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白いカーネーションの日


いつも何かと優秀なGoogleアプリさん。

以下は一度はお世話になったことがあるのではなかろうか。

開くと自分に合った情報をカード形式で提示してくれるDiscoverという機能がある。(名前今知った。)

これが本当に上手いこと、いつも「それー!!」という情報を引っ張ってきてくれる。

まんまと引っかかってクリックしては、また類似の最新情報がいつの間にか、トップ画面にあるわけだ。


特に多方面のオタクとしては非常に助かるものばかりなわけだが、


先日、時は5月7日、いきなりとあるニュースが私のもとへ飛び込んできてきた。



母の日がしんどい。

天国への手紙展開催。


Google先生、
いくらなんでもパーソナライズしすぎじゃないですか?

ここ最近そんな検索もなにもしてなかったのに、なぜこのニュースなのか。

Google先生もしかして、私の中学の時の担任の竹山先生ですか?(仮名)


案の定、先生の提示にひっかかりながら内容を読んでみると、
どうやら亡くなった母への手紙をオンライン展示する企画をしているらしい。


なんたるちーや。(平成生まれ)

このような企画があるなんて、
素直に素晴らしいと思ってしまった。

母の件について、ツライならツライと、言葉にすることに欠けていた、なんなら避けていた私にとって、
この死んだ母の日展というのは、目から鱗であったし、文章に起こす動作をして公にする上で、自分自身が消化するためだったり、
同じようなケースの手紙がたくさんある中で、「自分だけじゃない」という、母を亡くしたという絶望に近い孤独感を、少しでも和らげてくれる仕組みがあることに感銘を受けた。


先の「パーソナライズ竹山」からここまでのクダリでだいたい察していただけたかと思うが、
実は私は、中学2年生のとき、
当時46歳だった母と死別している。


この企画で寄せられた手紙を拝見したときには、
もう"私事"でしかなかった。

そのときは外出先で、つい先程まで、うぇいうぇい言ってた私ではなくなっていた。

たまたま昼下がりのレストランで、イタリアンなんて小洒落たものを待ってる間の暇つぶしに読んでみたが最後、涙腺を持って行かれそうになった。
通された水がしょっぺえ。


パスタより 鼻水すする ああ母の日


そろそろ母に怒られそうなので、最低川柳はともかくとして、

誰かのためになるのなら、
私も書かなきゃと思ったし、
まずいい機会であったし、
母について、今の自分の頭と心から、どんな言葉が出てくるか確かめながら、向き合ってみようと思い、手紙を書くことにした。


しかも、手紙でも記述したが、書こうとした矢先にとある偶然が起きたため、私は直感で「なんとしても書かなくてはいけないな」と、その出来事を前にして決意。その出来事が起きたせいで、私は涙腺第一ダム決壊寸前であった。


…が、もう一度言うが、涙をのんだそこはレストランで外出先。

下書きをEvernoteに移して、また後ほどと思っていた。


~【2日後】~


え母の日って5月8日だったんですか!?!?だっていつも10日とかそのくらいの時期にやってなかっt(早口)


あっという間に期日の母の日が過ぎてしまっていた。なんたるちーや。(二回目)

5月第2日曜日って…ああ、そういう、ね…。日付変わるイベントって覚えられないのよ…。

あぁ、下手こいた…。うぇーい…。


そしてこのnoteである。(伏線回収)



ご本家様は匿名制だが、機会を逃してしまったからには、そんなの関係ないので、ここに堂々と書こう。


手紙を読む前に、私的な「死んだ母の日」と思いについて、前菜でも食べながら聞いていただきたい。

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(前菜の生ハム、美味しかったです。)


今回、その前菜付け合わせが、言いたいことがいっぱい出てきて、メインディッシュみたいにてんこ盛りになってしまったので、手紙本文は、別記事にしたいと思う。こちらはほぼエッセイだけど、ちょっとメッセージ性強めかもしれない。

そちらはもうガチで母に宛てた手紙で、

ほぼ自己満で、家庭の話など少々お見苦しいかもしれないけれど、

いきなりステーキ食いたい派の人とかは、そちらに飛んでほしい。





そも、私は、母の日を「しんどい」とは思ったことはなかった。



母が亡くなったばかりの頃の私は、
何をやるにも精一杯で、もはやしんどいと気付こうとしていなかった。

そして、精一杯すぎたというか、やはりそういうときとは往々にして、人は視野が狭くなるもので、亡くなってから2年目くらいまでの私は、「しんどい」の裏返しだったのか、


「母の日には白いカーネーションを用意して、お供えしなくちゃいけないんだ。」


と、妙に拘っていたのを覚えている。

もはやこれは、母の日に対しての気持ちを消化しきれず、気持ち自体に気づくこともできず、軽い強迫観念にまであったかもれない。


なぜ、当時の私は「白いカーネーション」に拘っていたのか。


そもそもの母の日の起源を辿ってみれば理由がすぐわかる。


…Wikiさん、細かい歴史から説明するから難しいわ。(いつもお世話になっております)

