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ヤン・レッツェルとホテル

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ヤン・レッツェルとホテル③-宮島ホテル

ヤン・レッツェルとホテル③-宮島ホテル

前回に続き宮島ホテルのお話です。
その②はこちら。

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・ホテル譲渡と戦後のこと

昭和15(1940)年、大日本麦酒株式会社は広島市内の新天地にアサヒビアホールと食堂を設置します。
当時の新天地は劇場やカフェーが立ち並び、広島で最も賑わった繁華街。宮島ホテルの損失をこの食堂の売上で補填出来るほどでした。

第二次世界大戦の影響

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ヤン・レッツェルとホテル②-宮島ホテル

ヤン・レッツェルとホテル②-宮島ホテル

前回に続き、かつて宮島にあったホテルとその資料に関するお話です。
その①はこちら。

既存建物の火災等で当時宮島ホテルの経営は不安定な状態でしたが、レツルが設計した新館やそれに続く和館の増設により、経営陣は今後観光客も大いに増加するだろうと期待していました。
ところが新館竣工と同じ頃、欧米では第一次世界大戦が激化。観光目的で訪れる外国人は目に見えて減少していきます。

7.絵葉書-大日本麦酒株式会

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ヤン・レッツェルとホテル①-宮島ホテル

ヤン・レッツェルとホテル①-宮島ホテル

日本ホテル略史には戦前から戦後に至るまで幾つものホテルの沿革が記されています。その多くが火災や戦災によって閉館、あるいは経営縮小を余儀なくされ、失われていきました。
中之島の絵葉書をきっかけに調べてきた大阪ホテル、名古屋ホテル。
2022年春、京都の古書即売会で購入した絵葉書に描かれていた宮島ホテルもそのひとつです。

ホテル洋館部の設計者であるヤン・レッツェル(以下レツルと表記します)は広島県産

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