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【アーカイブス#6】 偉大な師匠のそのまた師匠*2009年9月

 このMIDI RECORD ClLUBのマガジンの連載記事のひとつに田辺マモルさんの『うたとギター』 がある。以前そこで田辺さんはラウドン・ウェインライト三世を取り上げていた。田辺さんはラウドンの紹介をし、その魅力を語りつつ、誰になりたいかと聞かれたらラウドンのようになりたいと書いていたが、実はぼくもまったくそうなのだ。ぼくにとっても、このラウドン・ウェインライト三世こそ、最もお気に入りで、最も親近感を抱き、最も影響を受けているシンガー・ソングライターだ。

 自分の名前をタイトルにした1970年のアトランティック・レコードからのデビュー・アルバム『Loudon Wainwright 3(表記はローマ数字)』 を耳にして以来、ぼくはたちまちのうちにラウドンの歌のとりことなり、それから40年近く、彼の新しいアルバムが発表されるたびにすぐに買い求め、ひたすらその歌に耳を傾け続けて来た。

 ラウドンは1972年から73年にかけて、「デッド・スカンク」という歌を大ヒットさせたこともあって(何と全米チャートで16位!!)、メジャー・レーベルからほぼ二年に一枚のペースでアルバムを出し続け、当時は日本盤もちゃんと発売されていた。

 70年代に入ってから、ぼくは歌うことと同時に、音楽の原稿も書き始め、日本盤のライナー・ノーツや対訳の仕事もいろいろとさせてもらうようになったが、ラウドンの日本でのデビュー盤となった1972年の3枚目のアルバム『アルバム3(表記はローマ数字)』 をはじめ、何枚かのアルバムで解説を書いたり、対訳も手がけさせてもらった。

 ちなみに『アルバム3(表記はローマ数字)』は、二年ほど前にソニーから紙ジャケット仕様のCDで再発売されることになり、その時に改めて当時自分が手がけた対訳のチェックをしたら、とんでもない誤訳だらけで、恥ずかしさで顔は真っ赤っか、穴があったらすぐに飛び込みたい気持ちになってしまった。あの頃は、ほんとうに何もわかっていなくて、ひどい仕事をしていた。猛省。そんな対訳を読んでくれていた人たち、そして何よりもそんな対訳をされていたラウドン本人に心から謝りたい。もちろん二年前のチェックでは、できるかぎり間違いを正させてもらった。

 話がちょっと脱線してしまったが、田辺マモルさんと同じく、ぼくにとってもラウドン・ウェインライト三世は、自分がなりたいというか、自分が最も手本にしているシンガー・ソングライターで、実際に彼の影響を受けて作った曲が(中には影響を受けすぎて、ほとんど盗作まがいの曲もある)何曲もある。

 田辺さんは自分の連載記事の中で、音楽之友社から出版された『名盤ガイド480 アート・オブ・フォーキー』に五十嵐正さんが書いている、ラウドンについての文章の一節を引用していた。それはこういうものだった。

「ラウドンは69年以来、少年期の出来事、ケイト・マクガリグルやサジー・ローチとの結婚生活と離婚、別れて暮らす父子の関係、中年の恋愛とセックスなど、実生活の出来事をそのまま題材に、ユーモアとペーソス、そして皮肉を交えて事細かに語って来た」

 田辺さんが敢えてこの部分を引用したのは、彼が書きたいと思っている歌もまさにそういうものだからだと確信するが、ぼくもまたラウドンの歌を聞いて、いちばん刺激を受け、影響を受け、勉強にもなったのは、この「実生活の出来事を」「事細かに語る」ということだった。

 ぼくが1970年代に出した二枚のアルバム、『25年目のおっぱい』や『また恋をしてしまったぼく』、そして2006年に出した『そしてぼくはひとりになる』は、間接的にも直接的にも、ラウドンのそうした歌の世界、歌の思想、歌の方法論の影響を強く受けている。何ともあつかましい話だが、ぼくはどこかで「日本のラウドン・ウェインライト三世」と呼ばれることを夢見続けていたような気がする(「日本の何とか」という言い方は、ほんとうは大嫌いなのだが)。

 ラウドンのアルバムが最後に日本盤で紹介されたのは、確か1989年の『Therapy』 で(アルファ・レコードからのリリースだった)、その後現在まで10枚以上の新しい作品がリリースされ続けているが、残念なことに日本ではまったく紹介されなくなってしまった。

 もっとも日本盤が出たからどうだ(すなわち話題になったり、いろんな人たちにその歌が届けられる)ということは、ほとんどなくなってしまっているのだろうが、それでもこれほどユニークで面白い歌を歌い続けている、そして歳を重ねるごとにどんどんよくなっているこのシンガー・ソングライターの中のシンガー・ソングライターが、日本の洋楽シーンの中で(そういうものが今も健在だとしたらの話だか)まったく顧みられないというのは、ぼくとしては、あまりにも寂しいというか、あまりにももったいない気がしてならない。

 そのラウドン・ウェインライト三世の最新アルバムは、今年2009年の夏にアメリカの2ND STORY SOUND RECORDSからリリースされた『HIGH WIDE & HANDSOME The Charlie Poole Project』 というもので、その副題からもわかるように、1920年代から30年代初めにかけて大活躍した、アメリカのオールド・タイム・ミュージックの人気者にして中心人物、チャーリー・プール の作品の数々をラウドンが取り上げて歌っているものだ。

