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グループ・ツーバイフォー

私の人生に欠かせない友人、その中でも親友と呼んでも怒られないだろう友人は何人かいますが、高校生後半に旗揚げし、今も一応解散はしてない親友グループ6人組があります。

旗揚げ記念日は昭和63年8月中旬頃。

なんでそんな高3の夏休みに旗揚げしたのかと言いますと、あるプロジェクト遂行の為でした。

プロジェクトって何やねん?

と言いますと、

「私と元カノOさんの関係修復」

です(汗)

まず予てより執拗に書いてます通り、私は中3の夏に同じクラス、同じ吹奏楽部のOさんと両思いになりまして、約半年付き合わせて頂きました。

その後の展開も執拗に書いてますが、万一ご存知ない方のため、簡潔に書きますと、高校受験直前にOさんにフラれたのに同じ高校の同じ吹奏楽部、同じクラスになると言う神様の仕打ちを受け、更に私が同じクラスから吹奏楽部に誘った男子、KとOさんは付き合い始めた訳です。
KとOさんは長いこと付き合いが続いていきましたが、私は一向にモテず、恋愛とは無縁の高校生活を過ごしておりました。

無縁というより、Oさんに負けてられるかとばかりに2度女の子を好きになったんですけど、2度とも酷い無惨なフラれ方をしたため、女性不信、恋愛恐怖症に陥りました。
Oさんとは長いこと近くにいるからか、近親憎悪みたいな関係になっていたんですね(^_^;)

高2の時に私が吹奏楽部部長になった際、KとOさんがカップルで副部長になるというハプニングもありまして、やり辛いながらもある程度業務上の会話は交わすようにはなったんですが、それ以上でもそれ以下でもない関係のままでした。

そんな私とOさんを見るに見かねたのか、親友Yが、高3の夏休みに、中学時代の社会科の恩師のお宅にグループでお邪魔する企画を立てました。

メンバーは私、親友Y、女子がOさん、Mさん、Tさんという5人です。
このメンバーの中で、女子のTさんだけが違う高校に進んでいたのですが、吹奏楽部という共通項があったため、コンクールやアンコン、地域の音楽祭等で会うことが多々ありましたし、通学の列車でもたまに会うことがあったので、あまり久しぶり感はなく、スムーズに高3の夏休みのお出掛けに合流してもらえました。

実は最初、親友Yは、「私とOさんの関係修復」という目的は、私とOさんには秘密にしてたんです。

なので途中まては私は断固としてOさんとは話さないか、精々相槌を打つ程度。

先生を交えてファミレスに夕飯に行った時も、不自然な距離を取って喋りにくい位置に、お互い座りました。

そして先生のご自宅に戻り、先生公認の下でアルコール飲料での2次会に突入しました。

最初はみんなハイテンションになっていたのですが、その内慣れぬアルコールに敗北を喫するメンバーが現れ始め、なんと先生まで先にアルコールの前に敗北…。

そんな中、最後まで起きていたのは、私と、なんとOさんの2人でした。

こうなると、取る方法は…。

私も寝る!

否、違うだろっ👊

Oさんと話すこと、です。

Oさんの様子を窺うと、何となく私が何か話し掛けてくれないかなという雰囲気。

私は腹を決めまして、Oさんに話し掛けてみました。

「コンクール、出れば良かったのに」

吹奏楽部は、3年生になると役員改選を行い、2年生に主導権が移ります。
3年生は受験の為といって、そのまま春で引退する部員もいれば、途中にある文化祭までとか、夏のコンクールまで、と参加期限を決めて、よく言えば自由に参加出来る状態になるんです。

