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沼戦記①〜イントロ〜

ある気鋭のアーティストのインタビュー記事をネットで読み漁っていたら、見覚えのある名前が飛び込んできた。
そのアーティストの対談相手であり、記事の執筆と構成を担当したライターは私の知人だった。
向かい合ってフランクに笑い合う2人の写真が掲載されていた。
この人のこんな表情はみたことがないと思った。
「いまの私でも、あんなひどいことを言えるのかな」
思わずそう考えたのは、雑誌の中の彼は、私の知っている彼よりずっとすてきだと思ったからだ。

東京へ来たばかりの私にとって、ここで生きることのおもしろさを教えてくれた人だった。

ものの見方が、センスが、言葉選びのひとつひとつが、会話の内容がいちいち刺激的で、話していていちばん楽しい年上の男の人だった。

面白い本やインタビューの編集者の名前を見ると、だいたい彼の名前がクレジットされていた。
あの広い新宿駅でばったり会うとか、飲み屋でたまたま会うとかもしょっちゅうで、私たちがお互いにとても「合う」ことを知っていたし、たまに2人で中央線界隈をはしご酒した。

しかし、当時いちばん好きだった恋人に、ビニール傘のような扱いを受けていた私は、魔界に落ちて世界のすべてを呪っており、私に好意を寄せる男性をことごとくサンドバッグにしていた。
人生でもっとも心が汚染されたひとときを過ごしていた私にとって、恋人以外のこの世のすべての男たちは粗大ゴミも同然だったのだ。

それは彼のことも例外ではなかった。

冬の始まったある夜、私に対するナイーブな想いを打ち明けた彼に、思い出すのも嫌になるような残酷なせりふを投げかけた。
人間の、いちばん繊細で柔らかくて弱い部分を差しだされて、一瞥もくれずに踏み潰したのだ。
知らない間に、そういう女になっていた。
もうどんなやりとりをしたのかは思い出せない。
克明に思い出すことは、墓荒らしをすることでもある。
私はあの日々を、墓に埋めたつもりでいた。


登場人物のすべてがいちいち最低だった。
みんながみんな、身勝手で歪んでいて病んでいた。
でも、いちばん最低なのは紛れもなく私だった。

血みどろの心で凍てつくような都会の底を彷徨い、くだらないパーティをいくつも行脚した。
浅ましさのかぎりを晒して、人を傷つけ、その何倍も笑われ、利用し、利用され、風に煽られるゴミのように這いずりながら、それでも掴もうとしていたのは愛だった。


あれから6年経った今日、
あの日々のことを書き残しておこうと思い立った。
たしか3月の寒い日、
池袋のラブホテルで、相手の男が寝静まった隙をみて、風呂に入った。
そして、バスルームの姿見に映る自分を写真に収めた。
「いつか必ずネタにしてやろう」
と、あれは死にたくなるような人生の底にいた自分自身への自虐であり、宣戦布告であり、激励だった。

決して美しい日々だったとは思わないけれど、この日々が無ければ今の私もいなかった。
そんな、どこへも行き場のない、ありふれていて滑稽な、個人の追憶。






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