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届いた息子のクリスマスプレゼント!「不登校息子のこれまでを少し振り返ってみた。」

クリスマスにオーダーした息子のためのプレゼント。

セラミック包丁とホッピング

が先日届きました。

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2年連続包丁のプレゼント。↑これはおやつに食べたウマズラハギです。自分で捌いて肝醤油を作ってお刺身でいただきます。いつも私にも分けてくれます!

今日はなぜか今までの事を色々思い出します。

【不登校になる前の事】

彼が小6だった年の5月、少しずつ学校へ行くのを嫌がり始めました。そこへ至るまでの事を今日は書いてみます。

私は仕事柄、教育や中学受験に関する情報をたくさん目にしていて、自然と息子にその意思があれば受験させてもいいかな?ぐらいには思っていました。

小4の頃、算数が好きだった彼のために難しい問題集を買い一緒に取り組んでみると、嫌がらず意外と楽しみながら解き進める事ができました。

小5になった時には家庭教師の先生に来て頂き、さらに難しい中学受験用の問題に取り組むようになりました。その頃本人に選択肢としての中学受験を提示したところ、「やってみようかな」という意思を示したので始めたお勉強でした。それほど積極的ではないにしてもやってもいいかも、、、という感じだったのだと思います。そしてとても外交的な彼は学校でもお友達や先生にその事を話していました。

小5の9月頃、私は中学受験のための塾に行くことを勧め、彼は了承しました。受験雑誌を読んでいた私は(仕事で毎月もらえるので)より受験の為に何をしなければならないかを真剣に考えるようになっていました。

この仕事をする前は、子供に受験させるなんてかわいそう、、、と思っていたのですが、彼が勉強が嫌いではなかった事と、もう一つ受験に向かわせようとした理由がありました。それは

「父親の希望」、p:

です。6歳年上の姉が地元の中学に進みましたが、市内でもガラの悪いといわれる方の学校でした。心配していた通り、お友達の中には万引きをする子、たばこを吸っている子、夜中に出歩いている子等、問題児とされる子がいました。その中で本当に悪い事はしていないにしても長女も問題児の一人となっていきました。それは

メイクが大好きだった

からです。小学校の時からなぜか美容に目覚め、(その頃の私は本当に無頓着でメイクも最低限、美容院には行かず自分で髪をきるような人でしたので決して私の影響ではない)中学になると自分が美しくなれるメイクにはまりました。それは彼女にとって「とても夢中になれる事」だったのです。今は化粧品を売る仕事をしていて、毎日キラキラのお店で彼女らしく働いています!でもその頃はもちろん学校にメイクをして行ってはいけなかったので学校に入れてもらえず帰ってきたり、別室で過ごしたりと問題児の仲間入りをし、私もよく学校に呼ばれていました。

家でも私達と激しくぶつかるようになり、夜帰らなかったりするようになっていきました。そんな長女の様子を見て、「息子は絶対に地元中学に入れたくない」というのが「父の思い」でした。

それを分かっていたので、もし息子b自身が中学受験をやってもいいと思えるのであればやらせてみようと思っていたのです。

しかし本当に息子が主体的に望んだことではなかったので、受験の為の塾は彼にとって苦痛でしかなかったと思います。すぐに塾が嫌いになり、行きたくないと言い始めました。私は騙し騙し行けるといいかなぁという感じで、その場その場でなだめながら様子を見ていました。4年生から頑張ってきたことを思うとすぐにやめてしまうのは残念だったからです。

そして彼が受験する事になり、それまで通っていた習い事は全部辞めてしまっていたこともありました。空手、水泳、プログラミング、ギター等です。これらの習い事は彼自身がやりたがった事でした。今思うとものすごく意欲のある子どもだったと思います。ただ、中学年頃からはまり始めたゲームのおもしろさにはどれもかなわなかったようです。

そして6年生に上がる前の春休み、とうとう彼の中で限界がきました。

塾に行けなくなったのです。

私自身もそこまで強いて受験させたかったわけではなかったので、こうなったらもう仕方ないから受験を諦めようと決めました。父親はとても残念がりましたが、行きたがらないので仕方ありません。

丁度その頃、私は音楽活動を少しずつ再開し始めていて、私自身は好きな事を夢中でやれる喜びを思い出し始めていました。

学校での彼は元気でクラスの代表委員等にもなりたがるような目立ちたがりでした。でもそんな彼でしたが、学校が嫌になる理由がありました。

「おちょくられる」

事です。これは関西弁でしょうか?

