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それぞれの「豊かさ」の兼ね合い。

年末年始、広島の夫の実家に滞在してました。
両親ともにとても優しく、親世代には珍しい柔軟な考えのお二人。

結婚して他人が家族になり、今後の人生に大きく関わる登場人物になる。改めて奇跡的なことだなあと思う。

お父さんは長らくサラリーマンを勤め上げた後、役職を降り、再雇用いう形でまだまだお仕事をされている。腰が低く、人の良さも滲み出る、部下思いのサラリーマンだったのだろうなとひしひしと伝わってくる。

夫が幼かった頃は、「ウチは貧乏で悪いな。」と頻繁にお父さんが口にしていたので、夫は家にはお金がないのだと思い込んでいたそうなのだが、蓋を開けてみると、実はそうではないことに夫が大学院の奨学金を申請しようとした際に判明したのだそう。お父さん、あっぱれ。


そんなお父さんでも、いくつか弱点はあるようで、その一つが、「英語が話せないこと」らしい。勤勉で、若い頃は3年にかけて英会話を習ったようだが、英語の先生に「あなたの英語は私だから理解ができている。勘違いしないように。」と指摘されたとのこと。なんとも辛口なコメントである。そんなこんなで、傷ついたお父さんは英語を諦めてしまった。


でも、私は不思議で仕方なかった。そんなに英語を話すことに憧れを持ち、継続力もあるのに、なぜ「話せる」に達しないのか。

お父さんの不在時に、お母さんに聞いてみた。「どうしてお父さんは英語が話せないのか。方法が間違っているのではないか」と。お母さんは、「方法も間違っているかもしれない。でも、本人の中で勉強することが目的になっていて、日々のノルマをこなすことで満足に達している。」のだとお母さんなりの自論を話してくれた。
目から鱗だった。

確かに、「話す」ことが目的であれば、その改善点を先生に求めるなり、何か模索する方法はあったはずだ。

けれども、お父さんが費やした3年は無駄だったかといえば決してそうではないとも思った。


ちなみに、お母さんは専業主婦時代、新聞チラシを見比べ、買いたい物リストのうち安いものに印を付け、自転車でスーパーを梯子することが趣味だったらしい。節約の目的というよりも、ただ単に楽しかったとのこと。

お二人の話を聞いて、
それぞれの「豊かさ」とは、目標に達するまでの過程に宿るのではと思った、帰省の記録。


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