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テレビから流れる映像の光と影

ちょっと前の話。

朝食を食べ終わり、食後の一休みをしているとテレビから子供の歌う映像が流れてきた。
3才のこどもが可愛らしく踊りながら歌っている。その映像を妻と微笑ましく見ていると、その映像が終わり、次の時間帯の番組との挨拶をするほんの数十秒の映像で、今日はこのニュースから始めますと流れたのが、虐待されて亡くなった子供の映像だった。熱湯をかけられたりして虐待で亡くなった。

奇しくも、同じ3才の子供だ。最初の女の子は楽しそうに歌って踊って、優しい大人に囲まれている。もう一方は、熱湯に虐待だ。意図して流れた訳ではない映像だけれど、その映像を観て私は比べてしまった。
なんて、理不尽なのだろう
なんて、不公平なのだろう
なんて・・・

だが、テレビから流れたのは、ほんの一組の光と影だ。子供に親は選べない。親ガチャという簡単な言葉では整理できない。

私も、子供の頃は父親に押し入れに閉じ込められ、ぶん殴られたことがある。私が何らかの悪さをしたことが理由であると思うが、躾だからという便利な言葉で理不尽にぶん殴られた記憶は消えない。その後、父親が仕事等でとても忙しくなり、それ以降は、あまりぶん殴られることはなくなった。たった数回でも殴られた記憶は残るのだ。

それなのに、今回だけではないが報道で虐待の事を知る度に、なんて惨いことをするのだと怒りがこみ上げてくる。圧倒的に抵抗できない弱い立場の人間を一方的に痛めつけるなんて。

逮捕しても、反省しても、亡くなった人は帰ってこない。

虐待、暴行をする人達には、自分たちがした事と同じ事を受けさせてやればいいのに。
毎回、そう思ってしまう。

テレビから流れた映像以外にも、表に出ていない虐待、いじめ、暴行の類はあるのだろう。
テレビから流れる映像は、気づかないところで、幸せな人と不幸せな人を映し出す。そして、観る度に勝手に幸せと思い、勝手に自分ではない誰かと比較してまだマシなのだと勝手に安心してしまう。

現実世界のほんの一部の光と影。
それを観て、安心して良いのだろうか。

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