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優等生にも特待生にもならない。

noteの毎日更新を続けておられる皆様へ。

ほんとうに凄い。
ご立派すぎること、このうえない。

「書く」ことが、お好きなんだろうなあ。
それでも、やっぱり、、

「毎日は、しんどいよね。」

と言いたい。

毎日お疲れさまです。心の底から。



私事だが、2月末ごろから学校に通っている。
(専業主婦兼「学生」ときどき「ニート」になった。)

定期的に確認テストがあり、それがけっこうスパルタで。

直近のテストは、ぼちぼちの点数だった。
悪くはないけれど、やっぱり悔しい。どうせなら高得点を取りたいもの。


隣の席のあやさんが言った。
「悔しいな〜、覚えてたのにな〜」

「今回のテスト意地悪でしたよね、、。問題文がよくわからなくて。」

「やっぱり、そうですよね〜」

あやさんは、若くて何でもささっとこなす、世渡り上手なタイプ。実技であれば、きっと彼女は高得点なのに、って私が思っちゃう。

そのまた隣の林さんが言った。
「これ高得点とったら、何かになるのかしら?」

「優等生、、いや、特待生になれるとか!?」

「それって、何か意味があるの?」


「・・・・」


「確かに、、。」あやさんと私。


不意を突く指摘だった。

もちろん、高得点が取れたら嬉しい。満点だったら、るんるん気分でお家に帰って、家族に自慢ができるかもしれない。

けれど、そこに意味はあるのか、、?


林さんは過去にその道のすごい資格を取得済み。長年の専業主婦キャリアで培われた、空気を瞬時に読み操る、カメレオン対人能力には、あっぱれと言いたくなる。

その林さんが言うのだから、尚更だったのかもしれない。




これは、noteについても言えるかもしれない。
帰り道にそう思った。


昨日の更新で、48日連続で記事を書いた、と知った(noteさんが知らせてくれた)。

何かの記念日でもなければ、ただの中途半端な日。もうそんなに続いてるのね、とびっくりして。

「書く」のが好きだから続いた。それが、毎日更新することに繋がって、気がつけば日常になっていた。

同時に、「通りでしんどいわけだ」とも思った。

自分のタイピングは遅いし、ブルーライトか何かの光で目は痛いし、具合は悪くなるし、、。もう、命懸け。


それでも、書いた。書き続けた。

すっと、書ける日はいい。頭がスッキリして、爽快な気持ちになる。

どうにもまとまらない、、そんな日もある。あれとこれを組み合わせるはずが、あれとそれとこれになっちゃって、、。盛りだくさんで、わーっとなる。

「今日は、おやすみするか、、。」

何度もそう思った。だが、気がつくとパソコンに向かっている自分がいる。

なんなんだ、これは。


「いったい、何と戦っているんだ、、?」


noteを書かなければ、

おやつ禁止条例、発動!となるわけでもないし、

テレビが爆発して、大河ドラマ「光る君へ」の続きが観れなくなるわけでもないし、

大切な夫がどこか異国のスパイに人質に取られるわけでもない。


それなのに、だ。


ひたすら、書き続けている。

優等生ぶっている、のかもしれない。いつの日にか特待生と呼ばれたくて。

心のどこかでは、そんなことを思っているのかもしれない。



「それって、何か意味があるの?」



何度でも、自分に問いたい。

意味なんかない。
ただ好きでやっているだけ。ただそれだけ。

好きなことでも、嫌いになることはある。逃げたくなるときもある。

そんな日は、一旦距離を置く。

ちょっと休んでまた書く。

それでいい。それがいい。



優等生にも特待生にもならない。

意味なんて、いらない。

好きなようにやる。好きなように書く。
ただ、それだけ。






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