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機能不全家族から、嫁にいく。

”趣味が合う人がいいよね。
できれば同じ歳くらいでさ。”

「結婚」を見据えた女性たちが口を揃えて言う。それに加えて、働き続けたい人、家事育児に専念したい人、それぞれのライフプランに想いを馳せる。

長く付き合っているカップルは、ふたりの今後を軸に話し合いを重ねるのだろう。または勢いや流れに任せたり。

そんな風に語らい合う女性たちが、羨ましかった。
私にはない、”選択権”があるようで。




私は、機能不全家族の中で育った。

大黒柱の母は、働き詰めで、家にいる時間は家庭と育児の鬱憤でホラーを超えたヒステリー状態。
父の存在は、記憶にない。というより、私の記憶から消したい、が正しい。
姉は、母の興奮状態を鏡に映したように、そっくりそのまま影響を受けた。


このような話をすると、
「そんな家庭もあるだろう。」
「みんな少なからず悩みはあるよ。」
と意見を述べる人がいる。

そう言葉にするのも無理はないと思う。イメージができないのだから。健全な家庭で育った人たちには理解不能な領域がある。正直、知らなくてもいいこと。



何が「機能不全」であったか。
例えば、以下のことが挙げられる。

母のヒステリーについて。父や姉に、大声で怒鳴る。思い通りにならないことへの苛立ちと自身の努力を理解してほしい気持ちが込められている。その騒音は、静まり返った田舎の夜には刺激が強すぎた。レベルで言うと、警察や児童相談所の人が突然訪問してくるくらい。

父の存在について。精神疾患を患っていた(ここでは病名を避けておく)。仕事どころか、日常生活もままならないように見えた。私が物心ついたときにはそうだった。

姉の影響について。気が強いのに、どこか弱い人だった。強く見せようと必死だったのだと思う。大人になり、数々のトラブルで縁を切ることになった。望んでいた結果でないが、致し方なかった。

機能不全家族で育つこと。それは、機能不全家族として育った過去を背負って生きていくことを意味する。
扶養から外れたら、戸籍を抜けたら、ついでに消えてなくなるようなものではない。しぶとく、体のどこかに残り続ける。




これらを抱えて、嫁にいく。
あまりにも負担が大きすぎる、と思った。


けれど、年齢を重ねて、環境が変わって。
”家族を持ちたい”という感情が芽生えた。


そういうタイミングで、出会いはある。

徐々に少しずつ愛情を育てていくような、隣にいるのが自然な関係。

一緒にいる時間が増えれば増えるほど、交わす言葉に重みが増してくる。プライベートな領域に踏み込んで、知らない一面を並べて、人柄がより立体的になる。いい面もびっくりする面も、すべて含めて、彼らしい!と思える。

「結婚」

という話題が浮き上がってきたとき。逃げたくなるような、思わず嘘をついてしまいそうな、気持ちに追いやられる。

私のこの重荷を彼は受け止められるのだろうか?
全てを話して拒絶されないだろうか?
この子とは結婚はできないと思われるのでは?

とにかく不安でいっぱいだった。


同時に、話したいとも思った。全てを知ってほしいなんて思わない。受け止めてくれとも言わない。

でも、彼ならわかってくれるかも、気にしないかも、とどこかで期待した。厚かましくも。



彼は根気強く、私の話を聞いてくれた。
温かい言葉をくれた。一緒に泣いてくれた。

彼の家族のこと、文化のこと、考え方のことも、たくさん聞いた。過去やルーツを鬱陶しくも誇りに思っている彼は、立派で私には眩しすぎた。


“互いを尊重する”
関係性を築いていく中で欠かせないこと。大切な人の過去も家族も受け入れたいと思うのは、自然なことだろう。
けれど、「結婚」となると別物。受け入れられないなら、その先はない。


合理的な彼は、私に

「君にプロポーズできない。」

と言った。包まれない言葉がそのまま心に突き刺さった。

私を構成しているのは私の過去で、彼を構成しているのは彼の過去。どう足掻いたって、揺るがない事実。その考えを尊重するしか術がない。

私の結婚は恋愛や愛情の延長上にはない、とどこかでわかっていた。ただ、淡い期待をしてしまっただけのこと。

そう自分に言い聞かせた。




「機能不全家族出身の私でも、いい。」

と言ってくれる人。これが私の結婚相手に求める唯一の条件になった。もちろん、性格が合ってお互いに好意を抱いて、というのが前提にはなる。



縁あって、そういう人と出会った。夫だ。
夫の家族は仲がいい。絵に描いたように上手く機能している。けれど、彼らにも過去はあって、それを乗り越えての絆がある。だからこそ、より強い。

結婚後、私の予期せぬところで、夫に迷惑をかけた。家族を抜けても、まだ苦しまなくてはいけないこと、新しい家族にまで苦しみを与えること、身をもって経験した。

夫は冷静に対応した。感情はあっただろうけど、その落ち着きがありがたかった。助けられた。


「大切な妻」として想ってくれる夫がいる。これは、私にはあまりにも奇跡みたいなこと。



機能不全家族で育つこと。それは、機能不全家族として育った過去を背負って生きていくことを意味する。

機能不全家族で育ち、嫁にいくこと。それは、過去と共に、あらたな家族をあたらしく築いていく可能性、を意味する。



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