見出し画像

武蔵小金井


 暑い夜、まだ20時少し過ぎ、武蔵小金井駅北口の喫煙所で一服していた。それだけで駅に戻り帰宅するつもりだったが、あまりの湿度の高さに躊躇する。そこにあった自動販売機で水を買い、喉を湿らせる。しかし水では駄目だ、と駅を背にして少しだけ歩く。「大黒屋」が現れる。ラストオーダーまではまだ30分程あり入店。二組ほどの客、空いている。思わずホッと一息つく。
 武蔵小金井の名店「大黒屋」、最近はご無沙汰だったが、初めて来たのはもう20年以上は前か。場所は今と同じだが、その頃はプレハブに毛が生えたような作りで、なんとも素晴らしい風情だったのだが、その後その場所に高層マンションが建ち、今はその一階におさまっている。しかし現在の内装はプレハブ時代とほぼ同じで、雰囲気もそうは変わらない。やはり良い店の空気は以前とそのままで時がゆっくり進む。とりあえずビールを頼み、一口飲む。さっき水を飲んだばかりだが、それでも美味い。閉店まで一時間を切る慌ただしさだが、着席と同時に時の流れは緩くなり、力が抜けていく。アジの刺身をつまむ。これだけで良い。おろし生姜を舐めながら、ビールを追加すると、そろそろ看板の時間だ。くさやの香りがほんのり漂う。従業員の賄いだろうか。ああ、それも良かったなぁ、と思いつつ、勘定をすませ、帰路に着いた。

 帰宅し、本を読む。数日前に届いたものだ。『ザ・バンド完全版 責任編集 和久井光司』。フェイスブックを眺めていた時に、目に止まる。ザ・バンドの事はこれ以上特に真実を知りたいとも思っていないのだが、多少酔っていた所為と和久井さん本人から直接買うと色々付録があり、中でも1965~67のメンバーのセッション仕事のCDRは気になってしまったので、早速注文した次第だ。

 正直、知っていることも多いが、それを確認するのも時には悪くない。そして、和久井さんの冒頭のロビー・ロバートソン論は冷静に熱く、私もほぼ同感、もっと掘り下げた極論でも読んでみたいと思わせる内容ではないか。
 四分の一くらいを読んだところで、付録のCDRに目を移す。ジョン・ハモンドのセッションは知ってはいたが、ハモンドはずっと聴く気になれなかったので、まあこれは良い機会だ。そして気になったのが、チャールズ・ロイド「Third Floor Richard」。ついにロバートソン入りのテイクが発見されたのか?!、とハモンドを飛ばして聴く。否、これはロイド『of course of course』の正規テイクでロバートソンは参加していないものだ。早速、和久井さんにこの件でメッセージを送ると、すぐに返信が来た。海外のザ・バンドの熱心なサイトで話題になっている音源なので、私家版の付録ということもあり、疑心暗鬼ながら収録し、問題定義の意図もあるとのこと。そして和久井さん自身も、ここでのギターはおそらくガボール・ザボですね、と書き添えておられた。いずれご本人から、アナウンスがあるだろうが、執筆活動や日々のライブ、相当お忙しくされていることは想像に難くない。
 というわけで、私の考察をいかに記そう。

チャールス・ロイドとロビー・ロバートソン、1965年セッションの考察


 音楽家の自身でも関係者でもその記録というか伝記というか、まあそういった類のものを読むと、おそらくこれは思い違いだろうな、ということはままあるし、人の繋がりとその後のデータでこちらが勘違いをしている場合もあったりする。
 この1965年に発表されたチャールズ・ロイド『of course of course』にロビー・ロバートソンが参加しているというのは、ずいぶん前に知った意外なことだった。多分、事の発端はジョン・サイモンの談話だろう。となると、サイモンとロバートソンの繋がりか、で納得しがちなのだが、実はこのセッションがこの二人の最初の出会いだった。だからロイドが直接ロバートソンを呼んだと想像がつく。
 その二人の出会いはキャノンボール・アダレイのトロント公演。ホークスがロニー・ホーキンスの元を離れた1964年のことで、ロバートソンはレヴォン・ヘルムと足を運び、ロイドと談笑及び一服したようだ。ロイドは過去にブルーズメンのバンド参加も多く、そしてそれらへの愛情も深く、その後脱退なのか首なのかのホークスのサックス奏者、ジェリー ”イシュ” ペンファウンドのR&Bのフルートスタイルが好きだったようだ。その頃からホークスもニューヨークに出入りし、ライヴや先のジョン・ハモンドの録音やら。で、ロイドのアパートにも遊びに行く。もちろん音楽的な刺激は当然だろうが、ついでというかもう一つ目的があって、それがハシシ。そう、その同じアパートの3階に住むリチャードはプッシャーというわけだ。

