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吉祥寺


 8月下旬、今回の自宅録音作業も先方の指示を待つだけとなった。いくつか編集事案があったのだが、その詳細を聞いてからの作業ということになるので、実質としては終わったようなものでもある。ここ数年自分自身やバンドの名義の作品というものからは遠のいているが、人から依頼されて作るものの面白さを以前よりはっきりと実感している。そしてもう没テイクを残念がることも無くなった。CM音楽ではプロデューサーが間に入り、没になりそうなものを四苦八苦して直したりしたこともあったが、最近ではあっさりと作り直す。どんどん作れば良いのだ。今回の映画音楽も何度か使われるテーマ的なものの作曲はちょっと時間がかかり、デモ録音提出時は方向性の危惧はないわけではなかったが、OKサインが出ると、そこからは他の作曲作業もスムースに乗って行った。作業が捗らなかった理由は前回書いた訳だが、コンピュータトラブルとこの夏の暑さだ。
 指示に対しての編集ポイントも数カ所目処をつけていたので、音楽的な作業というほどでは無い。確かに終わったようなもので、かなり良い出来だと自負している。

 多少時間ができたので、吉祥寺に映画を観に行く。暑い最中、歩きたくは無いが久しぶりに電車に乗る。この車内の冷房と外の気温差で30分電車に揺られただけでなんだか疲れを感じる。映画館に足を運んだのは随分久しぶりだったが、ここでも冷房にやられる。その映画は良い場面も多々あったが、それは映画では無くても良いものだったように思えた。二時間強で館から解放され、トイレに寄り、喫煙する場所を探した。駅ビルに喫煙所があったはずだが、まだ明るい夕方、冷えた体を戻そうと少し歩いた。
 中道通りを久しぶりに進んだ。レコード店の芽瑠璃堂はこの辺だったよな、という感じの散歩だが、それはもう30~40年前の話。駅の反対側のディスク・インも品揃えは良かったし、他にも面白いレコード店は2軒くらいあったが、名前は忘れた。この通りを歩くのはすごく久しぶりで、見覚えのある店もないわけではなかったが、やはりかなりの様変わりだ。そして、5分も歩けば暑い。もうすっかり身体は涼を求めている。

 ビールだ、ビール。体がそれを欲している。というわけで、ハバナムーンに到着。今回は新・ハバナムーン、と言った方がいいか、この7月に満を持してオープンしたあのハバナムーンの新店舗だ。前の店が無くなってから、まだ10年は経っていないだろうが、結構な月日があったと思う。その間、ちょっとだけ吉祥寺酒場難民だったこともないわけではなかったが、自分の酒量が減ったり、コロナ禍だったり、車移動が増えたり、と吉祥寺で飲むことはかなり少なくなっていた。
 私が知る最初のハバナムーンは南口駅前バス通り、三鷹楽器斜向かいのレコード店のビルの上、2階か3階だった。ただそこにはそう何度も足を運んではいないのだが、どういうわけか店主の木下さんは随分昔からの私の音楽活動のことを知っていて、気軽に話するようになった。ところが店はいつしか北口の五日市街道近くに移転することになる。