 アルバムはCD二枚組で、市販のDVDケース・サイズの三つ折りのジャケットに収められていて、70ページ以上にも及ぶボリュームの豪華ブックレットも付いている。ブックレットには、チャーリーの音楽との出会いについて書かれたラウドンの文章、Kinney Rorrerによるチャーリーの詳しいバイオグラフィー(Kinneyはチャーリーと一緒にThe North Carolina Ramblersで演奏していたフィドラー、Posey Rorerの伝記本の著者で、PoseyはKinneyの父のおじさんだ)、ザ・チャーリー・プール・プロジェクト についてのグリール・マーカスの4ページの文章、そして収められている30曲それぞれの歌詞に曲目解説、貴重な写真も満載で、これはもはやブックレットと呼ぶよりは、チャーリー・プールの人間像が、その生涯が浮かび上がる、一冊の立派な本となっている。

 これだけの内容で、ぼくがアメリカのAmazon.comで買った時は、送料の779円も含めて2047円だった。ということは豪華ブックレット付き二枚組CDの値段は、たったの1268円だ。日本のAmazon.co.jpでも、今売っている値段は送料無料で2134円。こんなに値打ちのある買い物はちょっとないとぼくは思う。

 ブックレットのラウドンの文章によると、彼がチャーリー・プールの歌と初めて出会ったのは、1970年代の初め、同じフォーク・シンガーのパトリック・スカイのロード・アイランド州ペリーヴィルの家でのことだった。そこでパトリックがギターかバンジョーを弾きながらチャーリーの歌を歌い、それを聞いてラウドンは大声で笑い、それから「そんな歌を歌っていたのはいったい誰なんだ」と、興味津々になったそうだ(チャーリーの歌の多くは、ほかの人が書いたものやトラディショナル・ナンバーだった)。

 それから40年近くの歳月を経て、ラウドンはようやくザ・チャーリー・プール・プロジェクトという名のもと、彼の作品を取り上げたり、彼について歌ったオリジナル曲、あるいはプロデューサーのディック・コネットと共作した曲などを収めた二枚組のアルバムを作り上げたわけで、この大作に耳を傾けていると、この大先達に対するラウドンの何十年が過ぎても決して冷めることのない熱い思い、深く尽きない愛がひしひと伝わってくる。

 情けないことに、ぼくはチャーリー・プールのことをよく知らなかったのだが、ラウドンのこのアルバムを聴いて、チャーリーの歌ならこれまでにいっぱい、それこそ45年も前から何度も耳を傾けていたことに気づかされた。

 1960年代の前半、中学生になったばかりのぼくはフォーク・ソングのとりことなる前に、カントリー&ウェスタンやブルーグラス・ミュージックに夢中になっていた時期があって(そこからフォーク・ソングへと移行したのだが)、そうした世界の中でチャーリーの歌は、さまざまなシンガーやミュージシャンによってさかんに取り上げられ、歌われていた。「Don’t Let Your Deal Go Down」や「Budded Rose」、「White House Blues」や「Sweet Sunny South」など、いろんな人がチャーリーの歌を歌っているのをよく耳にしていた。

 チャーリー・プールこそ、後にブルーグラスの父と呼ばれるようになったビル・モンローの音楽スタイルに多大なる影響を与え、歌詞作りの面ではカントリー&ウェスタンの父と呼ばれるハンク・ウィリアムスにこれまた多大なる影響を与えている。それこそチャーリー・プールこそ、今日のカントリー・ミュージックやブルーグラス、フォーク・ソングの曾祖父と呼んでもいい、すごい人物だ。もちろんぼくにとっても素晴らしいグランド・ティーチャーなのだ。

 チャーリー・プールのことについて書く紙幅がなくなってしまったが、1892年にノース・カロライナ州のスプレーで生まれ、1931年に39歳で、その生涯を閉じた彼のことについては、改めてまたじっくりと書いてみたい。

 その歌や音楽のことだけでなく、希代未聞の大酒飲みで、どぶろく造りで一儲けし、家庭を作りながらも好き勝手に生き、奥さんを泣かし(奥さんはThe North Carolina RamblersのフィドラーのPosey Roorerのお姉さんだった)、飲んだくれて結局は命を落としてしまった彼の人生にも、ぼくはとても興味がある。

 まずはラウドン・ウェインライト三世の渾身の力が込められた名盤『HIGH WIDE & HANDSOME The Charlie Poole Project』に、ぜひとも耳を傾けてほしい。2134円(Amazon.co.joの場合。送料無料)は、ほんとうに安い。

 そしてチャーリー・プールの歌や人生に興味を持たれた方は、チャーリーの78回転SP盤の音源がCD化されたものが、コロムビアからの三枚組ボックス・セット『You Ain't Talkin' to Me: Charlie Poole and the Roots of Country Music』 をはじめとして、何枚も発売されているので、手に入れてほしい。

 そして、そして、ラウドン・ウェインライト三世の、日本で紹介されることのなかった何枚ものアルバムにも、ぜひとも耳を傾けてください。彼はほんとうに素晴らしい。田辺マモルさんもぼくも、こんなふうになりたいと心から願うシンガー・ソングライターの中のシンガー・ソングライターだ。

中川五郎
1949年、大阪生まれ。60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動も始める。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。
最新アルバムは2017年の『どうぞ裸になって下さい』(コスモス・レコード)。著書にエッセイ集『七十年目の風に吹かれ』(平凡社)、小説『渋谷公園通り』、『ロメオ塾』、訳書にブコウスキーの小説『詩人と女たち』、『くそったれ!少年時代』、ハニフ・クレイシの小説『ぼくは静かに揺れ動く』、『ボブ・ディラン全詩集』などがある。
1990年代の半ば頃から、活動の中心を歌うことに戻し、新しい曲を作りつつ、日本各地でライブを行なっている。

中川五郎HP
https://goronakagawa.com/index.html

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