南天某日日記
24年もどうぞよろしくお願いします。
某日。
冬休みを持て余している子ども達と、電車のスタンプラリーに出かける。
電車に乗っているだけではもったいないので途中にある寺社仏閣やランドマークを巡りつつ、1日を過ごす。
近場とはいえ、普段めったに乗らない路線に揺られているとなんともいえない旅情感がある。
見慣れない車窓からの風景に「ここにも暮らしがあるのだな」とぼんやり思った。電車に乗っているお年寄りや金髪の男の子、ひとりひとりの人に生活があって、それぞれに喜びと悲しみがあって。
「生活」というものがなんだかより愛おしく感じられて、自分の生活を今年も大事にしたいとしみじみ思った。
某日。
大河ドラマ「光る君へ」が始まった。
高校生の頃、古典が大好きで、それこそ「紫式部や清少納言が大河にならないのはなんでだ!!!」と憤っていたのでとてもうれしい。
フィクションの部分も多いようだけど、「源氏物語」の断片があちこちに散りばめられていて、古い少女漫画みたいな空気があって、今のところ楽しく見ている。
「卑弥呼とかもやればいいのに」と冗談めかして思っていたこともあった。あと数十年もしたら実現するかもしれない。なーんて。
某日。
高校時代の友達たちと集まる。
高校時代はなんとなく行動を共にするグループで分かれていたけれど、うちのクラスはありがたいことにいい子ばかりで、女子同士仲が良かったので、卒業後、居住地域が近い同士でグループの垣根を越えて集まることも多くなった。
その日は、数年振りに会う友達のほか十数年振りに会う友達もいた。でも、みんなと高校時代の日々の延長線上のように、変わらないテンションで話せて驚く。
同じ教室で学んでいた頃とは違って、今は家庭や仕事、住む県も抱えている問題もそれぞれ違う。違うからこそ話していて嬉しさや驚き、互いに尊敬があって。
会の中で「高校時代の友達というのは、なんか特別なんだよね」「なんでも話せちゃうところあるよね」という話になり、とても印象に残った。
私も、そんな気がしている。
子どもと大人のはざまの多感な時期に、部活のコンテストや受験など、目標を共に目指していたことも大きいのかもしれない。
いずれにせよ、あの頃一緒に過ごしていた世代でしか分け合えない共通のフィーリングがあって、たまにとはいえ話せるのがありがたいとしみじみ思う。
これからも集まって、いい関係が続くといいなぁ。
南天。
彩りが少ない冬に赤い実を見かけるとなんだか心が弾む。家の庭にあったマンリョウの赤い実が好きで、小さい頃はおままごとで使っていた。
昨年はこちら。アコギ弾いてないな…。
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