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会社プロフィールを書いていたら、自分史になってしまいました。このままupします

会社用のプロフィールを書いていました。

当初、ホームページに載せようと書いていたら、とても無機質になってしまいました。

肉付けするために、当時力を入れたことや、それに連動して感じたことなど、心に留まったことを布石に書いてみたところ、ちょっとかわったプロフィールになってしまい、しかも長くなりました。

これは載せられないな、と思って読んでいくと、ちょっと趣が変わってきました。

「いろいろがんばってきたんだな、わたし」

あれ?ちょっとちょっと。会社のプロフィールが、自分よくやってきたね記事になってしまいました。

確かに、全てやってきたことです。当時は、別に何とも思わずにやっていたことを、文字にして書いてみて、俯瞰するとあら不思議。

「すごい。自分頑張ってきた。そして、これからも頑張れる気がする」

という感情がフツフツと。これはこれは!!

書きながら、振り返ってしみじみしています。自分史にこんな効用があったなんて。自分を振り返るだけではなく、心から湧き上がる「肯定感」がいい感じに漂ってきます。

こういうGWのまったりした時間だからこそ、出来たことだと思います。

stayhome中、ゆったりとした時間に「自分のやってきたこと」を、ただ時系列に書くのもいいのではないでしょうか。

(路線変更で、プロフィールが自分史になったので、ホームページではなく、noteににあげます)


自分のことを書く時に心がけたことは、これだけ。

今まで何をやってきたことと一緒に「心の状態」も併せて書く。

具体的には、 ①何を頑張ってきたのか、②どういう気持ちだったか、③どういう感情が湧いたか(楽しいときも悲しいときもひっくるめて)

以下、完璧とは言えませんが、わたしのプロフィールです。みなさんもぜひ書いてみてください。

わたしのこと

石塚美絵(いしづか みえ)と申します。

生まれも育ちも沖縄。出身はど田舎の南城市。中学生から都会の那覇市です。引越は父の転勤で、19回ほど経験しました

この経験から、順応性と柔軟性は高めです。特技は、特異な記憶力。人の誕生日は覚えたら忘れません。以前数えてみたのですが、著名人を含め、4000人以上は覚えています。

大学生のわたし。興味の無い法学を学ぶ

大学では法学を専攻しました。

大学進学時は、医療、とくに精神医療に関心がありましたので、法学には全く関心がありませんでした。

法学に進学したのは、母が「つぶしがきくから」というアドバイスを一心に信じたからです。(優柔不断なので自分で決められませんでした)

法学をなんとか学んでいくと、せっかくなら専門領域を極めようと思いたち、大学院まで進学しました。

大学院生のわたし。就活はダメダメ

大学院では個人情報保護をテーマに研究していました。今は当たり前になっている個人情報保護法ですが、当時はまだ出来る前だったので、「できたらこうなる的な」論文を書いた覚えがあります。

大学院を卒業したら、新聞記者になる!と決めていた私。

社会に内包する課題を明らかにする使命感をジャーナリストに憧れており、新聞記者以外はない!そう思って就職活動をしていました。

ところが、第一志望は最終選考で落ちてしまいました。この時の落胆たるは、半端なく激しいものでした。生きていけるのだろうか、なんて考えていました。

新卒で大学講師へ。

そんな中、大変有り難いことに、大学講師の職に就くことができました。恩師の紹介でした。(この時の恩義は一生忘れません)

その後、母校での講師も含め、講師業を6年経験しました。

仕事以外にも、専門領域での講演会や、30万部発行の新聞のコラムも担当しました。

そんな中、家族の都合で沖縄から転居しました。これで講師のキャリアも一旦リセットしました。

企業へ就職。「先生」から「さん」に感動。

転居した先では、先生以外の仕事をしてみたかったので、当時給与の高かった、大手商社の損保担当の仕事に就きます。

先生の仕事から一般企業への就職は、新鮮なことばかりでした。

以前はどんな年配の方にも、「先生」と呼ばれていたのに、「さん」付けで呼ばれます。

「石塚さん!って呼ばれた!」

これだけでも新鮮で、なんか妙にワクワクしたのを覚えています。

個人プレーからチームプレーへ

先生だった頃はスタンドプレーで仕事ができたので、割と1人で過ごすことが多かったのですが、会社勤めが初めてだったわたしは、なじめるように一生懸命、同僚とも仲良くなろうと頑張っていました。

しかし、この頃からチーム仕事の難しさや大変さを痛感します。と同時に、チームで仕事をすることの楽しさもわかってきます。

チームって凄い威力。

ただ、仕事をしていると、「社会的意義の大きい仕事をしたい」だなんて考え始めていました。仕事の同僚も仲良くなってきましたが、仕事に慣れてきたのでしょうね、この先をイメージ出来ずにいた私は、当初目指していた「医療」に思いを馳せます。

そんな中、近くの病院でMSW(医療ソーシャルワーカー)の募集がありました。

見た瞬間「これだ!」と思いました。社会福祉士の資格を持たない私は、要件を満たしていませんでしたが、履歴書を出してみました。

奇跡的に採用されました。

初めての医療業界。MSWになる!