 15年かもう少し前だったかもしれないが、私の住む街を通る西武鉄道が大晦日の終夜運転をやめてしまった。首都圏での大晦日終夜運転終了は西武が最も早く、今でもそれは続いている。ちょうどその頃はヴォーカリストの酒井俊さんのバンドで新宿ピットインの新年カウントダウンのライヴに参加していた。多分、3~4回はやったような記憶もある。しかしその年沿線の終夜運転がなくなり、電車では帰れなくなる。車で行けば良いのだが、大晦日とあらば酒を優先にもなる。ライヴも終えて一杯飲みながら、その後の出演者を観ていたが、飲み疲れもあり新宿駅に向かう。帰宅の方向でとりあえず中央線で下る。しかしあてがない。国分寺あたりからタクシーか、とも思ったが、その日のギャラの半分を費やすのは癪だ。だったら飲んで散財したほうがいい。ということで吉祥寺で降りる。が既に午前2時過ぎだったか。気軽に入れそうな店は無いよな、と思っていたところで、ふと移転したばかりのハバナムーンのことを思い出した。スター・パインズ・カフェ近くで五日市街道からすぐと聞いていたので、簡単にたどり着けた。店には明かりがついている。扉を開けると、客はおらず店主の木下さんは半ばカウンターで突っ伏して寝ているような感じだったが、心よく迎え入れてくれ、ちびちび飲みながら朝まで過ごすことが出来た。
 その後、ちょくちょく寄らせてもらった。レッスンは吉祥寺でやっているし、スター・パインズ・カフェでライヴの際はサウンドチェックと本番までの間に少し喉を湿らせたりした。ただなによりここで飲むようになったのは、この店でライヴをするようになってからのことだ。故・鈴木常吉、スーマー、福岡史朗(敬称略)等でギターを弾いた。そして出演者は飲み放題という太っ腹だった。こんなことは長続きするわけはないのは承知だが、良い時間だったし、良い思い出でもある。
 スーマーとのデュオはこの店と阿佐ヶ谷SOUL玉Tokyoがきっかけだった。

 いつしかかなり飲んだことがあった。ライヴの後だったかどうかは覚えていないが、木下さんが他の客と口論になり、少し手が出るような喧嘩のような状態になった。よく覚えていないのは私がその瞬間もううつらうつらと半分眠っている状態だったからだ。事の顛末は些細だったが、私は帰らずに飲むことにした。朝方眠くなり、カウンターの椅子で横になった。起きたら午後だった。(ちなみに当時の椅子は背もたれのない平らな高さ1メートルくらいのものだったが、ここで仰向けで寝て落ちたことはなかった)そのまま、うだうだしていたら15時も過ぎ、木下さんがカウンターに入り、じゃあもう一杯と再び飲み始めたことがあった。おそるべき人生の無駄であるが、いろいろ話をするには時間がかかるのだ。いわば必要な無駄と言えよう。

 しばらくして旧・ハバナムーンは閉店した。その最後の日にカウンターで飲んだ。MIDI RECORD CLUBの旧連載の「酒場にて」の最終回だったと思うが、今は読めない。いずれアーカイブが公開されるかもしれない。

 そして、満を持して木下さんが新・ハバナムーンを開店した。店に一歩踏み入れた瞬間に、これは間違いないという空気、調度、バランスだった。リラックスと程よい緊張が感じられ、すぐに抜群の居心地を感じた。

 この8月下旬は別の案件もあったが、原稿も控えていた。現在発売中のミュージック・マガジン10月号の追悼ロビー・ロバートソンの特集記事の一コマで、ギタリストとしてのロバートソンという依頼だ。そんな話を木下さんにしたら、早速ザ・バンドのシングル盤をかけてくれる。聴き親しんだ曲でも、シングルだと何か違うように感じるんだよな、なんてことを話しつつ、もう一本赤星。

 そんなロビー・ロバートソンのギターについての会話もあり、帰路につく。原稿の方向も少しは定まりホッとしたが、これを2000字ちょいにまとめるのか、とまたまた頭を悩ませたのだった。

 丁度一年ほど前のこの「酒場にて」の連載、武蔵小金井の回で触れたチャールズ・ロイドとロバートソンのセッションについても駆け足ながら触れられたのは、些細なことだがあまり知られていない。読んでいただければ幸いだが、今回の特集、なにより歴史を遡りワクワクさせてくれる高橋健太郎さんの論考に唸らされる。

