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エッセイ・コラム

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感じた事をいろいろ書いていきますので、読んでみてください。
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別方向へ向かった神話

別方向へ向かった神話

「閉じた神話」わたしは何度かこの言葉を使ってきた。果たして「誰」が神話を閉じたというのだろうか。

先日神話部部長の矢口さんからひとつのリンクをいただいた。妖怪に関しての、識者へのインタビュー記事だった。
「この内容、翠さんが書いた「閉じなかった神話」と、論調が近くないですか?」と、矢口さんに言っていただいた。正直びっくりした。何となく思っていた事を書いただけだが、確かに識者が示す論に近いのだ。

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天宇受売命という存在 前編

天宇受売命という存在 前編

日本神話の中でわたしが最も好きなキャラクターは天宇受売命(アメノウズメ)だ。
彼女の説話から、古い古い時代の素朴な神話の精神を垣間見る事ができるからだ。
さてその上で、後世①かかる説話から彼女の存在を薄めてしまったように感じられる事。②彼女の事を具体的には見出せずとも、強く彼女の存在を感じる事。このふたつの事象について、前後編にわけて書いてみたい。
それによって、わたしの胸中に湧く神話の世界観を、

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天宇受売命という存在 後編

天宇受売命という存在 後編

前編はコチラ

後編 ② 戯れては笑ひゑらぐ

天と地が分かれ、山河が整い男女が現れ結ばれて子孫を残す。やがて闘争や支配、統治に進む。
これを軸に様々な理に対する説明や、正当性の提示という枝葉を付ける。
時代の経過に伴い、世相思想を反映させ、後の人々の手による解釈や脚色も加わりながら、神話は整ってきたのだろう。(少なくとも日本の神話は)

物語が進むにつれて、人の感情の投影が増え、神々が徐々に人に

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閉じなかった神話

閉じなかった神話

異論はあろうかと思う。これは単なるわたし個人が感じている事であり、尚且つ上手く伝えられる気もしないのではあるが……

八百万の神々を人の暮らしの傍らに送り、それ自体はスメラミコトに繋がり閉じていった神代。そしてその後時を経て生まれた伝承や民話の数々。
職業集団の一種である『語り部』が奏上した神代ではなく、生身の人々の口と心が語り継いだ物語は、ある意味『閉じなかった神話』と言えるかも知れない。

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エッセイ 花

エッセイ 花

桜前線とは心踊る言葉ですね。
毎年毎年の事ながら、短くも咲き誇る花を愛でる。季語において、心の目で見る桜を「花」と言い表す奥深さには、さもありなんと頷くばかりです。

「花と言えば桜」とは、平安時代から。それ以前は「花と言えば梅」であり、それは唐風文化の影響から来ている、と言われます。
ただこれは文芸にも投影する風情の話であるようにも思えるのです。
どうも桜には、眺めて楽しむ以上に敬う理由があった

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単に気持ちいいからだけかも知れないけど…

単に気持ちいいからだけかも知れないけど…

木曜日、久しぶりにロミロミを受けてきた。

神話を中心にしたハワイの民族信仰の中でもとりわけ重要なものに「マナ」がある。
これは、万物に宿る生命力と言ったらいいだろうか。東洋思想の「気」にも例えられるかも知れない。マナは神々に繋がる力として考えられてきた。
各酋長はマナの力が強いとされ、それを受け継ぐ形で酋長は世襲されてきたようだ。マナは血族間で受け継がれるのが摂理だと言う。
ここでいかにも民族信

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空高く生まれ土深く潜る

空高く生まれ土深く潜る

この冬神話部は三周年を迎えた。このタイミングで神話全体について思う事を少し書いてみたい。

想像するしか無い事を前提とした上で、世界各地の神話についてかねてより感じていた事がある。
全体的な話としてより古く、オリジナルに近くなればなるほど、神話は心のありようや心の作用といった領域については、さほど深入りしていなかったのでは無いか?という印象をわたしは持っているのだ。

