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日常雑記

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2022年2月の記事一覧

私は本が好きだ。

私は本が好きだ。

お座りが
やっとの頃も
何かしら本を
与えられると
"あぁ~うぅ~"と
いいながら本を
めくって
ご機嫌だったとか。

中学受験や様々な時期。
本から離れて暮らした。

主婦になり母になり
素敵な縁から
7人の仲間で
"空にあこがれて"と
いう童話を書く
サークルをつくった。

H先生に時々
ご指導頂き
新聞社に投稿した。

採用されると掲載
される。それが
大きな励みになった。

月1回
順番に

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HAPPYは
いつも身近にある。

HAPPYは いつも身近にある。

最近
若い友だちから
教えられた
YouTubeで
様々な話題にふれる
事が多くなった。

可愛い猫や犬の
日常がみられる。

私のお気に入りだ。

仕事の中で
子どもたちの
しぐさや会話に
癒されて幸せだ。

気のいい
スタッフとかわす
会話にも和む。

週1回
自身のメンテナンスに
通っている。
博識な先生が
若い感性で多方面から
得た情報を教えて
貰う事が有難い。

新しく得た知識を
反芻し

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北京オリンピックに思う。

北京オリンピックに思う。


シルクロードを
訪ねる旅をした。

大連に飛んで
西安に行った。
西安では
念願の兵馬俑をみた。
小学生だった息子と
美術館でみて
以来
この素晴らしい
遺坑の本物をみたい
と思い続けていたのだ。
1つ1つ顔も違う。
靴の裏底の模様が
違う事がいたく
気になる。

余談だが
陸上の世界では
コンマ何なんなん秒の世界線で
争っているので
靴底の模様にも
こだわっていると聞いた。

遠い昔に
靴底

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天界の人

天界の人

夫が天界にいき
21年が過ぎた。
彼を悪くいう
人は誰もいない。
歩くと何かが
ゆれる。
すわると場の空気が
和らぐ。
後ろ姿は
あの大谷君だ。
ハンサムを自認して
いたがちっとも
いやみがない。
会った人をたちまち
魅了する不思議な人
だった。
家族として年末年始を過ごした朝。
"いってらっしゃい"
と声をかけると背中が
笑っている。
案の定
午前様の生活が
今年も始まると
私も息子も苦笑だ。

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矢沢永吉さんのCMに共感する。

矢沢永吉さんのCMに共感する。

2019年11月24日
矢沢永吉さんの
ライブに行く
準備万端。

また
あの魅力溢れる
永ちゃんにあえる。

わくわくが
止まらない。

そんな時に
急遽
公演中止の連絡が
きた。
あの永ちゃんが
中止にするとは
余程の事だろう?
と案じる。
後日
風邪の為の
体調不良と知り
安堵した。
重篤な病でなくて
良かった。
来年
あえるのが楽しみだ。
と考えていた。
だが
世の中は
コロナ禍で一変した

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ワンオクTAKA

ワンオクTAKA

2018年1月のある日

YouTubeをみていると

えらく歌のうまい
アジア系の青年が
Adele
HELLOを情感たっぷりに歌っていた。

何者?
俄然好奇心が湧いて
くる。

早速
私のアンテナを高く
して探し始める。

青年は
ONE OK ROCKのTAKA
と呼ばれる日本人だった。
さらに
何と森進一さん森昌子さんの長男と知った。

恐るべしDNA。

上手いはずだ。

1度生のコン

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美味しいものが好き。

美味しいものが好き。

冬の博多は
他の都市より
随分安価で
ご馳走が食べられる
本当に魅力的な街だ。

食べ物やさんも
沢山ある。

博多名物
屋台もまだまだ
沢山ある。 
 
小さい私は
偏食が凄かった。

栄養失調になり
目に星ができた。

失明の危機があると
医師から告げられた
両親は
衝撃を受けたようだ。

早速
毎日栄養注射に
通う。
ある日
当時珍しいミキサーを
父が市内で購入して
きた。
ジュースが出来た

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運転免許を取得した。

運転免許を取得した。

夫が倒れて1年が
経とうとしていた。

リハビリに車で
かなり遠方に
連れて行かなければ
いけない事態になった。

小学校以来
体育は最低評価の
私だったので
まさか私が免許取得??

青天の霹靂だった。

沢山の意見を聞いて
乗り放題の
教習場に入学した。

偶然同じくらいの
年齢の人が
4人いたのも
心強かった。

早速
初日から乗車し始めた
オートマ限定とはいえ
私が運転ってと泣きたい。思い

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家族だった犬と猫

家族だった犬と猫

夫が入院していた
結核病棟は
当時
広い松原の中に
あった。
いわゆる開放病棟の
突き当たりの個室に
いた。

入院患者は沢山いて
小児結核に罹患して
長年病院にいて
社会復帰が出来ず 
麻雀などして
日々を過ごす人の
集団があった。

その人たちが
裏山で生まれた
野良犬の子どもを
飼っていた。

吉-二吉-三吉と
名付けられて
皆に可愛がられていた。

吉と三吉はまもなく
飼ってくれる家族が

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うちが好き

うちが好き


高台の一軒家に
住んでいた。

裏には
国有池があった。

私たちが住み始めた
頃は自然の池で
下の方で
稲作をする人たちの
為。
渇水時に
水を提供する目的の
貯水池だった。

しかし
ザリガニとりに来る
子どもたちもいて


何人かの子どもが
溺死したとか。

夏の前は
ウシガエルの鳴き声が
うるさい。

従って
私の大嫌いなへびも
いる。

野性味溢れる場所だった。

息子が生まれ

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