肉まんを新大阪で


肉まんを新大阪で 平松洋子



平松洋子さんのごくごく短いエッセイはネット記事でなんどか読んでいた。

例えば、海苔かまぼこ。

かまぼこを厚く切る、海苔を巻く、それだけ。
それにおろしたての山葵があればなおよし。

手間は掛からないけど、これは間違いなくおいしいよね。

そんな、ちょっとつまみ食いをなんどかしているうちに、平松洋子さんを本格的に味わってみたくなった。



どのお話もとてもおいしいけど、随一だったのは「おからでシャンパン」。

そう、おからの炊いたんとシャンパンのマリアージュ。

いちごじゃなくて。

こんなの誰も教えてくれなかった。

ソムリエでさえ。



こんな一節が内田百閒の御馳走手帖にあるらしい。

「お膳の上に、小鉢に盛つたおからとシヤムパンが出てゐる」

これを実際に平松洋子さんも偶然試すことになる。



長年ずっと神棚に奉ってきた「おからでシャンパン」だもの、もしも残念だったらなんとしょう。

おずおずと箸を伸ばした。おからをひと口、シャンパンをひと口。



言葉にならない感動を覚えた。

おからのあとを「シヤムパンが追つ掛けて咽へ流れる工合は大変よろしい」。百閒先生、まさに、まさに。
内田百閒を満足させるのは、北大路魯山人よりむずかしいと思う。

肉まんを新大阪で / 平松洋子



いま一番悔しいのは、お酒を辞めてしまって、わたしにはもうこのマリアージュを試すチャンスがないということ。

残念無念。



実は、平松洋子さんのおいしい、おいしいエッセイには、もうひとつの側面がある。

読みながら、この感覚はなんだろう?ただの食レポエッセイとは違うこの感覚はなんだろう?とずっと思っていたのだが、詩人の伊藤比呂美さんの解説でストンと腑に落ちた。

このシリーズはほかにも
『サンドウィッチは銀座で』
『ステーキを下町で』
『すき焼きを浅草で』
『かきバターを神田で』
『あじフライを有楽町で』
などがあって、どれもおいしそう。

ただの食レポエッセイではない、文学としての平松洋子ワールドはまだまだ広い。



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