ライターになる道はいと険し7
「私が口頭で伝えることを記事にしていただきたい」
クラウド・リンクスから紹介された建築家から思いもよらない仕事が来た。クラウド・リンクスはクラウド・ワークスの上位サイト。
登録している受注者も大手企業が多い。
クラウド・リンクスから私に声がかかったのは、たまたま私が昔東証スタンダードのIT企業で働いていたからだ。
声がかかったのはラッキー以外のなにものでもない。
これまでのクラウド・ワークスの案件は全てテストが前提。受かることもあれば落ちることもある。
今回の案件に関しては、建築家はピンポイントで私を選んだようだ。
建築家が選んだ理由は、私が建築デザイン会社勤務経験があること、ライターであること。
驚いたことに、提案された案件はテストも不要。
最初から私を採用するという前提だった。
当時の私には、取材記事という概念はない。
しかし、いつかはSEO記事ではなく取材記事へシフトしたいという願望を密かに持っていた。
一番嬉しかったのは案件が文字単価ではなく記事単価であるということ。
正直、私は文字単価が嫌いだ。
その理由は重箱の隅を楊枝でほじくるように文字を数えるのが嫌いだから。
あの、ちまちました作業をやるたびに発狂しそうになる。
その作業から解放されるなら、ウサギのように飛び跳ねたいぐらい。
3000文字の記事を書いて1万円もらえるなら御の字だ。
それを10件も発注してくれるならしめたもの。
やっと私にも春が来た!と浮かれ気分でいた。
実際の取材は毎週土曜日の午前中にZOOMで行われることに。
しかし、ここで不安が。
ライティング講座や代行会社でのやり取りを除き、私はZOOMでクライアントとやり取りしたことがない。
「緊張してちゃんと録音できなかったらどうしよう?」
と不安を感じた。
まさか、この心配が的中するとは思いもよらず……。
早速ZOOMでの取材が始まった。
建築家が話す内容から記事を起こすのが私の仕事。
話の内容は住宅業界の暴露記事のようなものでワクワクする。
この時の経験が契機となり、もっと取材をやりたいと思うようになったのはいうまでもない。
一生懸命メモを取り頭に入れるようにした。
最初の記事を作成し、建築家に見せた。
しかし、「文章がくどい」と言われる。
SEO記事の経験しかなかった私。
取材記事のイロハをわかっていなかったのだ。
SEO記事ではキーワードが重要であり、代名詞はなるべく避ける決まり。
一方取材記事は代名詞も普通に使う。今となっては当たり前にできることが当時の私にはわからなかった。
不安になった私はカナコ先生に相談。
すると先生は、キーワードが多く似たような表現を使っているから、
「くどい」と思ったのかもしれないと。
初めて取材記事の難しさを感じた。
「SEO記事と取材記事はまるで違うんだなあ!」
カナコ先生は文章のテイストについてもアドバイスをくれた。
「『ブルータス』のようにするのか『暮らしの手帳』のようにするのか考えた方がいい」
そんなことを考えたことはなかったので目から鱗だった。
「あの建築家さんなら絶対に『ブルータス』だろう」
文章のテイストをなるべく『ブルータス』にした。
再度修正した記事を納品したところ、今度は気に入ってもらえた。
それが良くなかったようだ。
評価された私はすっかり有頂天になってしまった!
この後地獄に落ちるとは夢にも思わず。
3回目の打ち合わせがやってきた。
次の記事に関する3項目について、建築家は話を進める。
有頂天になった私はうっかりZOOMでの録音を忘れてしまった。
後半で気づいたものの、半分以上は録音されていなかった……。
「どうする!まずい!まずい!」
パニックになった私はカナコ先生に相談。
その日のうちにメモや記録を頼りに記事を3件書く。
しかし、取材案件に慣れていない私に器用なことができるはずもない。
文字数は少なくなり、内容はボロボロだった。
嫌だったのだが、私は正直に建築家に伝えた。
「録音に失敗したので、記憶を頼りに書きました。書き漏れがあるかもしれませんので、もし必要なら修正します」
その時は「いいですよ」と言ってもらえ事なきを得た。
しかし、人生は無常だ!
録音に失敗しただけでなく、私は4回目の打ち合わせでも再び大失敗をやらかした。
何と、建築家に音声がおかしいと言われてしまったのだ!
「今崎さんの話す声が途切れて聞こえるんですけど。キーンという音もするんですよ」
私の方では何の問題もなく聞こえたのだが、先方は違う。
いろいろこちらでも操作したが音声が直ることはなかった。
結局先方が一方的に話すということで、その回は終わる。
二度も失敗をやらかしてしまい、私は不安に襲われた。
とにかく一生懸命記事を書くしかないと思い、集中して記事を
作成。
5回目の仕事の前日に建築家からメールが来た。
「明日、出張が入ったので次回は延期してください」
私は何の疑問も持たず、そのメールを素直に受け取った。
ところが次の週も同じようなことを言われる。
さすがに2回も続くと不安になる。
「この間の音声の件で怒ってもう私のことを切りたいのかな?」
そう、この後建築家から連絡が来ることは二度となかった。
こうして私の初の取材案件は失敗に終わってしまったのである。
「世の中そんなに甘くない!」
どの案件よりも熱を入れていたものが終わってしまった。
私は人生の厳しさを噛み締めたのである。
季節は既に春だったが、私の背後では秋風がピューっと吹いていた。
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