ぼくが彼女と別れるために犯した罪

 デザート食べ放題に誘ったことから、彼女、仮にABとでも呼んでおこうか、との恋愛が始まった。その人生初のデートは大成功に終わり、2回目のデートはABのほうから誘ってきたので、ぼく、仮にCDとでも呼んでおこうか、は自分の胸の内にある熱い想いを確信することになったのである。彼女の行きたがった水族館で2回目のデートは決行され、熱が沸騰しきったので、ぼくのほうから告白をした。一月の後半である。
 それから約1ヶ月の幸せなまいにちが始まったのである。パーキングエリアのベンチで肩を寄せ合い写真を撮ってもらった。サークルの合宿に二人で参加して、一つの部屋で同じ布団に寝た。デートももちろん。ここではぼくらのラブラブの内容をメインに語りたいわけじゃないから詳細は避けておく。とにかく、ABはぼくの堅苦しいところとか、頭が硬いところだとか、理屈ぽいところすべてを受け入れようとしてくれた。二月の後半、ぼくが帰省しなくてはならず、しばらく会えなくなるとのことで寂しくなり、深夜バスに乗る日の前日に初夜を迎えることにした。そこで最も動物的で人間的な心地よい幸せを初体験し合った。
 さて、帰省したはいいが、SNSを通じて家族にはぼくに初彼女ができたということがとっくにバレていた。そこで根掘り葉掘り聞かれるのだ。…それがいけなかった。ぼくの家族はABのことを調べ始めた。
 そのようなことをつゆも知らずに帰省ライフを楽しんでいたぼくは、ABと毎日寝落ち電話をするほどにやはりまだ熱冷めやらなかったのだ。しかし4日ばかり経ったころだろうか、昼間何の前触れもなしに、親から衝撃的な真実を知らされることとなった。
「ABはE宗の信者だよ」。
 E宗とは日本の新興宗教で、'賛否両論'な存在だ。信者数は新興宗教のなかではトップクラスであって、いろいろ社会に進出している。良い噂も、悪い噂も聞く、一概には語れない集団である。
 ぼくはAB自身からカミングアウトをまだ受けずにいたから、心の準備なんてのもこれぽちも無かった。頭がホワイトアウトする。
「いま付き合っているのは良いけど、将来は、無いからね」。
 とも告げられた。将来というのが結婚とその先を指していることはすぐに理解できた。ぼくには、この瞬間にぼくらの未来の可能性がゼロとなってしまったように感じられた。
 ぼくは理屈好きな人間だ。数学の理論が大好きで大学でもそれを志しているほどに。そんなぼくは、頭がいぜん真っ白でありながらも、考えに考えようとした。
 まずするべきことは事実確認であろうと考え、どう聞こうか思案した。二日ほど考え続けたのち、結局その方法は直接確かめるのがよいと結論付けて、夜の寝落ち電話で突然切り出した。意外にも彼女は素直に認めてくれた。自分からカミングアウトするまえにバレてそれを問い詰められていたんだから、無論緊張していないはずが無かった。そんな中での彼女の素直さに惚れ直したぼくは、彼女を受け入れることに決心した。ABの信仰は彼女のアイデンティティであり核に違いない。E宗のことを知り、その論理を理解しようとすることが、ぼくからABに奉仕できる一番の誠実さではないかと思ったのだ。それを率直に彼女に伝えると、電話越しに啜り泣きが聞こえてきた。
 それから帰省を終えて戻るまでの間、空いている時間は図書館で過ごすことになった。E宗を取り上げたマスコミの記事や新書を読み、そしてE宗そのものが出版している教典や入門書にも目を通した。一ヶ月の帰省期間で目を通した書籍は五冊ほど。さらにはE宗の総本山である地域にも行き、信者でないぼくが入れる場所は、すべてこの目で確かめた。こうやって、昼間を過ごして、夜は寝落ち電話で得た知識を披露したものである。
 こうして帰省で会えないにも関わらず、ぼくらの仲はより深まっていった。そして無事に帰省から戻ってくることに成功したのである。これからまた、ABとの幸せな毎日が始まるのだ。幸せはありがたいことに手の内に舞い戻ってきた。
 帰省から戻って一週間か経った頃に、親からラインが来た。内容はやはりABの信仰に関するもので、将来が無いことに釘を刺す内容だ。以降このような内容のものがメッセージだったり電話だったりで言われることになる。それは、ぼくの精神の余裕を徐々に侵食していった。ぼくは考えるということが性分な人間だから、真面目に将来を考えずにはいられなかったのである。