 ここでロイドのファーストアルバム『Discovery!』からの録音日時を追ってみよう。いささか誤りがある記述も目にするが、おそらくCharles Lloyd Discography が正しいと思われる。実は2ndアルバムとなる『of course of course』の録音楽曲の半分ほどは『Discovery!』の録音より前の1964年5月8日となっている。これは当時のカルテットメンバーだと思われるが、ガボール・ザボ(g)、ロン・カーター(b)。トニー・ウィリアムス(ds)という革新的な布陣だ。だが、この録音の成果はおそらくコロムビアの方針を少し変更させるものだったのかもしれない。もう少し落ち着いたもので、かつロイドのポップ感とオーソドックスなバランスでデビュー作へという方向にシフトし、同じ5月の27日と29日に全く違うメンバーで『Discovery!』を録り、その年の11月に発売。これも想像だが、ここまでプロデューサーはジョージ・アヴァキアン。ロイドもアヴァキアンの考えに則れば、その後の自分のやり方もスムースに運ぶと踏んだのかもしれない。そして1965年3月8日、アヴァキアンはプロデュース補佐にジョン・サイモンをつける。最初の録音の続きを2ndアルバムにという企画だが、この判断には若い助手が必要だと認識したのだろう。そしてこの日に件の「Third Floor Richard」を録音。そして同じ日のセッションでシングルのみのリリースとなったビートルズのカバー「She’s a Woman」も録っている。 ここでのザボは悪くはないが、このスタイルならロバートソンだな、とロイドの直感が働いたのだろう。そして1965年10月15日のセッションにロバートソンが呼ばれる。

 ロイド「ロビー、今日はありがとう。礼は少ないけど、葉っぱは足りてるか?」
 ロバートソン「この間、ロイドさんに紹介してもらったリチャードさんから簡単に手に入れることができました。ありがとうございます」
 ロイド「あいつは良いやつだよな。今回の録音ではあいつの曲も作ったんだ」
 (ロイド、傍のフルートでテーマを軽く奏でる)
 ロイド「なかなかにあいつの感じが出ているトッポいメロディだろ、気に入っているんだ。3階のリチャードってタイトルだ」
 ロバートソン「そのまんまじゃないですか!」
 ロイド、ロバートソン(大笑い)

 というような会話を傍でサイモンが聞いていて、おそらくその “3階のリチャード” というフレーズが後になって蘇って来たのだろう。しかもそれがサイモンとロバートソンの出会いなのだ。

 実際、10月15日のセッションでロバートソンはギターを弾いている。ただ長らく『of course of course』の正規盤には収められず、ボーナストラック入りのCDになってようやく陽の目をみた、と私は思っていたのだが、これが間違っていたことに気づいたのは、割と最近のことだ。

 私自身、かなり前だが『of course of course』のレコードを買おうと思って試聴したことがある。すぐさまB面最終曲の「Third Floor Richard」に針を落とした。やはりロバートソンは弾いていないことは確認でき、他に欲しいものも沢山あったので、棚に戻した。その後だいぶ経った2014年に1,000円という価格でボーナストラック付きCDが発売され、そこで改めてこのアルバムを聴く。やっぱりアナログを買っておけば良かったな、と思ったが、だとしたらボーナストラックにも出会えなかったわけで、その中の一曲「Sun Dance」でようやくロイドとロバートソンのセッションを垣間見ることができたのだ。中山康樹さんの解説にはホークスやロバートソンのことも少し触れられていて「Third Floor Richard」の話もあるが、この曲のクレジットではやはりロバートソンの名はオミットされ、「Sun Dance」のみの参加となっている。それ以上に興味深かったのがこの「Sun Dance」には別バージョンがあって、それが次のアルバム『Nirvana』に収められていると言う。こちらも1,000円なので暫くして購入。ただ、ここでの「Sun Dance」は演奏の別テイクではなく、ミックスとマスタリングが違うテイク。演奏テイクは同じだがサックスと二つのギターの定位が左右全く逆となっていて、フェイドアウトのタイミングも違い、ほんの少しだけ短い収録時間となっている。このアルバムも好きだが、どうもチコ・ハミルトンとの曲ばかり聴いていたので、他の曲はあまり気にしていなかったのだ。
 それからまた暫くして、折につけ聴いてはいたのだが、『Nirvana』にはボーナストラックはなく、もともと編集盤で1968年に発売されたものだと知る。きちんと確かめてみたら『of course of course』のボーナストラック3曲は、すべて『Nirvana』収録と同じテイクではないか。だから既にロイドとロバートソンのセッションは世に出ていたわけだ。ただ発売されたのが1968年でプロデュースはテオ・マセロ。これではサイモンも覚えているはずはない。しかも編集盤でクレジットもない。
 そしてもう一つ発見したこともあった。もう一曲ロバートソンが参加しているらしき曲があったのだ。『Nirvana』収録の「Long Time, Baby」。注意して聴いてみたら、このブレイクのギターは紛れもなくロバートソンだ。左チャンネルがザボ、右がロバートソン、というように分けられているということを考えると、もしかしたらこの曲の方が本来のロイドの目的だったのではないだろうか。だがこの短い曲は不自然に終わる。おそらくマセロの編集だろう。R&Bタイプのものをこの中に収めるには先の「She’s a Woman」があるが、これは有名曲すぎるし、それに比べれば編集しやすく、これを2分ちょっとにすればアルバムではなかなか良いアクセントになる。ハサミで切られてしまったのだろうが、このセッションの感じだとおそらくその後にはロバートソンのソロもあったことは想像に難くない。

