できる・できないがつながりを待っている
わたしは今在宅医療マネジメントをサポートするお仕事をしています。医療に係わる仕事に就きたいと思った背景には、わたしの足が悪いことと関係があります。
少し説明します。
私は国の指定を受けている神経難病を患っています。緩慢に進行する病気で、治療薬がありません。
そのためスムーズに歩くことができません。飛び跳ねたり走ったりすることができず、足を引きずって歩きます。力もあまり入らないので転びやすいです。
わたしの足が悪いと気が付いたのは、小学6年生の担任の先生が「歩き方がおかしい」と私の祖母に話をしたことがきっかけでした。
当時、わたしの両親は転勤で一緒に暮らしておらず、田舎で祖母と2人暮らしをしていました。
当時の田舎には病院がなく、隣町に行くにも時間がかかりました。そのため足が悪いと言われても、病院にかかることはありませんでした。
中学生になると、次第に歩きにくさを自覚するようになりました。その頃は田舎を離れて、都会に住んでいたので、病院にも直ぐ行くことが出来ました。診療したのは、整形外科でした。歩きにくさを改善するため、すぐ手術を進められました。
中学2年生の頃、右足のアキレス腱を伸ばす手術をしました。股関節まで長いギブスをして3週間入院し退院しました。それから、装具を着けて歩きましたが、筋力を伸ばすという手術は、筋力を著しく低下させました。
当時、サッカーが好きだった私は、足の甲でボールをけると、足を守る筋肉が薄くなったことで、強烈な痛みを感じるようになりました。以降、ボールを蹴ることが出来なくなりました。これは精神的にとてもつらかったです。
それ以上につらかったのは、足を手術したことで、しばらく装具を着けて生活をしなくてはならなかったことです。
大変目立つ装具でした。思春期まっただ中で、他人の目を気にする時期だったため、装具を付けて登下校をすることが苦痛でした。
それ以上にもっとつらかったのは、装具を着けたことで「人より劣っている自分」を自覚せざるを得なかったことです。
当時の私は、とても恵まれていました。
学級委員長、席次学年2位、独唱で学校代表、読書感想文が県代表、読書感想画は学校全体の文集の表紙になったり、少年主張大会では学校代表になったり。
その時の私は、「何でもできる」という自信にみなぎっていました。
しかし、足の手術を経たことで、無理が出来なくなりました。出来ない自分を自覚せざるを得ないのは、当時の私には大きな苦痛でした。
できないことを認められなかったのです。できないことは恥ずかしいと思っていたからです。
運動会でクラス全体の足手まといになってします。そう思ってしまい、悲しかったのです。運動系のイベントではいつも陰に隠れていました。
この時期が結構長くありました。足が悪くて大きな手術を2回行いました。2回目は高校2年生の頃です。
その時の手術は大がかりだったのと、校舎が3階でエレベーターが無かったこともあり、2ヶ月学校を休みました。
当時はネット環境もないので、日々の勉強は家庭教師をつけました。ちょうど年末で、学校もそろそろクラス文集を作る時期でした。
毎年わたしがイラストを書いていましたが、学校には行けません。そうこうしているうちに、文集作成の時期に入りました。
学校に行けないことを知ったクラスメイトは、文集委員メンバーが全員、私の家に来てくれるようになったのです。
11名も。狭い部屋だったので、立っている友達もいました(笑)わたしはこのとき、とてもとてもうれしかったのを覚えています。
そして、友達にとっては私が足が悪いことなんて一切触れず、同情もされず、ただイラストをこう書いて欲しいと、楽しく文集作成の打合せをしていました。とても楽しかったです。
足が悪いわたしに対して、わたしだけが気後れしていたのです。
そして、足が悪いことで(これは先々そう思うようになったのですが)身体的なハンディのある人に対して、ハンディと思わなくなったのです。身体の一部に過ぎないと。
身体的なハンディが、精神的なハンディになることはない。むしろ、身体的ハンディの中から生まれる、生命力の強さを観た気がしました。
(その3年後、乙武さんの「五体不満足」の本を読むことになりますが、彼は私と同級生です)
そうか、足が悪いなんて、表面的なことに過ぎない。そんなたいしたことではないかもしれない。
大人になるにつれて、水が染み渡るように、理解していきました。
今までの心の辛さの理由は、できる/できないの軸で全てを判断していた、自分自身への思考のクセから来ていたことを。
できないことが問題なんじゃない。
できる/できないということだけで、物事を捉えていたことで、できない自分を温かく迎え入れることができなかったことが、一番自分を辛くさせていました。
そして、あるとき気づいたのです。
できないことで、人に助けを求めるきっかけを作れます。できないは、人とのつながりを持てるきっかけを作ってくれます。
わたしは足が悪いため、しっかりと立つことが出来ません。
そのため重い荷物を持つことができないのですが、「これはお願いします」と言えるようになったことで、その恩恵を受けて、ありがとうという気持ちをたくさん持つことができるようになりました。
足が不自由になって、わたしは心が豊かになりました。
そして、できない人がいても、それができないことよりも、その人のできることにフォーカスを当てられるようになりました。できないことも、できることもこんなに沢山あることを知りました。
できることも、できないことも持っている。そんな人たちでこの世の中は溢れていました。
そして、できる/できないというユニークさが、人とのつながりを待っているかのように思えました。
Aさんのできないことが、Bさんができることの繋がりを待っている気がするのです。
人と人とのつながりの一つとして、「待っていました!」と言わんばかりに、きっと待っていてくれていると思うのです。
できないことがあると、できる人とつながることができます。そして、どんどん人と人がつながって、大きな力を発揮できる、そんなことを、今わたしが力を入れている、在宅医療の世界で体感したいと思っています。
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