元は法学部ですので、MSWの専門知識は皆無でした。勉強は休日をつかって外部の研修を受け続けました。

この病院では、研修補助を出した事務等に「研修を受けたい人がいない」という理由で、研修補助を出したことがない病院でしたが、必要性を訴え、補助を出していただきました。

MSWの勉強は、個人的にも大変勉強になりました。実は入職の後、2年間で大切な家族3人を病気で亡くす経験をします。

ちょっと余談ですが。医療の現場の事が分かっていたので、医療の現状を予め家族には話をしておきました。そうしましたら、家族達は、落ち着いて対応できたそうです。ムダな経験はありません。本当に。

MSWとしての役目は、患者さんの相談を受ける意外にも、地域との関係作りも大切なお仕事でした。

今は当たり前になっている、地域の医療機関や介護施設との顔の見える関係を作るために、新しい部署である「地域連携室」の立ち上げに携わりました

また、MSWなのに、今までのキャリアを重宝してもらい、広報誌の業務も任されることになりました。

入職当時、すぐMSWとして仕事が出来ない私は、病院広報の原稿をひたすら書いていく仕事を与えられました。

これは、退職後に看護部長から聞いた話ですが、病院が初めて書籍を発行した際に、わたしが書いた原稿が採用されたようです。有り難いことですね。

病院の課題がみえてくる。

未経験での入職で、医療ソーシャルワーカーとして、現場に揉まれていましたが、落ち着いてくると、医療現場の課題も見えてきました。

一部、療養病床があったのですが、胃瘻で8年〜10年も入院している患者さんがいました。家族が見舞いに来ますが、患者さんのほとんどは反応がありません。意識障害を持つ方がほとんどでした。

医療従事者にとっては当たり前の光景でしたが、医療従事者でない私がこの病床に入ったときに衝撃的でした。

胃瘻に生かされている命。そして、家族は意識のない家族を見舞いながら、優しく対話をする病室。一方で、体位交換を作業として行う医療従事者。この病室はいつも静かでした。

この時に思ったのは、胃瘻に生かされた命によって、生かされる患者さんと家族がいる。

一方で、人の生きるとは何か。呼吸をすることなのか。それともその人の生きたい命を生きることなのか。問いを始めたら止まりませんでした。私には到底答えを出せないことでした。

また病院の役割と、一般市民の抱く医療のイメージとの乖離にも、違和感を感じ始めてきました。

このような話を当時の副院長に話をしたら、「ぜひ外に出て、医療の課題を取り上げて欲しい」という応援も戴きました。病院退職後、医療広報の専門会社へ転職しました。

一般企業へ。医療広報を学ぶ。

医療広報専門会社には1年在籍しました。

中日新聞の地域医療の広報記事をはじめ、医療機関の広報誌を担当しました。営業と制作を5:5で行っていました。

地域の中核となる医療機関の経営企画の方や、トップクラスの病院長の方の話を直接聞くことができたのは、大変刺激的でした。仕事は好きだったのですが、仕事柄、終電で帰れなくなることが増えてしまい、やむなく退職しました。

在宅医療の道へ。そして独立。

この頃、在宅医療というキーワードが気になり始めていました。

2013年頃です。そこで、在宅医療の診療アシスタントとして転職しました。ただし、足の悪さから現場を離れ、診療アシスタントから、約5年事務長として働くことになります。

事務長時代に学んだことは沢山あります。

事務長時代の苦労を経て、心に決めたことがあります。それは「人の気持ちや感情を大切にした組織作りをする」ということです。

在宅医療クリニックで事務長を5年経験した後、在宅医療マネジメントをサポートする会社を設立しました。

独立して心がけていること!

在宅医療の組織作りに関してアドバイスをしていますが、その教訓を胸に、日々サポートしています。

特に心がけていることは、コンサルティングというよりは、現場の1人ひとりと、一緒に汗だし考えていくパートナーとして関わることです。

いつも一緒にいるメンバーだからこそ、中々伝えられないこともあります。

そういう中で、現場をわかる、視点も違う、第三者的なパートナーが1人いれば、何かが動く突破口が見えてくることがあります。

そんな存在になると心に決めて、日々活動しています。

時々、医療系セミナーのグラフィックレコーディングも行ってます。

グラフィックレコーディングができる人はたくさんいますし、わたしより上手い人も沢山います。ですが、その中でわたしが心がけていること、医療のことを分かった上で、わからない人のこともわかった上で、その人達にとってもわかりやすく、そして直感的に描くことです。

医療に関する情報は人々の安心に関わる情報です。

より理解したい内容は、受取手の事情により齟齬が生まれやすいです。そこをどう伝えていくかを、今このstayhome中にアイディアを出していきたいと思っています。

長くなってしまいました。

みなさんもぜひ!

自分のことを書くという作業を通して、自分史をみつめながら、がんばりを振り返り、そして未来に生かす、その布石になるような自分史を皆さんもかけますように!

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