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シャッター


 人が撮った写真をみるのが好きだ。その人にはその景色がそんなふうに見えているのかと感じることができるから。


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 彼女は写真を撮らない。一緒に行った場所や食べたもの、僕とのツーショットなんかも、一切撮らない。一度彼女にたずねたことがある。写真撮らない人だよね。このタルト、美味しそうだしすごく写真映えするんじゃない?と。そうしたら彼女は少し笑って答えた。「撮ったら残っちゃうし、過去になるよ」と。どういうことだろうと思った。椎名林檎の「ギブス」みたいだな、知らんけど。そんなことを呑気に考えた。

 彼女とは二年半一緒にいるけれど、掴めない部分もとても多い。そもそも、始まりが何だったのかも覚えていない。自然と出会って自然と一緒にいるようになった。こういう表現を彼女は嫌がる。自然と、なんてないんだよ、と言う。必ず何か意味があって今の状況が生まれているはずなんだよ、と。僕には彼女が言っていることが完全に理解できていないと感じることも多い。

 彼女は、かわいらしい。そして、よくわからない。

「2人を写す記念写真は残らなくってもいい 今の君が好い」いつか彼女が二人分のインスタントコーヒーを淹れながら何の気無しに口ずさんでいた歌。気になって歌詞を調べたことがある。その時に何故か僕は別れを予感した。彼女と居られる日々はそれはそれは幸せだったけれど、いつか離れてしまうのかもしれないな、と静かに悟った。悲しいとか寂しいとかそういう感情ではなく、そういうものなのだと思った。自然と始まったものは、自然と終わる。僕はいつも成り行きに身を任せている。

 彼女は写真を撮らない。どうして恋人の写真を撮らないの?と遊びに来ていた友人に聞かれていた彼女が「私は記憶や思い出にも嫉妬してしまうから」と言った。「縁起でもないけれど、もし恋人と別れてしまった時、残った写真は誰かを嫉妬させる材料になるし」「じゃあ恋人とのデートで行った場所の景色や食べた物を撮らないのは?」「写真を撮らなくてもその時一緒にいた恋人が証人になってくれるから撮る必要がないよ」彼女は涼しく笑った。テレビを見ながらそのやり取りを盗み聞きしていた僕は、彼女の考え方に同意は出来なかったが、何も言わなかった。季節は冬が始まった頃だった。


 ある日彼女とドライブをしていると、ラジオで「115万キロのフィルム」が流れた。「いい歌詞だよね」僕は助手席の彼女にふとそんな感想を述べた。「そうだね」それだけ答えて、彼女は窓を開けた。そのまま何も言わず、ひたすら遠くの景色を眺め続けていた。何故だろう、いい歌詞なのに、想像できない。無責任に流され続けてきた僕は、誰かと確かな未来を描くことに現実感がない。彼女は手に負えない。ずっと一緒にいたいけれど、きっとそれは正解ではない。

 たまに思う。彼女が写真を撮れば、彼女が見ているものを見たままに僕も見ることができるのに。彼女が写真を残したがれば、僕らの関係ももう少し強固なものになるかもしれないのに。彼女にはあと一歩を踏み込ませないガードがある。僕にはあと一歩踏み込む勇気もないし、踏み込んだからといって踏み込んだ分だけ理解できる自信もない。実際、彼女の言うことに同意できないこともある。けっこうある。そんな悲観的になるなよ、もっと人を信用してもいいよ、楽しくいこうよ、そう思うこともある。多々ある。だけど、どこか一理あるとも思える。理解はできないのに、どこか愛おしい。彼女を通して僕は僕自身を見ている。


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 ある日突然、彼女は消えた。ああ遂にこの日が来たかと僕は思った。本当に、忽然と消えた。彼女の使っていたマグカップやよく着ていたアイボリーのカーディガンだけがそのまま部屋に残っている。彼女という存在だけが消えた。どこに行ってしまったのかは知らない。探したところできっと見つからないのだろうとも思う。

 彼女との思い出の写真は一枚もない。彼女本人が写っている写真も一枚もない。こういうとき、写真を撮りたがらない性質というのは役に立つなとやけに冷静に僕は考えた。彼女は写真を撮らなかった。そして、僕もそうだった。正直に言おう、僕は彼女を撮るのが怖かったのだ。絶対に過去になるであろう人を写真に残すのが。でも、実際は、写真を撮る暇も与えず、彼女は僕に思い出を植え付け続けたのだ。想像は現実をこえる。彼女の勝利。一緒に行った場所、食べたもの、交わした言葉、すべて証人は彼女、そして僕。形に残るものは一つもないのに、人の記憶だけに頼るしかないというのに、その事実が強すぎる。僕は彼女との思い出を知らないうちに両手いっぱいに抱えていることに気づいた。形にならない愛も呪いだ。「残らなくてもいい」という歌詞の意味が少しだけわかったような気がした。春の日差しがあたたかい。





ゆっくりしていってね