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『何をやっている人』なのか

 『あなたの肩書きはなんですか?』

 人には誰にでも肩書きがある。肩書きというのは、何も仕事で持つ名刺に記載されたもの、それだけではない。もちろん資格やポジションは肩書きには違いないし、その肩書きを提示して初対面の人と対峙することも普通のことだ。ただこれは『職業』『仕事』に関するシーンにおいて用いられる肩書きである。

 それ以外にも、学生、主婦、町内会の役員などもあるだろう。もっと言えば誰かの妻であったり夫であったり、親であったり、当然のように誰かの子供でもある。

 そういったあらゆるシーンで使われる肩書きというものを、わたしたちは常に身にまとって生活をしている。名前だけで押し通すことは、案外少ないのではないだろうか。自分というものを知ってもらうために、その肩書きは十分な情報になるはずだ。シーンによって、使われる肩書きも変化をしていくだろう。PTAの集まりで、「〇〇の娘です」とは言わないはずである。求められるのは、『誰の親なのか』ということになるだろう。

 よくこんな言葉を耳にする。「何をやっている人なのか」

 それがわからなければ、どんな人なのか、何もわからないから、何をやっている人なのかを明確にしておくべきだ、そういった意見を耳にすることが多い。これはもちろん一理ある話で、とりわけネット社会では見える部分が少ないために、提示すべき必要な情報もあるとは思う。

 ただここで、わたしは考えてしまう。この肩書きを持ち出さずに、それらをすべて取っ払って、スッピン状態になった時にこそ、その人の本質が現れるのではないだろうか?そこで発する言葉や行動にこそ、その人の在りようが見えるのではないか?と…。

 名前だけを持ったひとりの人間としての在り方を、日頃から意識していないと、これはとても怖いことなのかも知れない。自分を知り、その軸を常に意識していないと、自分で自分が何者なのかわからなくなってしまうだろう。

 そういう意味ではこのnoteもそうだし、ブログやSNSの中では、個としての自分を投影させることが可能だ。日々感じたことをアウトプットすることで、自分を客観視することができるだろうし、それはとても貴重な行為だと思う。

 さまざまな、自分に合った表現方法でアウトプットするということは、自分自身がそのままひとつのコンテンツになるということなのかも知れない。不恰好でも構わない、わたしというコンテンツを循環させることで自分を成長させてみたい…。


 自分自身を知ることを意識してみよう。内観と客観視を繰り返し、自分の軸をしっかり保ち、グラウンディングを意識しながら日々を過ごしてみよう。そうすることによって、この『あなたは何をやっている人ですか?』の質問にこう答えられるようになりたい。

 『人間をやっています』

 いつかそう言ってみたい。


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