 ミュージック・マガジンでギターについての原稿は何度か書いてはいるのだが、思いつくままのキーパンチだと、奏法や理論やコード進行や機材の話が次々と出てくる。いや、ギター誌じゃないんだから、と言い聞かせ、それでも大幅に削って納品。しかし折角なのでいくつか書きそびれたことを記そう。
 まずは楽器と機材。私が惹かれるのはやはりザ・バンド中期までになるのだが、エレキ・ギターということになると大まかにテレキャスター時代だ。が、セカンドアルバムではエピフォン・リビエラ、その頃のライヴではエピフォン・ハワードロバーツを使っている映像もあるが、これはもしかしたらエンドースメントの可能性もないわけではないだろう。一番好きな音はライヴ盤のロック・オブ・エイジスで、この中ジャケットの写真を見て、私はエレキを手にした。そしてフェルナンデスのテレキャスターモデルを購入した瞬間にフロントピックアップはハムバッカーに改造するつもりですぐさま実践した。エレキギターには2~3のピックアップがついているモデルが多い。ただ私はそれらのピックアップをミックスして(いわゆるセンターポジション、又はストラトキャスターのハーフトーン)音を出すことはあまり無い。ちょっと位相が気になるのだ。ただしテレキャスターだけはそれがあまり気にならないし、良い効果でもある。ハムバッカーをフロントに乗せたロバートソンのテレキャスターは実はそのハムバッカーピックアップの取り付けを通常と逆にしている。バランスを調整できるビスがネック側ではなく、リアピックアップの方を向いているのだ。私ももちろんそうしてみたのであるが、まあフェンダーとフェルナンデスでは比べることも儘ならぬ。ただリアピックアップとの相性や位相のさじ加減は理にかなっているようにも思える。そしてロック・オブ・エイジス時のギターアンプ、これはフェンダー・ツインリバーブでマスターヴォリューム無しのシルバーフェイス初期のものだ。フェンダーがCBSに買収されシルバーフェイスになり回路変更もあったらしいが、このマスターヴォリューム無しは私感だが買収前のブラックフェイスにかなり近い感触と記憶している。そして重要なのがノーマルチャンネルにインプット。おそらくブライトスイッチもオンであろう。デラックスリバーブ始めそれより出力の大きいフェンダーのアンプはノーマルとヴィブラートの2つのチャンネルがあるのだが、~リバーブと名がつくのにヴィブラートチャンネルしかリバーブが効かないのだ。私はこのスプリングリバーブとともにフェンダーのトレモロも大好きなので、ほぼヴィブラートチャンネルを使うのだが、実はノーマルの方が音が太く、しかもブライトスイッチは確かに高域がプッシュされるが音圧が良い。あえてブライトをいれてトレブルノブをコントロールするというのは頷ける。それがW.S.ウォルコット・メディシン・ショーのリフの右手に貢献しているのだ。歪みとは言えない音圧、この音は他にはそうそうは無い。
 コード進行のことも軽く触れておこう。たとえばオールド・ディキシー・ダウン、サビ前のⅡmからⅡmajでサビ頭コードはトニックだがベースは5度でそこからのⅣ△7、ああ、グッとくる。アンフェイスフル・サーヴェントは4度始まり。3~4小節目5度のメジャーからマイナー、7小節目のダブルドミナント、一段落の8小節目のドミナントsus4、だがAメロにはトニックの和音が無い。メロディだけを取り出すとトニック始まりのザ・ウエイトのようなシンプルなコード進行でも成り立たせられる部分でもあるが、この和音の選択含めもちろん作曲作業なのだ。(あれ、今聞き直して感じたがライヴとスタジオでちょっとコード違うかも。もしかしたらホーンセクションとの兼ね合いかな)ホープ&マッカラーズでも取り上げているムーン・ストラック・ワン。一応歌頭のトニックマイナー解釈だが、Ⅵm7-5~Ⅴ#m△7~Ⅴm7~Ⅴ#△7が美しく、そしてサビの転調。惚れ惚れしますな。ちなみにこの曲はギル・エヴァンスにホーンアレンジを依頼したそうだが、叶わなかった。が、エヴァンスはアレンジを少し書いていたようで、それはYoutubeにもある。

 しかしこんな洗練がありながらもこの土臭さはやはり独特で、ロックだがもう石といっても過言では無いシンプルな瞬間も多々あり、やはりそう簡単に語りつくせない、と今もって再度痛感した次第。と今回はここまでにしておこう。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

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