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小説「年下の男の子」-2

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第3章「秘密」

「井田くん、お待たせ!」

原田朝子が、ちょっと急いだのか、息を切らしながら下駄箱へとやって来た。

「はぁ、はぁ…。やっぱりバレーボールの世界から遠ざかると、体力落ちちゃうね」

と原田は苦笑いしながら、靴を履き替えていた。

「大丈夫ですよ、そんなに長い間待ってたわけじゃないので」

「ありがとう。優しいね、井田くんは」

井田にとっては、原田が発する言葉の一つ一つが、心にキュンとくる言葉だった。

「じゃあ、帰ろっか!」

2人は並んで歩き始めた。

「アタシさ、一番聞きたかったのは、なんで井田くんはバレー部じゃなくて吹奏楽部に来たのかなってこと。結局練習の時は聞けなかったから…」

まず原田は、なんで井田が吹奏楽部に入ってきたかを知りたがった。
練習中はつい、ユーフォニアムの型を教えることに全力投球したからだ。

「俺ですか?じゃあ、まず俺から言いますので、先輩も教えて下さいね、バレーから吹奏楽部に転向した理由。で、俺がなんでバレー部に入らなかったかというと…」

井田は去年の夏に膝に大怪我をし、今は怪我は治ったものの、もう厳しい高校のスポーツ系の部活では通用しないと悟ったこと、でも昔からこのN高校に入りたいと思っていたから、結局そのまま第一志望だったこと、そして新たな部活を探していたら、同期の燈中由美に吹奏楽を勧められたこと、更に部活紹介で原田が部長として登場したこと等から吹奏楽部を選んだ、と話した。

「そうだったんだね…。辛かったね。怪我した所は、今も痛む?」

心配そうに、原田は井田の顔を見た。

「ほとんど大丈夫ですけど、無意識に庇ってしまう時があります」

そう言いながら井田は、怪我した左膝に触れた。

「だよね。アタシも中学の時はアチコチ怪我してたなぁ」

原田は歩きながら、中学校時代を懐かしむように回想していた。

「先輩、俺の吹奏楽入りの顛末をお話ししたので、先輩のバレーから吹奏楽へ転向した理由を教えて下さいよ」

「えー、アタシの話?聞いても面白くないよー」

と、原田はまだ話したがらないような雰囲気だった。

「でも、中学の時は男女超えてのバレー部のエースだったじゃないですか。先輩が卒業した時は、女子なのに制服のボタンとかあらゆるものが奪われた現場、見てますよ、俺」

原田は苦笑いした。

「それほどバレーの象徴だった先輩が、部活紹介でステージに吹奏楽部部長として登場された時は、結構衝撃的だったんです。だからこそ、ちゃんとした理由を聞いておきたいな、と思いまして…」

原田は歩きながら、暫く考えていたようだが、意を決して話し始めた。

「…アタシは中学の時に致命的な怪我とかはしなかったから、N高に入っても最初は女子バレー部に入ったの」

「先輩は女子バレー部に入ったんですね」

「最初はね。でもさ、N高は女子バレーに強いって言っても、部員の団結力がないなーってのが、入って2日目に分かったの。各自勝手に来て、勝手な練習して、時間が来たら勝手に帰るっていう…。みんな各中学から来てる、バレーの上手な子だから、基本的なことは何やってても上手いんだけど」

「え?なんですか、それは」

井田は怪訝な顔になった。

「変でしょ?練習開始の号令とか、練習終了の挨拶やミーティングとか、全然ないの。だからアタシ、つい中学時代のキャプテンとしての性格が出ちゃって、顧問の先生を問い質したら、顧問の先生は全くバレーボールのことを知らない先生で、対外試合の日程だけを調整してる、マネジャー程度の先生なのよ。これじゃ話にならないと思って、部長に一度みんなで集まって話しませんか?って提案をしたの。部長は嫌そうだったけど、あまりにもアタシが熱心に言ってくるから、仕方なくミーティングを開いたのね。そこでアタシが思ったことを必死に喋ったんだ。でもね、そのあと…」

原田の表情が暗くなった。だがこれからが核心なのだろう。

「アタシへの嫌がらせが始まったの」

井田は驚いて言葉も出なかった。

「ロッカーにゴキブリが入ってたり、シューズに画鋲が刺さってたり。でも一番酷かったのはね…」

原田は少し涙声になってきた。

「春の新人戦で、会場に着いた時、アタシのユニフォームだけ、盗まれてたの」

「ええっ…」

「バスで高校から移動したんだけど、出発した時はちゃんとアタシのバッグにバレーのユニフォームを入れてたんだよ。で、バスの荷物置場に入れたんだけど、それが会場に着いて、さあ着替えようってアタシのバッグを開いたら、ユニフォームが無くなってたの」

原田は当時のことを思い返し、一筋の涙を零した。

「周りの人に聞いても、答えてくれないし、無視されてね。ユニフォームがない以上、試合には出れないと思って、部長に試合を休ませてくださいって言ったら、ユニフォームがなくても試合に出ろ!って言われて…」

