デザイナーと個性

よく「デザイナーはアーティストじゃないから、個性を出す仕事じゃないよ」と言われる。多くのデザイナーは、お客様のために、ひいては最終消費者のためにデザインするのだから、自分の好みを表出するのはおかしいという考えだ。相手ありきの仕事である。

しかし、AIも進化し、誰でも〈それっぽい〉デザインができるようになってきた今、ただ他の人と同じものを作っていたのでは、周囲に埋没してしまう恐れもある。「あなただから頼みたい」と思わせる個性を、どこかで表す仕事も必要かもしれない。だが、全てに少しある。

私は、他人のデザインを見分けるのが得意だ。書店に行って平積を見ながら、「これはAさんの装丁だ」なんて言うと、当たってしまうことが多い。デザイナーが意識していなくとも、滲み出てしまう個性というものがあると思う。それをどう説明したら良いのだろうか?

インテリアデザイナー・デザイン教育者の島崎信氏は、対談の中で以下のように語る。

〈生理的にはまず頭の中で考えたものを手を通して目の前に実現させて、それを目で見て、頭のなかにあるイメージと比較検証して、改良点と変更点を考えて、ふたたび手を使って修正をする。このサーキットがクリエイションなんだよ。その肉体的サーキットのあり方がちがうから、人によってクリエイション=造形が異なってくる。そうやって何度も何度もそのサーキットを繰り返すなかで、決定的な瞬間というものがあって、それは「これでいこう」と決断すること。その決定こそが、デザインの質でありクリエイションでもある。〉『にぎわいのデザイン 空間デザイナーの仕事と醍醐味』(吉里謙一/コンセント)より

以前、あるデザイナーに、作風が好みであることを伝えたら、「いや、うちは様々なテイストのものを作れることが強みなんですが……」と返されてしまったことがある。どれを見ても、その人に共通するものがあると感じられたのだが、そう見られることは本意でないようだ。

私が他人の、滲み出る個性を感じがちなのは、ミクロからマクロへ視点が向かうという性質によるものだと思う。多くの人はそうではないようだ。これについては、いろいろ考えを深めてみたい。

レイアウト版を以下よりPDFでご覧いただけます。


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