 加えてぼくはもう、将来を無視していまの生活を純粋に楽しめるだけの若く幼い精神状態ではなかった。高校生のぼくだったら、親からの圧力なんて気にせずに刹那的な快楽を享受できていたのかもしれない。しかしもう大学二年生になるぼくは、すっかり大人の仲間入りを始めていた。そういうわけで親が子を心配する理由も理解できなくはなったので、少しばかりある反抗心になおさらストッパーが掛かってもいたのだ。しかし、考える人であるぼくにとってはそんな外的環境を理由に挙げるのは言い訳に過ぎないのかも知れない。
 今どれだけ幸せであろうとも、未来がこれぽちもないなんてこと、ぼくには到底続ける意味を見出すことが出来なかった。結局ぼくが演繹したのはこんな結論だった。挑戦校に受かる希望が一縷でもあるから受験勉強は頑張れる。小国の兵士は巨大な敵国に勝つことを夢見てはじめて奮戦できる。どんな「挑戦」にも、それが叶う希望が一欠片でもあるから人間は頑張れるのだ。希望が全くないものに挑もうとするひとはいない。明日世界が終わるのに、目の前の課題に手をつけるなんて馬鹿らしい。ABとの愛は永遠じゃないということが、こんなにも早い段階で確定されてしまったんだ。早々に切り上げよう。とても辛いことだけど。続けようと思い直しても自分の気分を縛り苦しめるだけだった。
 ぼくは、ABを傷付けたくなかったし、さらに自分の誠実さを宣言してしまった手前、「彼女がE宗である」という理由で別れを切り出すのに激しい抵抗を感じていた。だから必死に別れるための別の理由を考え出した。帰省から帰ってきて一ヶ月もの間、ぼくは彼女と表面上平穏を取り戻したような恋愛を続け、しかしその裏側で如何にして傷付けずに別れるか、ということを謀り続けてもいた。その矛盾した生活に右脳と左脳が引き剥がされそうだった。ABの性格がキツいというのを理由にしようとしたこともあったし、容姿をそれにしようともした。しかし後者は同様に傷つけるから却下。そして前者は、確かに誰がどう見ても認める事実ではあるのだが、ぼくはそんな彼女を好きになったのだから元より理由として成立しえないのであった。
 そんなこんな考えているうちに、別れる理由をABに求めるのではなく、自分自身CDという僕自身に求めればよいことに気が付いた。そこでぼくは過去から燻る気持ちを掘り起こすことにした。FGという女の先輩に対する無念だった。FGさんとは仲良くなったものの告白できずにいた。というのもぼくにはとても高嶺の花のように思われる人物だったためで、まだ告白経験がなかったのもためらいに拍車を掛けていた。四月の後半、ぼくはABと過ごす三回目の夜を明かしたあと、思い切ってじつは他の女性であるところのFGさんに対する想いを捨てきれていないことを打ち明けた。ここでぼくは完全に彼女に冷められる計画でいたのだ。未練がありながら女の人と付き合っているなんて、嫌われて当然だ。嫌われないはずがない。
 しかし彼女は少しの沈黙を拵えたあと、ただ、待ってるからとだけ言い、FGさんに告白する機会をぼくに許したのであった。ぼくは目を丸くして聞き直した。何度聞き返しても、ただ待っていると言うのである。FGさんとは友達であるABはぼくが自分のところに戻ってくるだろうことを信じていた。ぼくはそこで、彼女の懐が想像以上に深いことを思い知らされた。ぼくの計画は彼女の寛大さに最も簡単に挫かされたのであった。今度はぼくが啜り泣く側になっていた。彼女のティッシュの中でしばらく濡らしていた。
 しかし、ここでFGさんが万が一にもぼくの告白を受け入れたならば、ぼくはABとの関係をまだ諦められると思っていた。だから五月の初旬に、FGさんに告白した。結果は、なんというか、よく分からない。いまはABと付き合っているから告白を受けるのは無理だ、とのことだった。それじゃぼくがFGさんを諦める理由になっていないと別の理由を求めると、長く付き合っている彼氏がいる、とのことだった。詳細な経緯は蛇足になるためこれ以上は控えておくが、ともかく、こうしてぼくの計画は完全に挫折したのである。残されたのは、ぼくがFGさんに好意を寄せているということをFGさん本人が知ったという結果と、ぼくが優柔不断で軟派な人間であるということの証左、そして彼女が計画によって傷付けられたという僕の罪だけである。
