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高野ゆらこ「よそもん」【河津町滞在まとめ】

マイクロアートワーケーションという聞き馴染みのない言葉、アーティストに成果物を求めず、地域とアートを結びつけるための思考の時間。
参加者に7日間の滞在で課せられたのは、毎日の日記(写真1枚でもいいと言われた)と、この振り返りレポート(3000文字以上)の2つだけだった。

日々の日記では、その日に起こったことほぼ全てを書いた。
おかげで膨大な文字数になった。
1日目
2日目
3日目
4日目
5日目
6日目
7日目
書き漏らしたくない言葉と出来事だらけだった。
振り返りになるこの記事では、7日間を通じて感じたことを書いてみたい。


『よそもん』

この言葉を滞在中、何度も聞いた。
よそもん、とは「よそ(から来た)者」。
その土地に生まれていないということを指す。


わたしは埼玉県に生まれた。
川を渡ればすぐ東京、という場所柄か都心のベッドタウンとして栄え、小学生の頃の名簿(当時はまだあった)では半分以上がマンション住まいだったような記憶がある。つまり、クラスの半数以上が「よそもん」と言ってもいい、そんな場所で生まれ育った。
そして東京に出て、何度かの引っ越しののち今は神奈川県の横浜市に住んでいる。
生まれてから現在までずっと「よそもん」で、それで辛い思いをしたこともないし、正直、今回河津で滞在するまで自分が「よそもん」であることにすら意識してこなかった。

「あの人はよそもんだから」
「5年住んでもまだまだよそもんです」
「下田から河津に嫁いでよそもんと言われ続けてきた」
「町の出身じゃない91歳のおばあさんが今でもよそもんと言われる」

この言葉について、簡単にいい、悪い、と片付けるつもりはない。
ただ、91歳のおばあさんの話を聞いたとき、思わず笑ってしまったのは確かだ。だって、91歳って!
多分河津に住んでらっしゃる期間の方が、生まれた場所にいた期間よりずっと長いでしょう?

わたしは『自分がどこで生まれた人間か』がアイデンティティを形成する要素にならなかった人間だ。
だから「よそもん」という言葉を取り巻く景色を、わかったふうには語れない。
でも、7日間滞在した者として感じたことを、正直に書いておきたい。

「よそもん」と言うときに、相手をほんの少し遠ざけていないだろうか?
あなたとわたしは違う、そういうニュアンスを少しだけ含ませていないだろうか?
何か分かり合えない部分があったときに、あの人は「よそもん」だから、と片づけていないだろうか?

「地方はどこも過疎化が問題なんです」
ホストの和田さんがそうおっしゃっていた。
それを解消するには、「よそもん」の力が確実に必要だろう。

「『よそもん』扱いはされるけど、排除はされないんですよ」
ある移住者の方が言っていた。
この言葉には膝を打った。
なるほど!勝手ながら、未来のある言葉だとも思った。


人と出会い、話をして、相手と深く関わってゆく。
「俳優」という職業は、この作業の繰り返しだ。
舞台公演だと大体1ヶ月くらいの稽古期間で座組の人と密なコミュニケーションをとり、信頼関係が生まれる。
恋人だったり親子だったり親友だったり、それまでは見ず知らずだった人と急にそんな関係を演じるわけだから、コミュニケーションは欠かせない。
相手に触れたり、いきなり大きな声を出したりできるのも、信頼あってのものだ。
いい芝居を作りたいからこそ、相手を信頼して、自分を開いていく。
河津に滞在して、仕事上で何気なくやってきた自分の行動がもしかしたら「技能」と呼べるものなのかもしれない、そう気づいた。

「よそもん」だから、あなたとわたしはここまでしか近づけない。近づかない。
もしかして、その4文字はお互いが心を開ききる前の最後の砦なんじゃない….?
心を開き切らずにいるための、お互いのぬるま湯なんじゃない?
(え、もしかして河津だけに、温泉?)
だから、「よそもん」と言っても排除はしない。

「閉鎖的なところがね、少しあるんです」
4日目の意見交換会の際、町長がおっしゃっていた。
そして、時間をかけて少しずつ改善していきたいという前向きな気持ちもものすごく伝わってきた。

これは、わたしの「技能」が河津と結びつくかもしれない、そう思えた。
おそらく、河津の人(と主語を大きくするのは抵抗あるけど全体の印象としてこう書かせてもらう)はとてもシャイだ。
でももしかしたら、わたしのいる俳優という世界の方が若干異質で、自分の考えをスラスラ言うことにあまり抵抗がないだけなのかもしれない。
河津が特別ということではないんだと思う。

以下、今回のマイクロアートワーケーションに応募した際のテキストを一部引用する。




9.本ワーケションに興味を持った点や期待すること、また、今回の滞在で探求したいこと等を教えてください。
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河津のキャンプ場に、年1~2回行くようになって10年がたちます。初めて訪れた時に「わたしの好きが全部詰まっている」と感じました。海、山、川、温泉、食、風景。
縁もゆかりもない土地をここまで好きになったのは初めてです。
河津を拠点に伊豆を10年かけて巡り、河津から始まった愛はいつしか伊豆への大きな愛に変わってゆきました。
いつからか『お客さん』である自分に物足りなさを感じ、俳優の自分を使って何かできることはないだろうかと考えるようになりました。『お客さん』を脱してそこに住む方々の暮らしを覗かせていただきたい、日々何を考えているのか、自分との交点はどこにあるのか。普段はどうしても同じ職種の同年代といることの多い自分に変化を与えたいです。
その上でわたしに何ができるか、わたしが何をしたいかを思考する時間に充てられたらと思います。
ただ、簡単に「形」にはしたくないと考えています。


意見交換会の際、ガチガチの空気の中思い切って全員でコミュニケーションゲームをやることを提案したのは、形にはなっていなくとも、人と人が短時間でグッと心を開く感覚、それをゲームを通じて感じてもらえたらいいなと思ったからだ。

結果として、あの時間はとても良いものになった、はずだ。
わたし自身、演劇の現場やワークショップで俳優たちとやったことはあっても、それ以外の方々とゲームをすることは初めてで、ものすごく受け取るものが多かった。

「劇」を上演するだけが、俳優ができることではない。
地域とアートを結びつける、それはもしかしたら地域の方々が生きていく中でコミュニケーションをこれまでより取りやすくなる、心を開きやすくなる、そんなお手伝いをすることも可能性の一つなんじゃないかと思った。

ここまで書いたことは、「よそもん」がたった7日間で考えた結果だ。
おそらくとても拙く、限定的で、もっともっと多角的な視点を持ったほうがいいのは十分に承知している。
でも、7日間のわりにはたくさんの人と話をして、町と自分の交点を深く探れた気もする…いや、どうだろう。

せっかくできた繋がりを、これからも大事にしたいと思う。
ホストとして手をあげてくださった和田さんには感謝しかない。
一緒に過ごした旅人の井原宏蕗さん、柴田まおさんからは、知らなかった世界をたくさん教えてもらった。
できたらまた三人で河津へ行きたい。
そしてその時は具体的に、アートと地域を結びつける活動として呼んでいただけたら幸いです。
(町長、副町長、担当課長様、何卒よろしくお願い申し上げます)


始まる前も終わってからもずっと、掴みどころのない感覚をなんとか言語化しようとしている。
ここまで書いてもまだ、しっくりきているかと言えばそうでもない。
もう少し時間がかかるのかもしれない。

ただ、遠くない未来で
「あのとき河津に行ったことがわたしの人生を変えた」
と言っているような、そんな気だけはするのだ。