人の一生のほぼ大半は「探し続ける」という作業に終始する(心の在り処、身の在り処)

えーと、すいません、タイトル見てココにたどり着いた方、最初に言っときますがココは人生の探求とか自分探し、哲学とか心理学とか、悟りやチャクラを開いたり、それらの方法を伝授する天啓な感じのnoteではありません。ソレ目当てで来た方は、ココで回れ右するか、ページをそっ閉じするのが吉ですよ。
そんなん確立できてたら、こんなトコでは書かずに黙ってセミナーやサロン開いてますよっ。もしくは有料ページにしちゃいます(笑)。

悟りかぁ…開きたいっすねぇ…(遠い目)。

「行きつけのお店が閉店する」という事象

今日(令和2年9月6日20時)、東京都武蔵野市の五日市街道沿いにあるファミリーレストラン「ガスト・吉祥寺南町店」が閉店しました。約8年間の営業期間でした。

調べましたらば、正確な開店日は2012年9月10日(自分の日記より。いやぁメモはしておくものですね。Foursquareのメモですけど)。誤差数日を無視すれば、ほぼ8年きっかりでフィナーレを迎えたという、たいへん覚えやすい感じの営業期間です(いや覚える必要はないけどw)。

実は私、この店舗がサイゼリヤだった頃(閉店数年前)から根城(笑)にしてましたので、「この建物の店内」に入り浸ってから、実に10年以上経っていたという衝撃の事実が今回発覚しました。驚愕です。しかも、ガストになってからは来店頻度は「ほぼ毎日」。

というのも、ある時期から自炊を一切しなくなり、夕飯はすべてガストで賄ってた…と言っても過言ではない状態だったのです。そりゃ台風の日や、都外に出てた時は行きませんでしたが、ソレ以外は雨でも行ってたんですよね。例えば、私に会いたかったらココに(夜)来れば、結構な高確率で会えたという、そんな状況でした。いやそんな人はいないでしょうけど。
特別近所にあったとかそういうわけでもなく、近くもないけど苦労を感じるほど遠くもない、という距離感でした。チャリ通勤でした(通勤じゃない)。

そんなにソコでナニしてたのさ?

食事…というのはまぁ当たり前の答えですけど、私いわゆる「長居客」でして…はい、決して威張れないアレです。どれくらいの長居かと問われれば、それこそ人に言えば「ええっ~」って顔されるくらいのアレでした。ええ、閉店時間までいる人でした。エブリディそんな生活スタイルの人なんです。
(最近は例の疫病のおかげで、閉店時間も20時だ23時30分だといった感じでしたが、開店当初からは朝7時開店・翌朝5時閉店、それが近年は深夜2時閉店になり、そこにコロナの野郎が飛び込んだおかげで、終了時間が変動制みたくなり、最近はもうしっちゃかめっちゃか(古語)でした)

まぁ店から見た私は、「なんてCP(コストパフォーマンス)の異様に悪い、迷惑な客だなー、ぉぃ」…なんて思われてたでしょう。うん自覚はあります。すかいらーくさんゴメンなさいねぇ…。ただねぇ…ここ居心地良かったんですよ。絶対的に云々いうよりは、個として相対的にベストマッチングだったんでしょう。それに加えての地の利良し、広さ十分、電源はある、Wi-Fiは飛んでる、店員はちゃんとしてる、ドリンクバーはある、メシもそこそこうまい。(夏場の寒すぎる冷房だけが玉にキズ。夏場にココに着ていく服は「冬山装備」と呼んでたw)

…そりゃ仕事も捗りますよ(苦笑)。

そう、ココでは主に様々な仕事の作業もしてました。作業のジャンルは私のプロフィール見ていただければ分かると思いますが、お仕事の絵もココで仕上げまでイッたことありますし、配信・リリースされた音楽もマスタリングまでほぼココで作成。noteの記事も大半はココで執筆してました。
…なんていうか、私は「自宅で作業できない系の人」なので、必然的にこうなるんですよ(「できない」というよりは「自宅より自宅外のほうが何倍も効率よくできる」というやつですが)。
個人的に自宅はね…ダメなんですよ。集中できない。すぐサボる。ベッドがすぐソコ。しなきゃならんこと(洗濯等の雑事)が目に見える所にある。

ね?ダメでしょ?(同意を求める瞳)

だからもう、この店は生活範囲の主軸の一つとなっていました。そう言っても過言ではないと思います。(そりゃアンタ、そんな年数通ってたら自然とそうなりますわ)

…で、あたしゃぁ、明日からドコ行けばいイイんすかねぇ。(;´∀`)。

こういう時、都市圏って便利なモンで、周辺には同店の支店もたくさんあるんですよ。よりどりみどりなんですが、慣れというのは恐ろしいもんで、別の店でまた心をゼロから慣れさせなきゃならんわけです。チェーン店なんて皆同じ風に見えるって人は多いと思いますが、店内面積とか動線とか、変なトコでマッチングしてたり拘ってたりしてた場合、すぐに他店でも即順応!って単純なわけにはいかんと思うんですよね。ここしばらくは色んなとこ見て廻って思案する作業になるでしょう。…ああ、めんどくさいなぁ。