 ぼくは謝罪をしてABとの関係を継続することにした。しかし思考の渦は決して消えることがない。ぼくは考えごと中毒だ。やめられない。彼女のことを愛しく思えば思うほど、彼女のために別れ、お互いが未来ある選択肢を選べるようにするべきだという核心の芽が吹き出る。雑草のように不死身だ。その芽は一ヶ月で徐々に私を蝕み、六月のはじめには私を影で覆い尽くす立派な樹に成長した。
 樹はまたもや関係の継続にも陰りを落としだした。ぼくはいつの間にか別れようとする自分から再び目を離せなくなっていたのだ。しかし、もう彼女を傷付けずに振る方法が浮かんでくることはなかった。そこでぼくは、いっそう本当の理由で別れを切り出してみることにした。つまり、ぼくらの関係はいずれ引き裂かれる悲劇の運命にあるのだということを引き合いに出すことによって。大学でABを待ち受け、唐突にそれを切り出した。
 彼女は前とは一転して別れることにポジティブだった。五月のあの時にはとっくに冷めていた、と残して、足早に歩きだし、見向きもせずにぼくを置いて授業に向かっていった。そのときの衝撃は忘れられない。ぼくは自分で決心して自分から別れを振ったにも関わらず、本心が動揺に震えたのもやはり別れたくなかったからなのだろう、ぼくは弱かった。
 まあ、こういうふうにしてぼくの初恋は呆気なくも終わってしまった。ぼくの心に深い陥没痕と、おそらくは彼女の心にもっと深いそれを残して。それから一週間、空虚な日々を過ごした。所詮は優柔不断な男、結局決心が足りなくて未練たらたらだったというわけである。
 別れてから一週間後、深夜にABから電話がかかってきたことは寝耳に水であった。いや、寝ていたわけではなく、日本酒のカップに溺れていたのだが。いの一番に聞こえてきたのはABの声ではなかった。なんでも幼馴染二人と計三人の同窓会を開いていたらしい。どうやら相当アルコールが回っているようで、ぼくらの境遇と現状も全て話してしまっているようだった。幼馴染の一人がぼくの心境を真剣な声音で聞いてきた。嘘を交えることなく一切自分の気持ちを打ち明けることにした。これまでの経緯やABのためを思って別れることにしたということ、彼女のことを嫌いなってはいないことを素直に伝えた。すると電話越しで幼馴染二人はそろってぼくの決断を時期尚早だと断言してきた。普通の恋人として付き合って、嫌いになるまでいっしょに居れば良いと、未来がないからって今すぐに終わらせなくても別に良いと、そういう考えらしかった。AB自身は途中から口を挟まなくなっていたが、どうやら泣いているんだそうだった。結局ぼくは場の雰囲気に呑まれ、後日彼女と会って話し合うことに決めた。
 二日くらいか後に、大学の空き教室で二人きりで話し合った。彼女は終始泣いた。途中ぼくも貰い涙を溢した。彼女は幼馴染二人に相当感化されていたようで、未来の無さに絶望して終わるより、今の刹那的な幸せがあればよいと泣きついてきた。そしてトドメに、
「未来は自分が守ってみせるって、それくらい男らしく居てよ」。
と泣き腫らした上目遣いで懇願してきたのである。
 もともと、別れるという決断は合理的に考えたうえでのものであって、ぼくの本心ではなかった。相手のためを真に思うこと、相手の将来の安泰を祈ることが僕の最優先事項になっていたからの決断であった。だから、彼女の幸せを度返ししてしまえば、今の幸せと別れたくなかったのはぼくも同じだったのだ。そんな脆い状態のぼくは、そんな彼女の懇願に抵抗することなど出来なかった。結局また折れて、付き合い続けることになった。抱き合った二人の間を二縷の涙筋が這っていった。
 かといってこのように現状の幸せに戻ることは、ぼくの宿痾を根本的に治療するものではないのもまた自明である。つまり、ぼくの考えごと中毒だ。ぼくの中の合理性は簡単には崩れなかった。相変わらず、将来の幸せを願うなら別れる他にないと、ぼくの客観は結論を出し続けた。この四ヶ月間に渡るぼくの辛い考えごとの日々は、決して晴れなかったのだ。