「……」

「アタシ、幸いスカートの下に普段の体育のブルマは穿いてたから、スカートだけ脱いで、上半身はセーラー服っていう変な格好で試合やらされたんだよ…。今でもその時の場内の、なんだあの格好はっていう好気に満ちた視線、忘れられない」

「……」

「もう、アタシは女子バレーには残れなかった。退部するしかなかった。退部しますって部長に告げた時、周りは黙ってたけど、雰囲気は伝わってくるよね。邪魔者が消えてよかった、そんな雰囲気だったよ」

原田は手で涙を拭いながら、一生懸命に話してくれた。

「あのカッコいい原田先輩が高1の時にそんな陰湿なイジメに遭ってたなんて…。原田先輩を尊敬してる燈中さんが聞いたらビックリしますよ。っていうか、あの子、大丈夫なのかな、そんな女子バレー部に入って」

「燈中さんね…あの子も元気な子で、筋が通ってるよね。よく中学の女子バレー部の伝統を守り抜いてくれたなって思うよ。今のウチの女子バレー部がどんななのか分からないんだけど、アタシがほんの少しいた時と同じようなら、あの子も我慢できなくなると思う」

井田は無性に腹が立って仕方なかった。

「なんか俺まで腹立って来ましたよ!」

「ありがとね、井田くん。その言葉だけでも嬉しいな」

原田はそう言い、流れた涙を拭い、無理に笑顔を作った。その無理な笑顔に、後輩を思いやる気持ちが溢れていて、井田はキュンと心がときめいてしまった。

「でも先輩、退部してすぐに、吹奏楽部に来たんですか?」

「んー、ちょっとブランクはあったかな。バレー部は辞めたけど、やっぱり体育が好きだから、スポーツ系の部活を探してたの。だけどアタシがバレー部を辞めたのが、新人戦の後でしょ。他のスポーツ系の部活も新人戦が終わって、ほぼ今年度のレギュラーメンバーが固まった頃でね。新しく入ろうにも、入れないというか…入っても居場所がないというか…」

「そうかぁ。タイミングがありますもんね」

「そうなの。その点、完全にアタシは、他のスポーツ系部活に移るにしても、タイミングを外しちゃったの。でも帰宅部のままなんて嫌だな~って思ってたら、偶然、吹奏楽部が地元のお祭りに出演してるのを見掛けて、しばらく演奏を聴いてたのね。アタシ、演奏してる皆さんの様子や、演奏を心地よさそうに聴いてるお客さんを見たりしたら感動しちゃって、ふと吹奏楽部に今からでも入れないかな?って、思ったんだ」

「すごい偶然ですね」

井田は原田と2人で歩きながら、これが中学の時だったらバレー部のエースとペーペー部員の、絶対あり得ない組み合わせだとふと思っていた。

「で、その演奏後にその場で顧問の先生に、今からでも入部できますか?って聞いたら、すぐその時の部長さんも飛んできて、入って入って!って、熱烈に勧誘されたの。演奏が終わった部員さんも、入るならウチのパートに!いやいや、コッチだってば!みたいになっちゃってね」

やっと少し、原田の表情に笑みが浮かんだ。

「それは嬉しいですよね」

「でも不安があったのよ」

「なんですか?」

「初心者ってこと」

「あっ、ああ…。今の俺と同じですよね」

「だから初心者なんですけど…って言ったら、『誰でも最初は初心者だよ!』って言って下さった先輩がいてね。その言葉で入部を決意したの」

そうやって話をしながら歩いていると、あっという間に駅に着いた。

「続きは電車の中で話そうか。井田くん、何か飲む?」

と、原田は駅のホームの自販機の前に立った。

「えっ、そんな、いくら先輩だからって、女性に奢らせるなんて、ダメです。ここは俺が男として逆に先輩に奢ります!」

「クスッ、そんな見栄張らないでもいいのよ。ここはお姉さんに、素直に甘えなさい」

「えっ、本当にいいんですか?…じゃ、じゃあ、缶コーヒーをお願いします」

「うん、分かったよ」

原田は同じ缶コーヒーを2本買って、1本を井田に渡した。

「ありがとうございます!」

「いいの、いいの。缶コーヒー1本くらい。じゃ、カンパーイ」

「あっ、すいません、乾杯!」

「ふふっ、井田くんって、一緒にいると楽しいね」

原田はそう言いながら、缶コーヒーに口を付けた。井田はその原田の仕草に、年上女性ならではの色気を感じていた。
そして、今までこんなに原田と2人きりで話したことは無かったな、と思っていた。

缶コーヒーを飲みながら、ふと原田を先輩としてではなく、イチ女子として見ている自分が、心の中にいることにも、井田は気が付いた。

(原田先輩のことが好きになってるのか?ダメだ、ダメだ、こんな雲の上の存在の女性、好きになっても無理だ…)


<次回へ続く ↓ > 


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