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子供が忘れ物でイライラ!そこから自分の望む家族の姿を知る

以前、子供に確認をしたにもかかわらず、上の子が体操服を忘れて、とてもイライラしました。そして、その上の子の忘れ物を気づいてから、そのイライラの矛先が下の子にも出されるということにもなったり、、!今回は、子供の忘れ物をすることの一体何がイライラさせるのだろう?と考えてみたことの記事です。

実際、何にイライラしていたのか?

上の子は、自分がいつ何を持っていくのか、については、ほぼ興味がないため(笑)毎日の登校準備がおざなりの毎日なのですが、体操服を忘れたら体育を受けさせないという先生がいるので、家に置き去りにされた体操着を見つけた私は「なんで忘れるんだ!」と朝からイライラを引きずっていました。

で、イライラの最中、ふと考えてみたのです。

Q:私は忘れたことが嫌だったか?・・・忘れることは結構どうでもよかったのです。じゃあなんで、忘れたことが嫌だったの?というと、忘れたことで、体育を受させないという制限をされたことが嫌だったんだ、と思ったわけです。

Q:じゃあ、なんで体育受けられないことが嫌だったんだろう?・・・と考えると、子供の可能性を広げるチャンスを少し失った気がしたから、でした。

Q:ほんで、その子供の可能性って何よ?・・・って深堀をしてみたら、体育の授業を受けられることによって、本人が楽しい時間を過ごせたり、筋力UPしたり、、、、。

ここにきて、あ、でも正直、そんなに私が思い込んでるほど、一回の体育の授業で子供の可能性広がらへんわ、、とわかったのです。

ここまで落とし込んで、意外にもスーッとイライラが引きました。

自分のイライラを明確に言語化するだけでイライラは収まる

言語化できるとともに、イライラは一瞬にして収まり、そんな体育の授業一回くらいで、しかも体操服忘れたくらいで休ませる先生の授業なんて多分しょうもないから、別にいいわ。(毒)と切り替えができました。

今あるルールの中で生きていくにはとても生きづらい私と息子が、それに沿おうとすると、私のフォローだけでなく、先生や社会のなかで合理的配慮が必要となりそれと共に生きることも実は息苦しい。

既存のなかで子供の可能性を広げようとしたら親のフォローはずっと一生続くし、自分も子供がそこに合わないことへの苦労が絶えず、これでもかこれでもか、とフォロー三昧の毎日を過ごすことにイライラしていたのだ、と。

そこでふと、なんでこんなに、既存の中で生きる選択をしているのだろう?という新たな疑問が。

既存に合わせるしか道がないわけではない。息苦しさは、既存の中で生きていこうとするところにしかなくて、既存の外に行けば、自由なんじゃないの?と。

私の理想のHappy Family Lifeって?

既存の外だろうが、中だろうが、忘れ物してても、遅刻してても、学校に行ってなくても、勉強一才できなくても、子供の感性を生かし尽くして、ひとりひとりが人生の可能性を広げている!と私が心底毎日実感できたとしたら、全部どうでもいいと思える。そしたら、なんて素晴らしい毎日が送れるだろう、とこれからの自分の未来を描きました。

イライラや怒りは、いつだって自分の「なりたい自分」を教えてくれる大切な感情なんだなぁ、と改めて思います。

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あなたのイライラ、怒りをコトバにするリーディング&コンサル


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