MIDZUKI - みづき

書く言う私を、私が一番近くで食っている。 言葉は音・形にしたときに伝う。

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書く言う私を、私が一番近くで食っている。 言葉は音・形にしたときに伝う。

マガジン

  • 僕はいつ頃、大人になるんだろう。《いつおと》

    ねぇねぇ、「大人」っていつになったらなれるの? ボクはまだこどもなのかな。 かっこいい大人になりたいな。 優しいおじいちゃんにだってなりたいんだ。 ───なぁ、俺は、かっこいい大人になれてますか? みづきるの、みづきるによる、みづきるのための文章探訪。

最近の記事

あなたの本当の人生は「仕事」と呼ぶもの以外の 「余白」にこそあるかもしれない。 のちにそれを仕事にするようなことがあったとしても。

    • 痛バッグを作って街中を持ち歩く理由と、ネイルをして歩く理由は似ていると思った。 それはふと目にしたとき、自分のための幸せと、自分の“好き”を成した功績にいつでも気づける鍵だ。 周囲や身嗜みが目的の全てではない。 「自己満足」は、本当は文字通りの純粋で前向きな言葉であってほしい。

      • やる意味・やる必要のないことをする豊かさを

        大人になると、やることがたくさん増える。 子供の頃は、大人に与えられた宿題を言われたまま、その意味もよくわからずやってみたり、あるいはやらないままで、意味もなく裸足で砂に駆け出すような、そんな生き方がすべてだったように思う。 自分の気持ちの中に誰かから強いられた「やるべきこと」なんて、生まれてきたときを思い返せば、本当はどこにもなかったのに。 「やるべきことごっこ」を子供のうちからすることは、大人になったときに本当にくる義務的やるべきことの練習なのだろう。実際、社会に出

        • ずっと燻らせて、恋い焦がれた夢も期待も いつか叶えた瞬間、その夢は「現実」になる。 良くも悪くもリアリティを持つ。 キラキラが泥に変わってもいいという覚悟で 本当に叶えたいものなら、それをする以外の選択肢はもう取らない。逃げない。 選択しないことをし続けることのほうが一番つらい。

        あなたの本当の人生は「仕事」と呼ぶもの以外の 「余白」にこそあるかもしれない。 のちにそれを仕事にするようなことがあったとしても。

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        • やる意味・やる必要のないことをする豊かさを

        • ずっと燻らせて、恋い焦がれた夢も期待も いつか叶えた瞬間、その夢は「現実」になる。 良くも悪くもリアリティを持つ。 キラキラが泥に変わってもいいという覚悟で 本当に叶えたいものなら、それをする以外の選択肢はもう取らない。逃げない。 選択しないことをし続けることのほうが一番つらい。

        マガジン

        • 僕はいつ頃、大人になるんだろう。《いつおと》
          3本

        記事

          他のこと、あるいは好意あるものにうつつを抜かして、そちらばかりを見て、 好き嫌い問わず本来持ち合わせた自分自身の才能(あるいは得意)とやらに水を与えず過ごすことの悪はあると思うか? 私は最近それを悪かもしれないと薄々感じてきた。 悪でなくとも、悪手の可能性がある。

          他のこと、あるいは好意あるものにうつつを抜かして、そちらばかりを見て、 好き嫌い問わず本来持ち合わせた自分自身の才能(あるいは得意)とやらに水を与えず過ごすことの悪はあると思うか? 私は最近それを悪かもしれないと薄々感じてきた。 悪でなくとも、悪手の可能性がある。

          現代詩家って どうやってなるんですか みんながみんな もうなっているのですか

          現代詩家って どうやってなるんですか みんながみんな もうなっているのですか

          おれ馬鹿だからわかんねぇけどよ、 途方もない確率で○分の1が来る可能性が目の前にあったとき、当てるためにいつまでやるのかって一瞬辟易するけど、 一度虱潰しを始めたらもう可能性が上がり続けるだけで、それが来るタイミングは1回目である可能性もあるんだったら、ふっ掛けたもんがちだよな。

          おれ馬鹿だからわかんねぇけどよ、 途方もない確率で○分の1が来る可能性が目の前にあったとき、当てるためにいつまでやるのかって一瞬辟易するけど、 一度虱潰しを始めたらもう可能性が上がり続けるだけで、それが来るタイミングは1回目である可能性もあるんだったら、ふっ掛けたもんがちだよな。

          昔、実家の環境がモノ屋敷だったので、物で溢れている中育ってきた。 けどひとり暮らしで引っ越すごとにものを減らしていって、 こんにちまで部屋に置いてあるものはそれを見つめるときの自分の感情に至るまで みんな余分なものを削ったり、磨いたりして、ひとかけら残った宝石のようなものだった。

          昔、実家の環境がモノ屋敷だったので、物で溢れている中育ってきた。 けどひとり暮らしで引っ越すごとにものを減らしていって、 こんにちまで部屋に置いてあるものはそれを見つめるときの自分の感情に至るまで みんな余分なものを削ったり、磨いたりして、ひとかけら残った宝石のようなものだった。