いじめられているという感じではないのですが、すぐムキになるところがあり、あるタイプの人にはそういう人をおちょくるのはとても楽しいらしいのです。少し冷静に対処できれば相手も面白くなくなるのでしょうが、彼にはそれができなかった。傍から見ればじゃれ合っているようにも見えるかもしれません。ましてや空手をやっていたりと強いイメージがある息子なので、いじめられているようには見えないし、実際それとは少し違う。微妙なのです。それは4年生ぐらいからありました。先生に相談するも何も解決せず、息子は何度も

「なぐってきていい?」

と私に聞きました。

今の学校は暴力が1番の悪ですね。野蛮だし。私は「あなたが責められる事になるから我慢しよう」と言い続けていました。何とか彼自身の対応を変えられたら相手もやらなくなると思っていたからです。でもそれは不可能でした。

6年生になってそのおちょくってくる子と同じクラスになり、仲良かった子とは違うクラスになり、息子は学校にいくのがだんだん嫌になってしまいました。

色々な事が重なってしまった5月のある日、彼はウルウルしながら、本当に学校に行きたくないと言いました。その日は父親の仕事に行く時間が遅く家にいたため、彼は息子の様子をみて苛立っていました。その頃学校を休みがちになっていたのを知っていてそれに対してとても怒っていました。

このまま息子がだだをこねたら父親の怒りが彼に向けられるのは分かっていました。そしてそれを恐れた私は息子とランドセルを車に乗せ家を出ました。そして私達はそのまま海に行きました。

海の見える高速道路を車でとばす母親を見ながら息子は複雑な顔をしていました。

本当に困惑した顔をしていたのを覚えています。私はその時「嫌なら行かないって選択もある」というような事を言った気がします。

そんなに嫌なら行かなくてもいい。」それを私が言った事に息子はとても驚いていました。

その日息子は海水パンツを現地調達して、海に入りました。それからおいしいごはんを食べて帰りました。

「パパが知ったら怒られるね」

「大丈夫ママがいいって言ってんだから」

そんな会話を楽しくしながらまた海の見える高速道路を走って家に帰りました。

その後から息子の不登校生活が始まります。私自身もずいぶん変わったし、家族もずいぶん変わりました。たくさん泣きました。不安で不安でどうしようもなくなると、息子を責め、傷つけ、自分自身も傷つけ、その後仲直りをたくさんしました。固定概念を変えていく作業は全然たやすくなくて、なかなかうまくいかず、すぐに不安になります。ましてや家族の固定概念を変える事は不可能です。とにかく自分が色々なものに目を向けていく、知る事で広げていく。その繰り返しでした。

その中でたくさんの人達の言葉に支えられてきました。家の中では孤独だったけど、外に出れば理解してくれる人に会えました。いやむしろ、そういう人にしか会わなかったように思います

私が音楽を再開した後に出会った人達は皆私と息子の味方でした。

本当にありがたかった。そしてタイミングばっちりだったなぁと思います。

こうやって思い返すと私は2年前の自分と全く違う人間に生まれ変わっているようです。ヨガのプラクティスで最後にするポーズ

シャバーサナは”屍のポーズ”

千帆先生は教えてくれました。シャバーサナが終わったらあなたは

生き返るのではなくて生まれ変わるんだよ!

今日も生まれ変わります!最後まで読んで頂きありがとうございました。

皆さまよい一日をお過ごし下さいね。

See you soon!

Love,                                  Midori♡










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