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雑談 川を渡る


春の夜が好きだ。
暑くも寒くもない、風も吹かない、空気の流れない夜。もし私が亡霊だったらこんな夜を徘徊したいと思う。きっと今も私以外の様々が歩きさまよっている今日みたいな春の夜。

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大好きな恋人がいることと、どうしても眠れない不安な夜に「眠れない」と言える相手がいることは全くの別物だ。どんなに恋人のことが大好きだっとしても、不安な夜に必要なのは恋人よりも孤独を理解してくれる人だ。明日一緒に居られるかもわからないのに、先のことなんて考えられない。この先のことよりも、今、ピンポイントで一緒に居てくれる人がどうしても欲しくなるのが弱さなのかは分からない。今自分が持っているもの・今あることに感謝はしてるけれど、ないものをねだり続けてしまいながら生きていく毎日。それでも手に入ってしまったら自分の人生じゃなくなってしまうような感覚。誰かに伝わればいいなあ。


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スピッツの水色の街という曲が好きだ。薄暗いのに異様に前向きで、心は踊っている。決して良い方向に向かっているとは思えないけれど、これが一番正しいと思える世界のことを歌うスピッツが子供の頃から大好きだ。はじめてこの曲を聞いたとき、「川を渡る」の最初のフレーズで、全部正解だと思った。この感覚が伝わる人とはずっと一緒に居たいと少しだけ思った。

私は消えないよ、と思うけれど、あなたは消えないで、と思う。これは、愛なのだろうか。ただのわがままなのだろうか。自分が消えることに関しては無頓着なのに、大切な人には絶対に消えないで欲しいと半ば強制的な感情を抱いてしまう。危うい場所には大切な人を連れて行きたくない。危険なことをさせたくない。自分は平気なのに。この気持ちは愛なんかじゃなくただのエゴかもしれないとようやく気付き始めた。


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昨日の夜中に道を渡っていた茶色の野良猫は、雨の夜どこで眠っているのだろう。野良猫とは全く関係ないけれど、私は何度か遺書を書いてみたことがある。死のうと思って書いたわけではなく、人間ある日ぽっと死んでしまうことがあるからその時用に何か書いてみようと思っただけだ。何度か書いたけれど、内容はほとんど同じになった。大好きな人たち、大好きだよ、ありがとうってこと(これは定番)。出来れば私の骨はガンジス川に振りまいて欲しいということ(親しい何人かには言ったことがある、これはかなり本気の願いだけどかなり労力がいるよね)。そして、私のことなんかすぐに忘れて必ず幸せになって欲しいということ(そんなの、言われなくてもって感じかもしれないけど)。簡単にまとめればこの3点で成り立つ。もし自分が消えたとしても、誰にも泣かれたくない。あの子は良い子だったよねなんて居なくなった後で言われたくない。そんなの意味がない。形がなくなればそれで終わりだから、早く忘れて欲しい。これが私の考え方で、自分以外の人がいなくなることを考えるとそうはいかないのだけど、自分に関してはそう考えている。


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春の夜は心地いい。暑いとか寒いとかそういうことを考えなくて済むから、その分余計な事ばかり考えてしまう。私たちは今日も終わりに向かって楽しく歩いている。


ゆっくりしていってね