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静岡県 南伊豆町でマイクロ・アート・ワーケーション2022のホストをやってみて。一般社団法人南伊豆編集室

地元の人と旅人が集まり、意見交換会をした時である。

終盤、地元でジオガイドをしている池野玉枝さんがこう言った。

「これまで皆さんのお話を聞いていて、アートと地域がどう繋がっているか、まだわからない。教えてください」

とても今回のプログラムの本質を問う、いい質問だなと思った。

あ、申し遅れました。

今回、初めてMAM(マイクロ・アート・ワーケーション)のプログラムにホストに応募しました。一般社団法人南伊豆編集室 代表の伊集院です。

普段は、宿「ローカル×ローカル」を運営していたり、漫画「ローカル×ローカルを連載しています。

冒頭に戻る。

「これまで皆さんのお話を聞いていて、アートと地域がどう繋がっているか、まだわからない。教えてください」

というのも、意見交換会では、南伊豆でどんな制作物を作ったか、という話は一切ない。というか、つくることが目的ではない。

代わりに、旅人がそれぞれの視点で語る、南伊豆の魅力を話してくれた。

意見交換会の様子

「芸術祭で見る作品よりも、伊豆の地形を見て回る方が面白いかもしれない」

「道の駅に置いてあった野菜が豊富で感動した」

意見交換会では、そんな話が多かった。だからきっと玉枝さんの言うアートとは、何か制作物を創る人たちと思っていたのかもしれない。

旅人はご自身の関心のもと、様々な体験をされた(写真はジオガイドの玉枝さんと)

玉枝さんの問いに対し、一人ずつ旅人が応えていく。

アートというと、敷居が高く見えがちだし、かといって、なんでも「これはアートだよ」と言うと軽くなってしまう。言葉選びが難しい。

だけど、何かを迫られて、無理やり創作物を創ることだけが、アートではないと思うんです。

私からしたら、玉枝さんも何かを創り出している人だなって思います。作家というと、すごいと言われるけど、決して特別なわけではないです。

うまく言えないが、見方を変えると、こう見ることもできる。

僕は、そんな"視点の話"だったと思っている。

MAWは、つくることに趣きを置くのではなく「視点をかえる 発想をひらく」ことが掲げられている。

表現活動が生活の一部であるアーティスト等のクリエイティブ人材にとって、行く先々で得られる情報や経験の一つひとつは大事な資源となります。

彼らはその活動の過程で、新しい視点を見出し、まだ可視化されていない価値を提示したり、私たちが予期せぬ問いを投げかけます。

時に、その姿勢に心動かされる人々が現れ、新しい化学反応を起こすこともあります。

アーツカウンシルしずおかwebサイトから抜粋

3人がそれぞれの視点を話し終えたあと、アートってそんな難しく考えなくていいのか。玉枝さんはそんな目をしていた(気がする)。

今回、僕がこのプログラムの受け入れを希望したのは、もともとアーティストが地域に滞在し、創作物をつくる「アーティスト・イン・レジデンス」に興味があったからだ。

アーティスト・イン・レジデンスは、アーティストが地域に入り、制作現場を開いていくことで、地元の人と交流が生まれる。そのプロセスのことを指す。

それが結果的に、排他的なコミニュケーションを取らない風土が地域に育っていく、みたいな考えだった。

そこに僕はとても共感している。

だが、僕自身、地域にアーティストが入るなら、制作物をつくることまでが前提だと思っていた。しかし、旅人の一人の方がこんなことを話してくれた。

1週間滞在して「こんなものができました」と中途半端な発表をしても、すごく薄いものができあがってしまったり、地元の人とのコミニュケーションが悪くなったりする場合がある。

それよりは、この土地で受け取ったものを、別の場所だったり、少し期間を開けて、アウトプットに変えた方がいい場合もあると思うんです。

なるほど。

僕は宿以外にも漫画を描いたり、企画をつくったり、比較的に”つくることありき”で考えていた人間としては、つくること=えらい(至上主義)になっていた気がする。

はっとさせられた。

これも、視点の話だ。

それまでAだと思っていたけど、BやCもある。

つくるが目的になるのではなく、「出会い、交流すること」ことも旅人や、地域の人にとって新しい視点が生まれたり、何かが起こっていくのかもしれない。玉枝さんにとってもそうだったと思う。

それはとてもいいことだと思う。

彼らが南伊豆で滞在した記録は、下記で掲載されている。ぜひ彼らの視点を通して、南伊豆の魅力を感じてもらいたい。