とてもかいつまんでというか、私が当時解釈した風に起源を言えば、

アメリカから伝来した母の日が日本の母の日のルーツであり、もともとアンナ・ジャービスという女性が、亡き母を偲ぶために、母が好きだった白いカーネーションを、教会へ手向けたのが母の日の始まり。

そして、

生きている母には赤

亡くなった母には白

と、分けてカーネーションをあげるのが一般的、という話を当時調べて読んだ。


それを目にした私は、

(そうだ…そうなんだ…私もそれをやらなきゃ…)と、形式ばかり気にして、本質を見ようとせず、

無理やり母の日を「白いカーネーションの日」とすることにしたのだった。


おそらく、そうすることで、母の日が「何もない日」になることを、誤魔化そうとしていた。


だが結局、白いカーネーションをあげようとしても、RPGみたいに特定アイテムによる儀式で、母が戻ってくるわけでもなし。

白いカーネーションをあげるという観念ばかりに押されて、母の日に染まった花売り場を少し覗いてみても、

白いカーネーションなんてものは、探しても、まるで「縁起の悪いものだから」と言われてるかように、本当にどこにも置いておらず、

ただただ一面に、赤いカーネーションばかりが幸せそうに並んでいた。


今となってはあの場の空気感や、なんとも言えない花屋での感情が、「しんどい」に相当するものなのだとふと思った。

(亡くなってから知ってしまった、赤いカーネーションをあげることの尊さを。もう赤を渡すことはないんだな。)

母の日の起源をただ受け入れるまま、ただ無感情のまま、そう考えていたと思う。

 


月日が経ち、



落ち着いてきてからは、そういったことは徐々に考えなくなっていった。

今に至っては、 ものに対する考え方自体もだいぶ変わった。

今ではむしろ赤いカーネーションを好むようになったり、それはそれなりに、成長の証かなと思っている。


そも、生前も死後も、母と母から貰った愛は、想い出せばいつでもすぐそこあるものだと、変遷していった思考のなかで悟った。


あの世の母がもし見ているのならば、きっといつでも心配していて、見守っていると思うし、

そう思える自分のなかにあるものは、それもすなわち母が与えてくれた(植え付けてくれた)愛そのものであって、私が勝手にでもそう考えた瞬間に、いつでも母は自分の中に居て、今でも愛を感じることができる。

それがあってここまで生きてこれたと考えれば、母が生きていたときと同じように感謝してもいいわけで、白いカーネーションに拘る必要もない。赤が母の日の感謝の象徴というならばそれでもいい。

昔の私は、白いカーネションの起源の本質を、見誤っていた。あれはただ、気持ちを手向けていただけ。その形がたまたま、「白いカーネション」だったというだけにすぎない。(生きてる人にその考えで菊渡すと怒られそうだけど)

また少し余談だが、母から貰った愛を、今度は自分が、自分を含めた人間や何かに与えられるとするならば、今では赤だろうが白だろうが、カーネーションをちゃんと心から好きに思ったまま、キラキラな花屋にだって行って買ってきて、育てられる自信が今ではある。

結局、母の日というイベント自体や、愛情、考え方や思うことを表現するときに、やれ白いだ赤いだ、カーネーションだ菊だとかいう形は関係ないのである。大事なことは目に見えない。


こうやって成長できたのも、きっかけから含めて母のおかげだと思う。だから母には、亡くなってからも本当に感謝している。

そしてこのような機会を毎年くれる母の日というタイミング、

そして今回は、「死んだ母の日展」に感謝。 


死んだ母の日は、自分が母のことを想って、大好きだったこと、愛していたことを再確認する日。それに感謝する日。

当たり前が当たり前じゃないことを思い知る日。

ときには振り返ってもいい日。

死んだ母に、思い切り弱音を吐いてもいい日。

母の日の「母に感謝を表す」ということに深い意味があることを知れるのは、母を亡くした人たちの特権なんだ。そしてそれは母に限らず大事な人を亡くした人たちも等しい。

その経験で、表面だけに囚われない意味を知り得たからこそ、生きている多くの誰かやなにかに優しくなれる可能性があると私は思う。


どうか、どうか、

今大事な人がまだ生きている人たちは、ついつい忘れがちだけれど、その人と過ごしている今という時間に、感謝して大事にしてほしいと、私は心の底から願っている。

人間って忘れる生き物だし、失ってからじゃないと、当事者意識ってなかなか湧かないからちょっと難しいけどね。

ちなみに、数えようと思えば、意外と簡単に数えられてしまうほどしか、親や大事な人との時間は本当に少ない。実感するためにも一度計算してみてほしい。同居しておらず、正月年一回会うだけ、なんかのケースで考えたら、10年間で10回しか会わないわけだから、両手で数え終わる頃にお互いどうなっているか本当にわからない。

母の日などのイベントや、記念日は、せっかくの機会なのだから、照れくさくても、感謝と愛情を、必ず言葉にして伝えよう。

今はいろんな色のカーネションがあるよ。

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