世界的ジャズ作曲家Jim McNeely先生から学んだ35のこと
「この人あってこそ」というキーマンって、きっと世界のどんな文化圏にでも、居るのだと思う。
ジャズ作曲の世界にもお一人いらっしゃる。押しも押されぬ誰もが認める、ジャズ史に残る最高の鬼才がひとり。最も愛される教育者でもある。
その人の名前は、Jim McNeely(ジム・マクニーリー)。
で、この方、なんと、私の恩師。私だけでなくNY近辺のいくつもの音大とBMIジャズ・コンポーザーズ・ワークショップという場で天文学的な数字に登るジャズ作曲家を教えてきた。40年以上先生をされていたそうだ。そのJim先生が、最も長く教え続けたManhattan School of Musicという学校を今季で引退することになり、昨日はその記念コンサートが同学校で実施された。
私はあまりにジムと親しいので、それをあまり公言せずにきた。自分がファンだったら、誰かひとりの生徒とだけ特に親しいなんて嫌だろうなと思ったからだ。
でも、これから私は貴重な「ジムが現役で教えていたころの生徒」になってしまうから、もっと情報をシェアしていかなければと思った。それでこの記事も書いている。
コンサートでは彼のシグナチャーであるビッグバンド音楽だけでなく、弦が入った音楽や10人編成のバンドなど様々な音楽が聞けて、改めて彼の素晴らしさに驚愕し、号泣。バンドには日本からNYに来た仲間寺久保エレナちゃんがいて、めっちゃ素晴らしいソロを取っていたので、そこでも涙。
誰の真似をしておとなになるか - これはすごく大事
最近つくづく思うのだけれど、学びの時期に誰と出会うか、それが人生を形作り、その影響は甚だしく大きい。だから、会いたい人がいるような街に、住まないといけない。私はジムとwifeのマリーがいるNYにやってきて、本当によかった。
冗談ばかり言ってゲラゲラ笑って、でも人生の真髄を突くことをいつも言っていて、政治や社会の話も真剣にして、仕事は10000%良いクオリティで仕上げる - 二人共そういうおとなで、彼らのおかげで私は「こういう人に将来はなるんだ」と目標を持てた。
私は文化庁の「新進芸術家海外研修制度」でNYに渡ってきた。その1年間の研修中、作曲を教えてくれたのがジム。その間Vanguard Jazz Orchestraも私を一年間研修生扱いにしてくれて、毎週生演奏を見せてくれた。国内国外の全てのツアーに一緒に着いていき、生活をいっぱい共にして、ジムとは片道5時間かかるコネチカット州まで一緒に車で行って、帰ってきて、ジムのお家に泊めてもらって翌日マリーも入れて3人でお散歩に出かけたこともある。作曲のテクニックだけでなく、人として、どんな人になりたいか、それをどう音楽に入れていきたいか、私の理想は、ジムを見ている間に作られた。子が親を見て育つように、私はジムを見て育って、自分の価値観を作り上げてきたのだ。
その後私は2年ほど、ジムのアシスタントを務めることになった。これも楽しい日々だった。ジムは「本当に細かいミスまで拾うけれども、これは、楽譜の作り方についてこの機に全部教えたい、伝えたいからなんだ。小うるさい嫌味な先生と感じてしまったらごめんね」なんて言ってくださったので、どれだけ感謝しているかを一生懸命当時の語彙で伝えたりした。
アポは大概ランチタイムの前後で、ジムと私は頻繁に近くのレストランに食事に行った。一番好きだったレストランにきのこステーキのサンドイッチがあって、あれは、今でもまた食べたいもののひとつだな。
ジムとマイクの友情から学んだこと
NYの最初の3年間は、BMIジャズコンポーザーズワークショップというものに参加していた。ビッグバンド作曲家の登竜門で、ほぼすべての作曲家が、ここ出身だから驚かされる。詳細はこの記事を是非ご覧いただきたい。
ジムはこのワークショップの音楽監督を直接ボブ・ブルックマイヤーから引き継ぎ、20年以上(確か27年)務め、前述のマイク・ホロバーが最後15年ほどの副監督だった。現在は別の講師陣にバトンが渡り、すっかり違う内容になってしまったが、あのジムとマイクの時期を黄金時代だという人は多い。私はそのラスト3年に駆け込めた二人と最高の時間を過ごした。
NYが大量に素晴らしい作曲家を排出し続けている理由は、このワークショップを長年ジムとマイクが担当していたからだ。審査に合格すると最大で3年までジムかマイク(もしくは両方)が、毎週レッスンしてくれて、ふたつきに一度は自分が書いた曲の試演奏をしてもらえるという豪華な内容だった。
二人揃って教えることが出来た日は、二人は必ずいっぱい引っ掛けてから帰っていた。私はそれに着いていくのが好きだった。ジムは大概ワインで、マイクはビール。私はお茶を頼んで、何を話すでもなく、二人がすごく仲良く音楽の話をするのを見ていた。