ココで今まで会った(見た)人たち

先日、Twitterでも同じことをつぶやいてたので、そっちを引用しながらチョイ補足などあれば加えておきますね。

あの周辺だけでも確か2,3社あったんじゃなかったかな、アニメの制作会社。結構いたんですよねソコの御方たち(笑)。
あそこでアナログ原稿やってる漫画家さんにはビックリしたけど、あれは画板というより、製図板だったんですよね。画板って、せいぜい厚くても5ミリ位のモンだけど、アレは木製で3センチ位厚さあったからなぁ。気合入ってたw。製図板といえば、漫画家さん以外にも製図マンさんもいた。T字定規で製図線引いてた。「今どきは皆、CAD使ってるんやろ?」って思ってたから、なおさらビックリした思い出。どこ(誰)の仕事場の方かはわかりませんが、漫画家さんのアシスタントさん達も食事か息抜きで来ているのも見ました。私のように「店内で音楽作ってる人」も。といったように、クリエイターの方も数多く常連でいたお店でした。

「お受験親子」はねぇ…「オレたちは一体…何を見せられてるんだ…」という感じだった。教育熱心はおよろしいのだけど、子供が萎縮顔してるのを見せられながら食べる食事って美味しいと思うの?というのは、その母親に問いかけたかったよ。

「アタマイッちゃってる被害妄想オジサン」は、あれはマジで怖かった。服装もまんまコピーしたかのようなかの「宅八郎」ファッションそのままだったので、正直内心ではえらく笑ってたんだけど、ガラケー掲げて(多分録音してる)詰め寄ってきた姿は異様で「TVでよく見る、思想が極端に偏ったナントカ市民じゃねーか」と思ったよね。ここ数年は姿を見なくなったので、「自然淘汰」されたか河岸を変えたかしたのだろうけど、あのオジサンには二度と会いたくないです。貴重な時間をその人に割きたくないしね。
…今思えば、美輪明宏氏ばりに「黙れ!小僧!」くらいのコト言っときゃよかったな(笑)。

そんな人あんな人、そんな思い出こんな思い出、たくさんありました。嬉しい時も悲しい時も、平時もどうしようもない時も、家族が天に召された時も、そこで笑ったり溜息ついたり。あ、そうそう、プリパラ(アニメ)にハマって、本放送ネット配信(アイドルタイム)はココで主に観たよね。

…はぁ(Sigh…)。

人は居心地のいい場所を一生探し続ける生き物

今回のことで思った事。

「形あるものは、いずれ壊れる」とよくいいます。それは物理的な形を保ったものだけでなく、居場所や人間の関係性等にも当てはまるとも思います。万物に絶対なし。居心地のいい場所も、長いスパンで見れば場所・建物・店はいずれは無くなり、壊れる(壊される)のが必定。家族も友達も伴侶も、「地球」自体だってそう。寿命やすれ違いというのがある以上、ある意味で形の無い個も関係も、長い時間かけて穏やかに、または急に突然壊れる「モノ」。
人はその憂き目にあった時、しばしめげるけど大抵はソレを修復すべく、また動きはじめます。次のベストを探しに。人生とはその繰り返しなんだと。学校・職場、結婚・離婚、就職・退職、誕生・死別とかみても、そうでしょう?多分、今回の閉店も、長い運命の中のごく一部なんだよなと。寂しいは寂しい。でもそういうコト。

だから私も動き始めます。「コレは運命からの要請。変革の時は来た」と思うコトにします。長い人生の中の、少し大きめの一事件。そんな感じで行くのが良いかなと思いました。

永遠に続く安住の場所なんてない。ならば多少居心地のいい、多少長く居られるベストな場所をまた探そう。
「タダの行きつけのファミレスごときに、大げさな位置づけだな」とお思いでしょうが、個人の主観なんてね、そんなもんです。事象に対しての位置づけは、個の自由なんですよ(笑)。

三界に家なし……無頼

今回、これを書いてて、昔読んだ漫画にセリフを思い出しました。今回の主題とはあまり関係ないのですけどね。

「猫はしょせん、三界に家なし……無頼」

高野宮子さんが描く名作、「無頼猫」の主人公(野良猫)が言うセリフです。(フレーズの元ネタになると思う某仏教用語は、今だと何かとイラン物議を醸すと思うので、触れずにいておきますw)

最初からそういう気概でいれば、多少は楽なんでしょうか?…いや、野良は野良で、いざそういう事に出くわしたら、やはりそれなりに凹むか。

優しく切なくていい作品です。とりあえずオススメしておきますね。

ファミレスではない世界線

さて、これからはこの店に変わるところを探さなきゃ…という事なんですが、実はファミレスではない所も視野に入れています。月額制のコワーキングスペースなんかもイイなと考えてます。ソコに通う形にするのです。とにかく、現状では「自宅が作業に適さない所」という現実は変わらないのですから。

ともあれ、ガスト吉祥寺南町店には感謝しかありません。こんな駄客を長いこと受け入れてくれてて、ホントもう何と言ったら良いか(苦笑)。最後の退店の時は、そこの最後の店長(マネージャー)さんに少しご挨拶できました。締めくくりにはちょうどよかった(多分地域の他の系列店でバッタリってのがあるかもしれませんがw)。

沢山の時間と場をありがとう。あっ、あとですね、別支店に行く事になっても、あんまり邪険にはしないでください。ちゃんと食べるもんは食べますから(笑)。

店が無くなったのは悲しい。でも、それでも私は生きていく。それでも世界は廻っている。

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さ、明日からまた頑張ろう。

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