、ミギ―は、素晴らしい作曲家で指揮者なんだ。」

へ?と固まる司会者。満席の聴衆も一気に「へ?」という顔になって、私を見た。

なんかアジア人の小さい子がいるけれども、彼女が何だって言うの?スライドみたいな偉人と、あのアジア人の子、何か関係があるの?(あるわけないじゃない)という顔。自由の国アメリカなんて、言葉だけで、実際には人種差別はたくさんある。黒人のジャズの巨人が、アジア人の女の子を指差して褒めるなんて、一般的な聴衆の頭の中ではきっと想像がつかなかったんだろう。

けれどスライド本人はそんなことを全く気にせず、いつものスライド節を炸裂させる。

「彼女はNYで自分のビッグバンドを率いている。指揮はまるでバーンスタインだ。彼女みたいな、今現在活躍している女性ジャズミュージシャンの音楽を僕たちはもっと聞かないといけない。現役の音楽家が今作っている音楽をもっと聴いてくれ。彼女たちこそ、音楽の未来だよ。」

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真ん中が講演中のスライド

その後司会者がどう話をまとめて、どうやって終わったのかを、私は一切覚えていない。上に引用したスライドの言葉も、細部が間違っているかもしれない。

生きてて良かった、とか、NYに来て良かった、とか、会社をやめて音楽家になってよかった、とか、とにかく人生のすべてのイベントを「良かった」と肯定する気持ちが溢れて、思考回路が飛んでしまったのだ。講演会場のパイプ椅子の上でたくさん泣いてしまったのだけは、覚えていて。

私はまだ何者にもなれていなかった私にとって、これほどありがたいサポートはなかった。アジア人差別と女性差別で私はあの頃すっかり萎縮していて、彼がくれたような一切の差別がない心からの支援を、何よりも望んでいたのだと思う。


。。。。。


私の世界を揺るがす連絡が入ったのは2021年11月20日土曜日の午後2時ごろだった。お気に入りのカフェで仕事をしていたら、スライドが亡くなったと連絡が入った。間違いだと言ってほしくて、すぐに仲良しのサックス奏者フランク・バジールに電話したら、彼は挨拶もせず「そうなんだよ、そうなんだ」と言いながら電話に出て、落ち込んだ声をしていた。

スライドと親しかった五人ほどにどんどん連続して電話したが、誰も、ニュースは嘘だよ、スライドは生きているよ、なんて、言ってくれなかった。最初はぼんやりとぼやけていた喪失感の輪郭が電話を重ねるごとに濃くなっていった。認めたくないが、認めないといけない気がして、ニュースを知らなそうな人にわざわざ電話して報告して、一緒に泣いたりした。その後は思い出の写真を沢山引っ張り出してきて、深夜まで眺めた。

2日たった今日もまだ混乱しているから、私は、思い出を綴ることで気持ちを整理することにした。

。。。。。


スライドは多くの人にとって神のような存在で、崇め奉る対象だったけれど、スライド本人はそんな扱いを好んでいなかった。

若い頃は売れっ子すぎて忙しく、体系的に作曲を勉強する時間を確保出来なかった!といつも後悔していたスライド。「ミギー、僕に作曲のレッスンをしてよ、もっと上手に書きたいんだ」と会うたびに言っていた。40歳年下の、アジア人の私に、だ。

畏れ多い!とか、まさかそんな!とか、彼をがっかりさせる返事ばかりが最初に浮かぶのだけれど、脳内で急いで消去して「私で良ければいつでも」と答えるよう心がけていた。でも実際に会いに行くと、最近体調はどう?野菜も食べてね?みたいな話になってしまって、一度も作曲の深い話は出来なくて「スライドが、ミギーが作曲のレッスンを全然してくれないって怒ってたよ」と友達が半笑いで電話してきて焦ったこともあった。


2018年のある日「スライドがビッグバンドをやりたいって言うからさ。集まって練習することにしたよ。」とテナー・サックスのSam Dillonが言うので、ニュージャージー州で実施された合奏に遊びに行った。来てくれるなら指揮してよ、と頼まれ、あっという間に私はSlide Hampton Big Bandの指揮者になってしまった。


