「読書感想文:風立ちぬ」

・ジブリ映画観てないんだけど、なんか戦争のお話で、戦闘機を見上げる丘の上のカップル・・っていう印象の作品。

・どんなんだろ!って少しわくわくしながら読んだら、、、読んだら、、、、

\(^o^)/


・イメージと作品のギャップがすごすぎて、何が何だか。笑

・ココイチでカレーを注文したら、竹箒がでてきたんですけどってくらい、想像を遥かに上回る「コレジャナイ」が提供された。びっくりした。


・ジブリ映画の風立ちぬは、宮崎駿原作の漫画から生まれたらしく、小説風立ちぬからの着想はあるけど、本当にほとんど交わりのない作品らしい。

・登場人物は3名。当時不治の病である結核を患った「節子」と旦那の「おれ」と「節子の父」。結核を宣告されて、夫婦で山上にある療養施設で節子が息を引き取るまでを描写しつづける完全に鬱展開のお話。

・日本に住んでいる父に「風立ちぬ読んだよ、思ってたのと全然違うし最悪だったんだけど」とメッセージを送ったら
「ははは。確かにロクでもないな。あの端正な暗さがいいのだ。」

と返事がきて、

「端正な暗さ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

と思った。その表現すこ。どこからか盗んできたなきっと。


・病棟に入ってから、本当に丁寧に、節子の先が長くないことを理解しつつ、ただそれは決してお互い口に出さず、ゆっくりゆっくり弱っていく節子とそれを見つめるおれを描いてる。。。。。。

・もう、読んでてツラくてツラくて。。本当に申し訳ないけど、いっそ早く死んでくれよって思ってしまった。何度も。
だってさ、おんなじ病室のおんなじベッドで朝を迎え、食事をして、夜になり眠る、ってだけの生活を本当にまる一年続けて、ただ死んでいくだけの小説なんだよ。
「寿命を全うするだけの時間」「人としての尊厳」「生きている意味」とか、もしも自分がこの立場だったらどうだろう。って、苦しくて。。


・私は、人を看取るという経験をしたことがなくて、ただ、高校生の時、父方のおばあちゃんが癌になって、死期が近くなったときに会いにいったことがある。たくさんのチューブに繋がれて、こちらを誰だかわかってないんだろうな。ってくらい弱っている姿。「今日は調子いいよ」って言っていた誰だか知らない親戚。反応があるから、調子がいい。って。。どういうこと?って思った。「生」ってなんだろうと思った。あんなの、死んでるのと一緒だ。声は出せても、もう言葉でコミュニケーションをとることのできないおばあちゃん。あの「人」のような「生」を纏った肉の塊が、本当におばあちゃんだって、思えなかった。
あ、一つ補足させてもらうと当時は、今よりも全然語彙力とかなかったし、感性もまだ未熟だったけど目の前のおばあちゃんを肉の塊だなんてもちろん思っていなかった。
でも、私にとってのおばあちゃんはもういないんだなとは確かに思った。

・そんなことを思い出した。


・今まで読んだり観てきた作品の中で「死」がストーリーの中で登場する回数なんて数え切れるわけがないし、フィクションにおいて本当に身近(って言っていいのか)なものだけど、
ここまで生々しい「死」を思い出させたり考えさせられる作品はなかなかないんじゃないかなと思う。「死」という概念の解像度が異常に高い。高すぎる。

・これを読んだから、大切な人を大切にしよう。とか思わなくはない。
でも、本当にいやだった。辛かった。わかる。誰よりも愛した妻の生の記録を永遠に残したいっていうのは。でも、、あまりにも、、、リアルすぎて、、、、
正気じゃない。

・100日後に死ぬワニもかなりいやだけど、死期がわからずただただ、生きながらえていく今作も、たぶんおんなじ「イヤみ」があるのかな。
人には(ワニにも)死期があるってこと、それが確実に近づいてること
当たり前のことを思い知らされるイヤみなのかな。

・私は今作を通じて、死と、もうマジでいやだったけどちゃんと読み切って、向かい合ったつもり。それを読者にしてほしくて書いたんだろう?堀辰雄さんよ。

・結果、死ぬのこわ〜い。って思ったよ。

・ただそれだけ。

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