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大人は好きなタイミングで夏を終わらせることができる、なぜなら大人だから

みんな、「夏は終わった」と言う。

小さな頃の私にとって、夏の終わりとは8月31日の夏休みの最終日だった。
その時は、もう休みにも飽きて、やることもなく、中途半端に最後までやったと言えなくもない宿題をランドセルにつめ、みんなに会いたいなとふと思いながら小麦色になったおいしそうな腕を見て、みんなにからかわれるだろうかと不安になったりした。

高校生の私にとっても、夏の終わりはこれまた夏休みの最終日(しかし8月20日頃)であったが、夏の終わりにはヒグラシが鳴き始めるということを友達と発見し、夏の終わりを理解したものである。夏の終わりは地球が教えてくれるのだと。

大人になってから、夏というものはより短く、儚いものとなってきている。
20歳の夏も、21歳の夏も、冬の頃からずっと待ちわびて渇望してたまらなかったのに、夏がきてしまえば一瞬で過ぎてしまう。明確に生活が変わる区切りがないからであろうか。カルピスもPapicoもサクレも、大叔母ちゃん家のトマトもスイカも百合の花も、花火も祭りも海もまだまだ楽しみたいのに、どうして終わってしまうのだろう。

今年はまだ、夏を終わらせたくない。

そのため、夏を追いかけることにした。
今日から11日かけて、韓国で1泊、香港でトランジットしてイタリアのローマ、フランスのニースを経由してチュニジアのモナスティルに渡航する。北緯20度〜北緯46度の間をぶらぶらすることになるが、南に行けば夏になるわけではないのだ。西へ西へと移動しアフリカまで赴けば流石に夏を追いかけたと言っても過言ではないはずである。

ちなみに帰りはモナスティルから、フランスのナント、イタリアのナポリからローマへ渡って再び香港でトランジット、韓国を経由して東京に帰る。

さて、夏が終わったとおっしゃっているみなさん、私のnoteを見て夏を堪能してください。きっとまた21歳のあの夏を恋しく思うはず。

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