最初の3ヶ月くらいは実は、二人のスピードについて行けず、何を話しているのかさっぱり?な日も多くあった。それでも、私は毎回着いていった。だってその場に一緒にいたかったから。世界的な音楽家が二人揃っているその空間に一緒にいて、笑顔で語り尽くす二人を見てただニコニコお茶を飲んでいるだけで、幸せだった。後からだんだん二人の話が聴こえるようになってくると、指揮法とかスコアのレイアウトとか、大事なことを話していることが分かってきて、たくさん勉強になったっけ。あれは本当に楽しかったし、たっぷり時間があった、仕事のないあの頃の私じゃないとできないことで、あんな日はもう二度と来ないんだろうと思うと涙が出る。当時から貴重な時間だと思ってはいたけれど、こんなに貴重だったなんて。
コンサート後、マイクと、全然ジムにはなれないね、という話を笑いながらした。マイクほどの人でもジムにはなれない。そのくらいジムは天才で、あのThad Jonesも若い頃のジムを「この人は世界中が知る人になる、今から名前を覚えておけ」と紹介していたらしい。
Jim McNeelyは人生と作曲の両方を教えてくれた。
私は本当にたくさんの時間をジムと過ごした。ジムと過ごした時間数で言ったら、全ての生徒さんを比較しても、私はかなり多いほうのはずなのだ。Vanguard Jazz Orchestraのツアーで2度一緒に日本に行って、休憩時間に一緒に銀座に買物に行ったり、お寺の見物をしたりもしているから。
そんな私がジムから学んだこと、もしくは今からマスターしたいと願っていることをここに記していく。35こにまとめたけれど、もっと出てくるかもしれない。彼の人柄を示すだけの、作曲には関係ない話もあるけれど、楽しんでもらえたり、役に立つ情報になったりしたら嬉しい。
Jim McNeelyから学んだ・盗んだ・もしくは今から盗もうとしている35のこと
1. プレイヤーを知ること。演奏スタイル、音、ソロのスタイル等だけでなく、その人柄を知ること。そうすれば、自分が書いた曲がその人の遊び場になり、そこでその人に楽しく遊んでもらうことができる
2. 良い人であり、良い音楽家であれ - この2つを同時にすること - それって可能なことなんだよ
3. 難しいことは、最もかんたんでユーモラスな表現で伝えること
4. 家族第一
5. 愛と尊敬を自分のパートナーに伝え、それを楽しむこと
6. 作曲するなら、曲の中におかしなな箇所を作ることーそれは素晴らしいチャレンジだし、楽しいし!
7. ソロの始まりにバッキングのアンサンブルを付けるのは、全然ありなチョイス(注:コレは伝統的なビッグバンド音楽でのやり方の真逆だけれど、気にしなくていい)
8. 超かっこいいベースラインを書くべし
9.基本から始めよ
10.と同時に、音楽にはたくさんの例外があることを知っておくこと
11. 誕生日にはカウント・ベイシーのアルバムを流す(特にDinner with Friends)
12. もし魚屋にいるときにStevie Wonderの曲が流れたら、踊ってしまう
13. とうもろこしは、ほぼ宗教言って良いくらい素晴らしい食べ物(笑)
14.休符とキメのちからを理解すること
15. 短いけれどキャッチーなフレーズの力をしっかり感じ、それを曲の中のあちこちでキラキラ煌めくように配置すること
16. ソリストのモチベーションは自分が書くアンサンブルで上げる
17. コード進行については100回以上別のパターンを考えて試してから決めるべし
18. 誰かの曲をアレンジすることになったら、徹底して深堀りした調査をしてから始めること
19. 書き続けること
20.生徒共に過ごす時間を愛し、マックスまで楽しむこと
21. 譜めくりの大切さを知ること
22. パート譜のレイアウトは最高に美しくなければいけないこと
23. スコアのレイアウトも重要であることを頭においておくこと
24. 教育は鍵であること
25. 自分の音楽にストーリーをもたせ、ユーモアも入れること
26. 政治やスポーツの話を聴衆の前ですることを恐れるなかれ - ただ、良い言い方で言えばいいだけのこと
27. レイヤー状にハーモニーを重ねるあのジムの技術
28. ジムの使うユニゾン
29. アンサンブルの書き方を調整して、自然にクレッシェンドするように作る、あのジムのやり方
30. クラッシュしているジム独特のハーモニー
31. 変拍子を使わなくても自分の曲をかっこよくすることはできること
32. 締切が曲を完成させること
33. ゴキブリ取りの罠ですら曲のタイトルにしていいこと
34.自分らしくあれ
35.人生はマックスまで楽しむものだ、ということ
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