私は一生に一度のことですから、コンクールまでの参加を選びました。

対してOさん、そしてKは春で引退してしまいました。

その春先には話さなかったものの、吹奏楽、クラリネットが大好きな筈のOさんが春で早々に引退してしまったのは不思議かつ不自然な気がしていたのです。

そんな思いがずっと残っていたため、前述の質問が、久しぶりの(恐らく2年7ヶ月ぶりの)業務上会話ではない、普通の会話になったんだと思います。

今ではOさんが、私の問いに対してどう答えてくれたか、残念ながら覚えていないのですが、その後もしばらく2人で話をしたのを覚えています。

実は親友Yは、私とOさんが会話している最中に、一旦目が覚めたらしいんてすが、仲直りしとる♪とアルコールで頭が痛い中で思って、再び寝たそうです(笑)

さて最初はこの時集まった5人は、目的を果たした以上この時一度限りのメンバーになるかと思ったんですが、翌年、高校卒業後に再結集しました。

私が高1の時に敢え無く無惨に失恋した女の子が、交通事故に遭ってしまい、頭蓋骨にヒビが入ってしまったんですね😱
その子は5人組の中のMさんの幼馴染みだったので、その時はMさんが主導権を握ってくれました。

その女の子とは高校在学中は仲直り出来なかったんですが、命に関わる一大事という事で、再び5人が集まり、その女の子のお見舞いへ行きました(以下、Iさんと称します)。

不幸中の幸いで、思ったほどの重症ではなく、会話も普通に出来、ホッとしました。

私はIさんに高1の秋にフラレて以来、全く喋れない関係だったので(ある意味Oさんより重症?)、5人でお見舞いに出掛けた時も目立たないようにし、他の4人の影に隠れていたんですが、最後にIさんは一人一人にありがとうと声を掛けてくれ、私にも「ミエハルくん、ありがとう」と言ってくれました。

その瞬間、奇跡?と思ったのを覚えています。

私はIさんとの仲直りは、Oさん以上に有り得ないだろうと思っていたので、凄い嬉しかったですよ🎶


以後、Iさんも加わった6人組は、事あるごとに遊ぶようになりました。

ボーリングに出かけたり、花火大会したり、バーベキューしたり…。

誰かに恋人が出来たら、6人の集まりに招待したり。

またこの6人の中で一人暮らしをしているのが、私とTさんでしたので、どちらかのアパートに集まって一泊二日、二泊三日とか遊んでましたね〜。

私が富山、Oさんは名古屋で就職した後も、たまに広島へ行く時には必ず6人が集まり、遊んでました♪

ピークは1997年でした。この6人の内、4人が同じ年に結婚したんです🛎

当然みんな寿貧乏になりながらも、互いに結婚式・披露宴に出席し合いました。


まあ家庭を持っちゃうと、その後はなかなか集まる機会も減りますが、三年前の夏、超久々に6人が集まりました。

Iさんが、遂に結婚したんです👰💖

6人の中で一番早く結婚すると言われてたほど、結婚に憧れていたのがIさんでした。

ですが家庭の事情でなかなか結婚に踏み切れず、結ばれる前に切れた縁もあったりで、ちょっと遅れてしまったのですが、それでも遂に結婚し、旦那さんと仲良くしている姿を見た時は、嬉しかったです😊


さてタイトルにしました「ツーバイフォー」というのは、この6人組が、男2人、女4人という構成だったため、なんか丁度いいなと思って、私が勝手に名付けたグループ名です(笑)

(平成2年8月12日に集まって、宮島の花火大会を見に行った時の1枚。私がフラレた女性が2人いる訳です 笑)


さて今回は、たぬきの親子さん主催の企画に乗っかって書いてみた記事です。

期限が今日までだったので、〆切に間に合うように書いてみました♬

これまでは友達との話というより、恋愛系の話を書いていたので、今回は「友情」に焦点を合わせて書いてみました。

私が男女で友情が成り立つと思っているのは、こんな展開があったため、なんですね。
まあ別格なのは、元カノOさんですが(;´∀`)

久しぶりに集まりたいなぁ。早く567をどうにかしてくれ〜🙏

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