 これまでの悪夢がこれからも続く。ぼくの精神は限界を迎えていた。現在を彼女と過ごすことに因るこれまでにない幸福感と、将来が閉ざされていることへの絶望感のディレンマに数ヶ月も幽閉されて続けていたのだから。右脳と左脳の連結部分は列車の急ブレーキにも引けを取らないほどの悲鳴をあげていた。人生で体験したことのなかったくらいの高ストレスから、否応でも離れたいとぼくの全身全霊が求めていた。全身全霊は、ぼくの考えごとを支配する合理性の皮を被り、ぼくにこのように語りかけてきた。
「やっぱり別れよう、なに、心配はない、ぼくが嫌われればよいだけさ」。
と。ぼくの病いに対する精神の免疫反応とでも言えようか、楽になりたいという欲望に、いつの間にか完全に身体を乗っ取られてしまっていた。そして、彼女のために別れることを依然として掲げながら、本心はこの関係がぼくにもたらす思考の悪夢から逃れたいという一心でいるという究極的に矛盾的な存在にまで、ぼくは成り下がってしまっていたのだ。
 ぼくは、些細なABの間違いに漬け込んだ。この些細な間違いについては、ここで取り沙汰しても話しが逸れるだけだから詳しく書かないが、彼女に完全に責があるけれども気に障るほどではない、本当に小さな誤りだった。彼女は一心に謝りたいとメッセージを連投してきた。ぼくは彼女をホテルに呼び出した。そこで最後の夜を過ごすことにしていた。ぼくは彼女が謝ろうとするのも待たずに押し倒し、口を塞いだ。それから、散々にめちゃくちゃにした。大事な準備を省いていいか、と彼女に尋ね、わざと怖い思いをさせた。彼女が動かなくなったあとも、ぼくは自分の本能に身を任せていた。一回一回終わるたびに、別れることを仄めかした。
 朝、ホテルから出て行くころには、彼女はすっかりそれまでの顔つきを無くしていた。
 こうしてぼくは、今度こそ、完全に、永久に、ABを失ったのであった。ぼくは、自分が悪魔の考えごとから解放されたことに対して身震いして喜んだ、彼女が将来に希望ある選択肢を選べるようになったことに対して、よりも先にだ。六ヶ月間に及ぶ考えごとの悪夢から、ようやく目を覚ますことになった。
 しかし、決して目覚めのよい話しではない。ほどなくして、別れたことが周りに知れ渡っていった。どうやらぼくは「やり捨て」というのを働いたことになっているらしい。強ち間違いではない。ぼくは彼女の心を踏み潰した。合理性を凌駕したぼくの全身全霊は、彼女を傷付けても自分自身の安寧を求めたのだ。すべてはぼくの罪だ。彼女は完全にぼくを見放している。罰はぼくの周りの人間たちによって、構造主義的に決定されていくことになるだろう。
 …
 というのが、たった今精神科で中度の適応障害を診断されたぼくの背景だという訳さ。最初こそ、ぼくの家DとABの家Bとの間の、宗教観の問題であった。ぼくらD家がB家を受け入れがたかったというものだった。ぼくはロミオで彼女はジュリエットだ。そんな中で、ぼくは当事者として、大人の男としての責任と、自分自身の望みとの間で板挟みになってしまっていた。このディレンマは、当初のお家問題というよりも、ぼくの精神内での聖戦という様相を呈していったのである。ぼくの天性の才能である「思考」は、このディレンマの中で最初こそ指針として働いてくれたが、いつの間にかぼくを苦しめる癌になっていた。そしてぼくの精神はこの癌に耐えられるだけの成熟はしていなかったという訳だ。一人前になりかけているぼくの精神状態がこのような惨事を巻き起こしたのだろうか。結局これはぼくの思春期最後の事件に過ぎないのであろうか。いずれにせよ、ぼくは罪人だ。ヴォルテールが、考える学問であるところの哲学を批判したのも、こういう人間の思考の、善悪の二面性を糾弾するものだったのかもしれない。「あゝ、形而上学よ、そなたの進展ぶりといったら、原始時代とまったく同じではないか!」ああ、ぼくを滅して思考の呪縛から解放してはくれまいか。
 
 


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