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愛し抜く覚悟だけ出来ている

 眠りについてからほんの二時間、午前八時、世界の終わりみたいな音がして目覚めた。どうやら大きな雷がすぐ近くに落ちたらしい。どすんという衝撃とみぞおちに直でくらったような音に驚いて跳ね起きて、どうしようどうしようと混乱する頭で、とりあえず服を着た。身の安全を確保しようとするとき、緊急事態のとき、人はまず服を着ようとするものなんだなあと冷静に思う。外はざんざん降りで、ゴロゴロと遠ざかる雷の音が一音一音ずっしりと心にのしかかる。雷が怖い。でも、怖いと言ったことはない。今ここで怖いと言える相手すらいない。じっとこらえて、固まる身体をどうにか動かして布団に戻る。しばらくじっとしていると、いつの間にかまた眠りについていた。心地良いとは言えない二度寝を繰り返しながら2021年を消費する。

 湿気に完敗している。気持ちが湿ってごわごわになる。どんなにセットしても数時間後には前髪が割れている。湿気は、生きるって窮屈だと毎秒気付かせてくれる。今すぐ制服を脱いで解放されたい。今すぐマスクを取り払いたい。今すぐ辞めてしまいたい。今すぐここじゃないどこかへ行きたい。皆、湿気にやられていて、誰もが初期設定がイライラモードだ。分かる、自分も人間だから、小さな事で苛立つのも、頭痛がしたり身体が重くなったりするのも、それが気圧や湿度のせいだということも、とても分かる。それでも私たちは矛先を向ける場所を選択する必要はある。無実の人間を傷つけて良い決まりなど無い。感情じゃなく、事実を否定してよ。たまに分からなくなる。愛情深さに溺れて息ができなくなってしまう。YouTubeのコメント欄に愛を見つけることがある。探していた理想も。運命的なものさえ。

 居なくならないで欲しい。それでも、居なくなった方が良いと思う。本当はちょっとだけ好きだった。己の感情と、最善の選択はいつも違っていることを忘れないで。頑張っている人の夢から叶いますように。努力している人から順番に報われますように。目に見えないものの価値を決めるのって難しいな。ありがとうの重さが違ってシーソーが揺れる。値段にされたくない、それでも値段にされたい。価値を確かめたい。本当はずっと答えが出せなかった。感覚を麻痺させておかないとやってられなかった。「君しかいないよ」なんてふざけんなよと思った。具体的に私を褒めろ。こいつなら断らないだろうしそれなりに上手くやってくれるだろうと思ったと言われれば、私もっと上手に役に立とうとできたのに。

 私は頑固だけど、もちろん特例はある。素直に嬉しかった。信条に反すると言われればそれまでだけれど、大丈夫だと思ったから。この人は信頼できると思ったから。この人に祝われて幸せだと思ったから。時効になるのだろうか。直近の失恋も、こんなふうに特別な感情は育たない砂漠みたいになるのだろうか。「w」すら生えない砂漠。

本当はちょっとさわりたい 南風やってこい

 歌詞の意味がほんとうに理解できるのに数年かかって、やっと理解できた時に南風は止んでいた。今、涙はキラリとも光らずに枕に染みていく。同じ涙ってどんな涙?天使にも人間にもなれなくて、あーあ、やんなっちゃうね。

「でも、生き物っていつか死んじゃうからなあ」
回転椅子でぐるぐる回りながら彼女が言った。そうですよねえ、と相槌を打つ。犬や猫と一緒に暮らすということは、いつか別れが来るということ。それは勿論知っていて、実際に経験もした上で、まだ見ぬ彼らのことを愛し抜く覚悟はできていると思った。きっと何よりも可愛くて何よりも大切な存在になるのだと疑いなく思った。それと同時に、明日にでも死んでいるかもしれない自分のことを思った。なんていうか、そういう「しにたい」じゃなくて、もっと身近な「しにたい」をずっと抱えている。怖いものが多過ぎるから、生きながらえたくない。きっと長生きしないんだろうな、みたいな。あそこで命を落としていたのは私だったかもしれないんだよな、みたいな。大きな不満は特に無い。怒りが無くて寂しい。平凡にも届かないこの身体で、今日を必死で追いかける。からっぽの気持ちでかけた声は掠れた。こんなにもこの人は心の真ん中にいたのだと気付くのはいつも終わり際。濁った水を飲んだとしても全て美談にできる。苦しかったね、辛かったね、痛かったね、そんなもの全て美談にできる私のような人間は、簡単にそんな言葉を扱ってはいけないって、いけないって、歯止めをかけていた。幸せや賢さは後ろめたさとイコールで、人前では泣いてはいけなかった。誰の気持ちも背負うことができない。

 足の裏を蚊に刺されるような鈍臭さで、5月も半ばであるのにこたつをしまっていない怠け具合で、本当は許されていたかった。去年の夏に煙草を習慣にしようと考えていたけれど、やらなくてよかった。でも、どんな手段を使ってでも手に入れなきゃ気が済まなかった、あの頃は。今になってみると馬鹿馬鹿しい、別に必要ないと思うのに。全員に好かれようとする癖から抜け出すために、たった一人に完璧に愛されようとする。それも来年には馬鹿馬鹿しいと思えているだろうか。使うワードが似てきていることに気づいていた。ここ半年の自分は、わざと主語を書かないことが増えていた。向き合いながら文を書くことが怖くて、喉の奥で、ベイグ、ベイグ、と、ずっと自分を責めている。曖昧で適当なことしか書けない今は、曖昧で適当なことだけ書けば良い。noteを辞めるタイミングがわからない。200を超える雑文の内容もほとんど覚えていないのに、愛着がわいてしまっている。いつもこう。思い出、みたいな言葉に弱い。でも過去だけじゃ生きていけないことはわかっている。見えない相手を愛し抜く覚悟だけはできていて、次に出会った人にきっと言ってしまう、ずっと待ってたよって。



「僕」っぽい人がつかう「俺」をたくさん聞きたい派。







ゆっくりしていってね