後に出てくる、確固とした教説

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火祭り

火祭り

 8月26日、27日に、毎年山梨県富士吉田市にて火祭りが行われる。重要無形民族文化財に指定されている祭りで、どうやら季語←でもあるらしい。
 この辺り駅名で言えば富士山駅。何年か前に駅名から「吉田」を消し去ったのだが、実におこがましい。邪道だwww。

 火祭りに話を戻す。一昨年は疫病の影響で中止。昨年は断行し、今年も開催される。

Wikipediaより引用 CC BY-SA 4.0画像
画像ラ

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タイトルあまり書きたくない

タイトルあまり書きたくない

縄文土偶の中に、口から肛門にかけて串刺しの穴をあけた物が発掘されている。縄文も晩期のものだと言う。

神話部で改めて神話に触れていると、どうしてこうも性行為を表すものが多いのかと思う。
コメント欄でそれについてやり取りした事もある。
世界を見回すのはなかなかハードルが高いので、主に日本の中でわざわざ考えてみた。



今神話として知られている物語は、元々散り散りだったパーツ(別の民族が持つ物語だ

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え、そこで完結ですが

え、そこで完結ですが

正直、唐突過ぎるのだ。
神話部に寄せるコラムや論考もどきの記事が。
当のわたし自身がそう思っている。それを何とかしてくれているのが神話部の存在だ。

部長の矢口さんが覚え書きを出された。これは神話というモチーフであるがゆえ、非常にデリケートに扱うべきという信念の現れだと思っている。
宗教性や信仰性と切り離す事が難しく、思想の誘導を促しかねないからだ。

エッセイ、コラムの類いを書く時に気を付けてい

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日本「の」神話

日本「の」神話

本当は「庶民によって広く歌われていた素朴な歌をベースに、後から物語らしい肉付けをした」について書きたいのだ。
ただそこまでの力がわたしには無い。
日本神話の話だ。
なのでやめておく←冒頭がこれかよ。

別の角度から考えた事を書いてみたい。
何度も書いてきた事を性懲りも無く掘り下げられればと思う。

一般に日本神話と言われるものは、王権の正当性の提示を主な動機とした、記紀と言う国書の中に収められてい

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弾丸お墓参り

弾丸お墓参り

我が身の真を示すために産所に火を放ち、三柱を産んだという伝承を持つ木花咲耶姫。
富士の御祭神は、美しくも怒りを買ったとあればなかなかの強者。
天孫邇邇芸に不貞を疑われたとは、女のプライドが許さないのだと。姉の石長比売と性格は似ているのかも知れない。

夏至の時、伊勢神宮の入り口とも言われる二見興玉神社の夫婦岩の真んから太陽が登ることが知られているが、富士山から伊勢神宮を通った直線を引いた場合、その

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振り返ってみると

振り返ってみると

まもなく年越し。今年もわずかとなりました。

わたしは詩を主体にしていますが、noteだからこそで言えば、今年も神話部の活動とハイクサークルに衣替えした俳句に取り組んできました。

そもそも詩の歴史は神話に始まり、その後韻文を主軸に発展してきた経緯を持ちます。同時に現時点で俳句は、日本の文芸の中では韻文の一番新しい形態であると言えるのではないでしょうか。
個人的にはその視点で取り組んでいます。

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神話部二周年記念企画に寄せて

神話部二周年記念企画に寄せて

note神話部と言う同人活動ができてまもなく二年になる。
元々神話のモチーフを入れ込んだ創作をポツリポツリとやっていた事もあり、楽しんで参加させて貰えるのはありがたい限りだ。

神話部に寄せられる投稿を見ていると、エンタメから思想哲学まで幅広くカバーされているのでおもしろい。
そんななかで、わたしにとって神話との向き合いの方の基本は「なぜそのような神話ができたのか」「そのストーリーにどのような意味

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