文月某日日記
某日。
子どもたちと出かけた帰り、あまりの暑さにアイスを食べようかという話になった。
駅前のコンビニのイートインスペース。
カップのアイスを購入して、3人で横並びで食べる。
薄汚れたコンビニのガラスの向こう、午後遅くの強い光の中、大義そうにバスがロータリーに入ってくるのが見える。
両隣にいる子らは、毎分「静かに!」「騒がないの!」と注意し続けるくらいうるさいのに、今はアイスに夢中で喋りもしない。
鈍く白い夢の繭に包まれたような午後。
某日。
「ベイビーブローカー」を見に行く。
押し寄せるさまざまな感情と問題提起をしばらくは処理できずにいて。
それが落ち着いてきた頃に、はるか昔から現在まで「母親」という言葉に降り積もってきた勝手なイメージを思った。
愛、責任、優しさ、あたたかさ、おだやかさ…
そのイメージは、溶けてガチガチにかたまった古い蝋燭みたいな形で私の中にも存在している。
それは母になった私を苦しめたし、多分他の母たちを苦しめたこともあったと思う。
もっとフラットに「母」を見つめたい。見つめてほしい。
某日。
「大変だろうから、そっち行こうか」
日常小さく小さく重なるできごとに足をとられ、水中に沈むような気持ちの中。
なんとなくの事情を察して友人たちがそう言ってくれる。
その言葉と気持ちだけで、ふっと息ができるようになる。水中にいるのは変わらなくても。
この酸素のような言葉をいつか誰かに繋げられたら。
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