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女子大生、ケニアに行く! 7   (総括編)

こんにちは。みろろんです。ケニアへの旅行はその後の私の人生、価値観に大きな影響を与えました。

現在は2児の母ですが、夢は家族でケニアに行くこと!です。子供たちにシマウマの本当の姿を見て欲しい。私はこの旅行以来、動物園に行けなくなってしまったので、数えるほどしか子供たちを連れて行ってあげられていません。キリンがつやつやの毛をなびかせて走っているところを見た後では、もう無理です。

現在イギリスに住んでいるのもたまたまなのですが、なにか運命を感じます。なぜならケニアの宗主国はイギリスだからです。

私の人生はここに導かれているのでは、とか宗教的なことを考えてしますのですが、これも事実。現在私はケニア系イギリス人と接する社会に住んでいます。たいがいはインド周辺地域がバックグラウンドですが。

出産のときもケニア人助産師さんにお世話になりました。それほどイギリスとケニアは蜜な関係なのです。

なぜインド?と思われた方。実はイギリスがケニアを植民地にした際、同じく植民地だったインドから人を連れてきて、ケニア人をまとめさせたのです。(2重構造ならぬ3重?)

プランテーションという言葉は中学で習うかと思うのですが、まさにそのまとめ役にインド人が任されていました。そのため今でも多くのインド系の人々がケニアにいます。しかしケニアで「この土地はケニア人のものだ!」という運動が起きたため、インド系ケニア人は行き場を失い、その人達を救済する、という意味でイギリスのパスポートを発行し、その人達がイギリスにたくさん来る結果になりました。私の友人も自分のことは「ケニア人」と言っています。今香港でも同じような措置をしようとしていますよね。実はギリス政府は香港返還時にかなりの数のパスポートをすでに発行しているのですが。


話を当時に戻します。


帰国した私は教員という仕事も視野に入れるようになります。日本は恵まれている。それなのに人、物とも最大限活用できていないのではないか。アフリカでもテクニカル(技術)の分野に女性がたくさんいる。私のまわりはどうか。

勉強したくてもできない人たちを身近に見ることで湧いてきた責任感ともいうべき闘志でした。

私たちをケニアに呼んでくださったT先生には感謝しています。高校生の時は先生のことを有名国立大を出て、何の苦労もなく数学ができる人のように見ていましたが(私の学校ではそんな先生が多かった)、こんなすごい環境に身をおき、ケニアの発展のために尽くしている。私も何かしなくては、という気にさせられました。


「アフリカの水を飲んだ者は、またアフリカに戻る」

と言われ、(水道)水を一気飲みをしたのは私です。

胃は強いんですよね。笑


ちなみに違和感があったのは、ケニア人は私たちのことを「白人」と呼ぶこと。何度も違う、といっても肌も白い、経済も豊か。「白人」だよ、と。


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