          ああ、いい人生。

          「手広く色々経験してて、(私)はいい人生だよなぁ」 2024年もちょうど1ヶ月が過ぎた頃、 いわば春雷と言うべきか、私はその言葉に雷に打たれたような衝撃を受けた。 (そんな風に、私の人生は見えているのか…。) なぜ衝撃を受けているかと言うと、私は今までまじまじと自分の人生を評価するようなことはしてこなかったから。 自分の人生に不幸だの、幸せだのと名前をつけるという考えも無ければ、 ただがむしゃらに、そのときやりたいと思ったことの中から、 偶々出来たことを綱渡りでやってい

          ああ、いい人生。

          目の冴えたまま、布団に入って 真っ暗な部屋で 「銀河鉄道の夜」の朗読を聴く。 レースカーテンからの仄青い光が 私の部屋を天の川へと変えて、 私はその空間に漂う。そんな夜も、たまには良い。

          目の冴えたまま、布団に入って 真っ暗な部屋で 「銀河鉄道の夜」の朗読を聴く。 レースカーテンからの仄青い光が 私の部屋を天の川へと変えて、 私はその空間に漂う。そんな夜も、たまには良い。

          人からもらった芋けんぴを食べていた。 ふと「けんぴ」ってどういう意味? そんな疑問が浮かんだ。 と同時に、そんなものを知って人生になんの得があるのか?とも頭をよぎった。 けれど、手は調べることを止めていない。 この手が止まらないうちは、私はまだまだ人生を進めている気がした。

          人からもらった芋けんぴを食べていた。 ふと「けんぴ」ってどういう意味? そんな疑問が浮かんだ。 と同時に、そんなものを知って人生になんの得があるのか?とも頭をよぎった。 けれど、手は調べることを止めていない。 この手が止まらないうちは、私はまだまだ人生を進めている気がした。

          プロフィールに、あこがれと期待を込めて、肩書を書いた。 そうしたら、それが時に鎖になった。 なんてこともない、私は私のままだった。 私は肩書を並べるのをやめた。

          プロフィールに、あこがれと期待を込めて、肩書を書いた。 そうしたら、それが時に鎖になった。 なんてこともない、私は私のままだった。 私は肩書を並べるのをやめた。

          今世やりたいことは、今世のうちに。

          ───「今やりたいことは、来世に持っていけないかもしれない。覚えていないかもしれない。 だから今世のうちに、叶えてあげよう。今世の自分のために。」 これは、私の敬愛するシンガーソングライター ヒグチアイさんによる言葉。 そんな言葉を、アニメ「ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと〜」をAmazonプライムで完走視聴して思い出していた。 アニメのあらすじは、ゾンビのパンデミックに襲われた世界で、主人公がやりたいことリスト100個を叶えていく話だ。 「死」という

          今世やりたいことは、今世のうちに。

          七夕と、3日後に『誕生』する私。

          今日は七夕さま。 だれかのたくさんの願い事が、宙にあがる日だ。 どういう心境の変化か知らないが、今年の七夕は、なぜか、意味もなく、ワクワクしている。 去年まで特に願うわけでもない、平日である七夕。そして3日後には、20代後半になるにつれワクワクを失いつつあった私の誕生日。 七夕は、自分がひとつ老けるまでの残り3日のカウントダウンを告げるものだった。 だけど、今年の私はどうやら一味違う様子───。 その理由は、昨年2022年の11月に、  最近では進撃の巨人のED「

          七夕と、3日後に『誕生』する私。

          茶化す覚悟があるなら、茶化してもいい。

          18歳前後の弱冠の私や、周りの人間が、 学校を卒業し、片田舎から上京するに当たって、 冗談交じりに受け取り、そしてまた誰かに投げかけた一つの言葉がある。 「地元捨てたんだな。」 私は今、この言葉を、26になった今頃、 言ったことをふと思い返しては、自責の念に駆られている。 当時、同級生と再会したときの ジュースが酒にかわったばかりのうぶな座卓で、 この言葉はよく交わされていた。 まだ経験が浅く、何も刺激を受けることなく過ごしてきた私を含めた同級の田舎の民にとっては、

          茶化す覚悟があるなら、茶化してもいい。

          芽生える「復讐」

          ここ最近の心境の変化を取り留めもなく、 ただ心に留めるため、 書いてみることにするシリーズn文目。 直感さんがこういうのだ。 「負けず嫌いは悪いことじゃない」と。 最近ゲーム仲間でブームとなっている Apex Legendsのカスタムマッチ(フレンドだけでチーム戦をするやつ)にもっぱら虜となっている。 Apexはランク戦などに始まって、技術の上下を競いがちなゲームである。 と同時に、フレンドとの共闘の意識も非常に大事で、ボカスカ嬲られるだけの嫌になりそうなゲームとはちょ

          芽生える「復讐」