数ある彼の曲の中で一番好きなのはFrame For the Bluesで、この曲を指揮した時は、音が皮膚から吸い込まれていくような感覚があった。ハーモニーもリズムも、指揮と一緒にぐんぐんグルーブして、音の波の中で私は自分を世界一幸せな人間だと感じていた。

楽曲には「人となり」が出る。

スライドが書く音はインテンス(密度が濃い)で、厚みと濃さを感じる音の積み上げ方だった。良いことから良くないことまで、ありとあらゆる経験をしている人にしか書けない音だと私は思っていた。自身がスーパープレイヤーだったので難しい音も多くて、演奏家は楽譜を見てひええええ!!!とよく叫んでいたけれども、彼の曲はしかし、テクニック重視では決して無かった。むしろ感情重視だったのでは、と思う。スライドの人生の話を聞いた時に浮かぶ色あいと、彼の音の色あいは、私の中では全く同じだったから。密度が濃くて、厚みがあって、激しい人生だったんだろう。


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指揮する私。青いセーターがスライド。私の右奥がなかよしのフランク・バジール(Frank Basile)。


巨匠スライドの曲を演奏したくて一流メンバーが仕事を放り出してまで合奏に集まっているのに「ミギーの曲も演奏しようよ、楽譜を持ってきてよ」と言われて困ったり、同じことを他の若手作曲家にもどんどん言ってしまうスライドを見てますます困ったり、とにかく若い人から学びたい、もっと学びたい … スライドはそれだけに集中していて、そんな彼を、私はいつも横で見ていた。彼を慕って集まってくる山のような音楽家と彼の談笑を見ては、私はこういう80代になれるだろうか...といつも思っていた。

スライドはアジア人女性バンドリーダーである私が自分のバンドの一番前で堂々と指揮する姿をすごく楽しみにしていた。本当にありがとう、と、いつも、感情の重みを乗せたありがとうを言ってくれた。彼が大げさな言葉で褒めてくださるたびに私は面食らって、でも「スライドが褒めてくださった事実を受け止めよう」と深呼吸して、背筋を正して、それを何年もやっているうち、気がつけば、アジア人差別も女性差別も跳ね飛ばしてガンガンやれる強さが育っていた。

後にトロンボーンのPeter Linとバリトン・サックスFrank Basileと3人でこのバンドのプロデュースをすることになって、2018年9月3日にコンサート日程を定めて練習しはじめて…訳合ってそれが飛んでしまって練習が一時休止になって…

まさかこれが、彼の人生で一番最後のバンドになるだなんて、当時は誰も知らなかった。

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スライドと私。いい顔!!


そういえばこの記事をしたためる2日前に、断捨離していたら彼の曲の楽譜が出てきたのだ。スライドが去ってしまったら私がどれだけ寂しがるか、スライドはよく分かっていたはずで。だからこの形で挨拶に来てくれたのだろう、と感じた。

あの時すぐに電話すれば、きっと話せたんだ。どうして私は電話をしなかったんだろう。

スライドの仕事を手伝い始めたのは2013年。2015年ごろには、スライドは私の電話番号を登録してくれていて、電話すると名前が表示されていたのだろう、会話の一言目が冗談から始まるようになった。引っ越し先が見つからなくて私が困っていた時は「セントラルパークに寝泊まりする決意は出来たかな?」が一言目だったし、ある時は練習してあったらしい「KONNICHIWA」を披露してくれたし。

次に言うのはいつもAre you writing?(新しい曲書いてる?)で、必ず I am writing(僕は書いてるよ)と続いた。

直近の会話では、スライドはビッグバンドのライブをやりたいな、と言い出して、私が大喜びでやろうやろう!と答えると、とてもうれしそうだった。

レッスンの約束も果たしていないし、新曲を書いて知らせる約束も果たしていないし、不履行の約束ばかり、残ってしまった。 

もしあの時電話していたら、最期の一言は一体何だったのだろう。

※このエッセイは「私を変えた出会い」と題した短編エッセイシリーズの1つです。次は誰の話を書こうかなあ、と考えていたら、愛するSlide Hamptonが天に召されてしまったので、彼の話にしました。偉人とは思えない勉強熱心さで皆を圧倒したスライドのエピソードを、お読みいただいて光栄です。ヘッダーのイラストは親友の 坂本奈緒 が描いてくれました。

他のシリーズは以下から御覧ください。

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