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夜明けと”男友達”

これは前記事の続きである。
このような題名で続きが書ける幸運をかみしめる。

↑前記事

この記事を書いた後,私は”どうしても気になる異性の友人”である彼と遭遇し、2人で話す機会を得た。(というか内なるストーカー気質を発揮し、遭遇に成功した。こういうところ、自分でもほんまにキモい。)

noteに書き表現することで、自分の苦しさや動揺を収めようとしたのだが、今回はどうしても気が晴れなかった。
一段落した今その理由を考えると、彼との関係が途切れることが嫌、なだけではなく違和感を覚えたのだと思う。関係の終わりが自分のアイデンティティの崩壊に繋がるような、そんな気持ちだった。

彼との遭遇は、授業後に大学に残ってみることで成功した。一番山の上のキャンパス、寒い寒い帰り道だった。「悩みがある、近いうちにタイミングがあれば聞いてほしい」と先にラインをいれていたので、この話題を始めるのは容易かった。

手紙をもらって、彼が苦しみから解放されたことを知って嬉しかったけど、自分の気持ちのやり場が分からなくなったこと。相談されることは嬉しかったけど、ただそれだけの関係であることが辛いこと。幸せになってほしいと願っているが、彼の幸せが実現すると繋がりがなくなってしまいそうで怖いこと。
伝えようとすると言葉に詰まった。彼を傷つけないよう、誤解を与えぬよう。ゆっくりゆっくり言葉を紡いだ。関係性を明らかにし現状を打開したかったにも関わらず、いざ話そうとすると、それが変わってしまうのが怖かった。こんなことを考える自分はおかしいのではないか、幻滅されるのではないかと恐れた。

彼は静かに、時に顔を覆いながら、話を聞いてくれた。そして彼自身の気持ちも聞かせてくれた。私に「相談にのり寄り添う」という役割を課してしまっているという懸念を抱いていたこと。手紙はその役割から解放したくて書いたけれど、逆に呪いになってしまったのではないかということ。

私は自分の気持ちを受け止めてもらい、相手が自分にどのように考えているのかを聞いてかなりすっきりしてしまった。この一連についての苦しみもだが、これまでずっとどこか彼に対して抱いていたモヤモヤについても、「一区切り」ついたのだった。
彼の1年前の未遂についてはもちろん、お互いに対しての認識について、彼とじっくり話したのは実にはじめてだったように思う。出会ってもう3年。ずっと一緒にいたはずなのに、お互いどのように認識しているか知らなかったなんて、改めて考えるとばかみたいだ。

私はこの一連の苦しかった気持ちの原因を、彼のせいか、自分のよこしまな気持ちに帰属していた。こんな相談をされるなんて、人生に1度あるかないかの重大イベントだし負荷がかかるのは当たり前だ。あるいは自分が彼に対して特別な、もしかしたら恋慕に近いかも知れないような感情を抱いてしまっているからだ、と。

しかし今振り返ると、上記の理由もあるかもしれないが(後者はないことを願うが…)、自分のパーソナリティと経験に根本的な問題があったような気がする。

まず、私は人の相談にはすすんでのるが、自分が相談するのは苦手だ。小さな相談事はできても、自分の内面をさらけだすような会話をするのは、たとえ仲の良い友達でもかなり勇気がないとできない。
もし、自分が日常的に気持ちを彼に伝えることができていたら、きっとこんなにこじらせていることもなかっただろう。
次に、私にはまともに「異性の友人」がいた試しがない。一定の期間だけよく話すレベルの異性の友人はいたことがあるが、それこそ相談を持ちかけられるほど親しい人はいたことがないのだ。異性とどう接していいかよく分からないという要因もあるし、すぐ恋愛沙汰になってしまったという側面もある。

だから彼との距離感もよくつかめないまま、それにうっすら気づいていても向き合わないまま、今まで過ごしてきてしまった。

今回は幸いなことに話し合う機会を得て、お互い利用しているのではなく大切な友人だと考えていることを認識できた。「卒業しても仲良くしてね」なんて、小学生みたいな恥ずかしい約束もした。

そう、私ははじめて”男友達”というものを得ることで、「一区切り」ついたのであった。

実際彼から得た言葉や序盤に少し触れた「アイデンティティの崩壊の危機」が免れたことについてはまた今度。





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