見出し画像

【本音】大好きな消防士を辞めた理由

辞めたくない!辞めるなんて考えたこともない!

そんな私ですが、いずれは「独立したい」という想いはあったんです。
でもまだ先だな。って思っていました。

消防隊に配属されて2年半経った時、ある程度消防署の1年間の流れは理解した。仕事もこなせるようになってきた。後輩もいたし、ちょっとゆとりが出てきた時期。

そこでまさか、予想外の異動!しかもメンバーがガチガチ!わぁ〜終わった。

管轄地域の真ん中にある消防隊で出場件数は多いが訓練する場所があまりない。本部の職員も居る場所。
今までとは時間の流れ方がまるっきり違い、仕事量も増える。そこで過ごした一年はとてつもなく早く感じました。

振り返ると、ガチガチメンバーだっただけに気付いたら自然と自身のレベルアップしていたなぁ〜と思います。その一年が過ぎ去った後には、仕事もプライベートにも余裕ができていました。
外に目が向くようになり、積極的に資格の取得やセミナー、研修に参加する日々。

また、いつかは絶対にやりたい!と思っていた広報のお仕事も、自ら動くことにより、一通りやらせてもらえることができました。
更に、あれも!これも!と頼まれるようになり...(ありがたいことですが

頻繁に関わることで、上層部や内部の事情がよくわかりました。
その中で、思うようにいかないことが8割。
広報のことだけではなく、新たな提案や試みを投げかけても潰される日々にウンザリしていました。

多様性が必要な時代に、どうしてこんなにも頭が堅く、柔軟な対応ができないものか。
※ちなみに、多様性については、過去に広報誌に掲載させてもらっていました。私なりの主張でございます。笑


理解がある人はたくさんいるのに、その人たちは階級が追いついていない。
トップ集団のエゴや好みで回る組織、どうにかしたい。
過去、消防組織の改革の成功事例は渋川消防の元青山消防長でしょうか。
やはり、それなりの立場に行くまで我慢し続け、トップに立った時に革命を起こしたと認識しています。

そんな風になりたいけど、待てない。

ということで、やりたいことをやり尽くしたらネクストステージに行こう!と思い始めたのです。

梯子車の機関員になりたい!と思ってこの時点で3台目の梯子車、すべて違った車両を経験できたのは恵まれていました。
広報でやりたい放題やった。

あとは?

管轄内でオリンピック会場があるから仕事でオリンピックに携わることができる!
これは一生に一度の経験だ!

オリンピックを経験してから独立しよう!(最短)
若しくは
救助指導会、納得するまでやろう!(最長3年)
という自分の中でも目標ができました。

じゃぁ、独立するにも、何をやる?

私は前職デザイナー。
元々、公務員家系で先祖代々全員公務員でした。
そんな家族に生まれ育ち、公務員には絶対なりたくない!と思っていました。
結果、デザイナーを経て公務員になるという異例のパターン?となりましたが。笑

公務員は給料が決まっているし、安定しているけど手に職ないよねぇ〜。
何かスキルを身につけたいなぁ。スキルを身につけてからでも公務員になれるし。
そんな思いでデザインを学校で勉強し、デザイナーになったのが経緯です。

公務員になってもデザインからは離れず、自然と教官方から消防学校の仕事を依頼されたり、専科教育のTシャツや記念品の作成依頼が来たりと、活かす場所がありました。

ただ、独立するのってデザイナー?

これは違う。

一般人が経験できない消防士という職を活かした形で何かできないかなぁ?

とモヤモヤしていました。

同時に、交代勤務は休みが多いという利点があるので、休みを利用し、スキルアップに努めました。
資格の取得はもちろんのこと、しばらく離れていたweb制作などいろっいろやりました。

そして自ら動きまくった結果、今まで培ったスキルを全てフル活用できる今があります。

やっぱり一番好きなものは「消防」であって、中にいては手の届かない痒いところにアプローチし、消防業界が良くなっていくようなムーブメントを起こしていきたいと思っております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?