睦月某日日記
某日。
地元に帰省する。
私は去年一瞬だけ単身で帰ったが、家族で帰省するのはコロナ禍前ぶり。
数年前より格段に大きくなった孫の姿や言動に眼を細め甘やかす私の父と母。
無条件に甘やかされる子ども達の姿。
そんな姿を見て、「帰れてよかった」と何回も思う。
10日ほどの滞在を終え帰京の日。
空港で、上の子と父が、下の子と母が手を繋ぎ歩く。
その様子を後ろから見て、いいもえぬ感情が込み上げて来た。
大きくなった子ども達と、少し背が縮んだ父と母。
もっと頻繁に会わせて成長を見てもらいたかった悔しさや、それでも無事に会わせられた安堵。
離れ難い、次はいつ会えるのか、いつ会わせられるのか、元気でいてほしい、話したいことがもっとあった気がする。
ぐちゃぐちゃと絡む気持ちで潤んだ目を気づかれないよう、少し距離をあけて4人についていった。
時が経てば、ぐんと変わってしまうこの風景を忘れたくないとまばたきをこらえる。
某日。
アコースティックギターを買った。
中古ではあるけれども、飴色のボディはよく磨かれ凛とした佇まい。弦を弾くと澄んだ音が響き、店頭で気に入ってほぼほぼ衝動買い。
もともとアコギの音色は好きで、いつかアコギを弾いてみたいと学生時代から思っていた。
しかし、その願いを強くしたのはアジカンの「大洋航路」という曲で。
数年前のツアーで、アコースティックバージョンが披露されたことがある。
ギターロックの原曲が、アコギやハーモニカ、鍵盤ハーモニカなどで柔らかく丸くなり、違う視点から原曲の深みを引き出す魔法のようなアレンジだった。
あんなふうに弾けたら。
しかし、まずはコードを弾けるようにならなければと、指の痛みと格闘している。
某日。
「リサイクル文庫」が近所にある。
街中の駅や図書館などに作られた、誰でも不要な本を置いて、気に入ったものがあれば自由に持っていっていい書架。
この町で暮らすようになってから気が向いたときに立ち寄って利用している。もう読まない本を置いたり、たまに気になる本があればピックアップしたり。
普段は、長年読まれたのであろう、日に焼けた文庫や、誰かのお気に入りでたくさんページをめくられてよれよれになった絵本が多く、心から読みたいと思える本と出会うのは稀で。
でも、この日は違った。
好きな翻訳家のエッセイ、購入しようと思って忘れていた新書、気になっていた映画の原作。
読みたい本がこんなに集まることある?
体温がぐっとあがるのを覚えつつ、ありがたく3冊を抱えて帰宅する。
改めて3冊を見ると、大きな汚れもヨレもない。そのうちの1冊には、蔵書印としてシャチハタの印鑑が押されていた。
本が好きな人のところにあったのだろう。
前の人の気持ちを受け継いで、大事に読みたいと思うし、そして、もし今後手放すことがあったとしても、次の人に同じように思ってもらえたら幸せなことはないなと思う。
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