 そして最近知ったロイドの先のディスコグラフィーで確認したのだが、この「Long Time, Baby」も「Sun Dance」と同じ日の録音だった。これはもう間違いないだろう。もしかしたらこの一曲だけの予定だったのかもしれないとの想像も働く。弾き終えたロバートソンはなんとなくスタジオに残り録音を見学。するとまたロイドからもう一曲やってくれと声がかかる。しかしエンジニアはさっきの2ギターのセッティングはバラしてしまっている。じゃあザボとロバートソンに並んで弾いてもらえば良いよ、と言うことで「Sun Dance」を録音。なので、この曲は左(『Nirvana』のテイク、正規リリースということを考えるとこのミックスがオリジナルだろう)に二人のギタリストがいる。曲に沿って弾くのがザボでロバートソンは見え隠れするようにブルーズ的に入り込む。二人の音色の変化も面白く、ザボはマーチンにデアルモンドという彼のトレードマークとも言えるギアだと思うが、途中から音を少し硬くする。おそらくよりブリッジよりでのピッキングに変えたのだろうが、もしかしたらフェンダーアンプのブライトスイッチを入れて、ロバートソンを煽ったのかもしれない。対してロバートソンは若干こもり気味の音でブルーズリックを絡ませる。そして、フェンダーアンプのトレモロをオン。なんとも噛み合わないザボとロバートソン。そしてザボが少し後ろに下がると、ロバートソンが出てくる。そしてザボも再度煽り、ロイドと三つ巴でフェイドアウト。曲終盤はこれぞロバートソン印のチョーキングとトリルもあり、地味ながらも違和感も残す。であれば「Long Time, Baby」とギターの定位を全く逆にするマセオの判断は、頷ける。
 ちなみにこの「Long Time, Baby」は アトランティックからリリースされた’60年代後半のロイドの幾つかのライヴ・アルバムでは「Love - In」というタイトルで収録されている。R&Bスタイルで始まるも、異形のロックンロールさえ感じるキース・ジャレットに驚く。この頃のライヴではよく演奏していたレパートリーの一つだったに違いない。

 そして、そんなことが急に気になり、たまたまアマゾンのポイントやクーポンもあり、ようやく『ロビー・ロバートソン自伝』を読み始めている。思いの外、ミスター・ロイドの記述はあり、トロント、ニューヨーク、ウッドストック、マリブと少しずつロイドは顔を出す。
 ’70年代西海岸にいたロイドはもはや宗教時代とでも言おうか、ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴと絡み出す。面白いアルバムもいくつかあるが、彼が戻ってくるのは、1981年。そして現在また興味深い活動が続いている巨人だ。
 ロバートソンの最近のアルバムはまだ聴いていない。

 さて、もう一度『ザ・バンド完全版』を場所場所で拾い読みする。メンバーのソロアルバムで一番よく聴いたガース・ハドソン『Music For Our Lady Queen Of The Angels』をかけながら、ロバートソンの1stアルバム『Robbie Robertson』の和久井さんの評を読みなおしているが、これもまた面白い。今と昔を行き来しつつ、賛辞とともに歯がゆさも醸し出す。ゆえのこの金井美恵子調なのか?
 ともあれこのハドソンで洗われたら、久しぶりに『Robbie Robertson』を聴いてみるか。うむ、しかし私の所有はアナログのみで、これはなんとなくCDの方がわかりやすい音だったよな、なんてことも思い出した。ちょっと涼しく感じる秋めいた夜長、さてとビールを開けることにしようか。

桜井芳樹(さくらい・よしき)
音楽家/ギタリスト、アレンジやプロデュース。ロンサム・ストリングス、ホープ&マッカラーズ主宰。他にいろいろ。
official website: http://skri.blog01.linkclub.jp/
twitter: https://twitter.com/sakuraiyoshiki

midizineは限られたリソースの中で、記事の制作を続けています。よろしければサポートいただけると幸いです。